ROCK BAR PRESS ROCK BAR PRESS

                     1996年10月11日開始

                               火だるまG

第5回:1996年12月25日

1996年に見た映画たち

みなさんお元気ですか? 僕はまぁまぁです。
今回は去りゆく1996年に縁あり知遇を得た映画たちをふりかえり、記憶に残ったいくつかの作品について簡単なお話ししたいと思います。この連載企画ですでに触れた作品につきましては割愛します。
1996年、本日12月22日現在、222本の映画を僕は眺めました。そのうち洋画は毎年必ず正月元旦0:00からコモンストックのスクリーンにプロジェクターで投影する『EASY RIDER』(69/デニス・ホッパー)とテレビ録画で見たジョン・レノン主演の『HOW I WON THE WAR』(67/リチャード・レスター)の2本のみです。
すなわち残りの220本は、まれに徒歩で見に行った場合もありますが、電車に乗り映画館に出向いて会いに行った映画たちであります。基本的にロードショーはパスし、2番館3番館で映画を見る僕ではありますが、それにしても1本あたり交通費こみで1500円の経費がかかるとして、映画費用年間330、000円は、失業保険のみで一銭の収入もないにもかかわらず1日6本鑑賞の映画瞑府魔道まっしぐらのHB君(知人)をのぞけば、日本でも有数のリュミエール係数(総収入における映画にかける費用の割合)の高さであることは間違いありますまい。
こんなこと自慢にもなんにもなりませんが……。

さて、さて。

ここで223本目の映画に会いに一旦退場します。その映画は『独立美人隊』(63/市村泰一)といいます。場所は日本映画最後の砦・大井武蔵野館であります。

ただいま帰りました。続きを書きます。今見てきた映画についてはノーコメントです。

顔役

1月12日/池袋文芸座/71/勝新太郎

勝さんの純粋映画狂は知る人ぞ知るであり、彼が演出する作品には、そこいらの大学映研の学生も鼻をつまんで逃げ出すような青臭さがプンプンであります。本作品はストーリー的には、いわゆるプロトタイプの「はみ出しデカ」ものではありますが、移動カメラの多様や、地面に穴を掘って撮ったに違いない猫や犬の目から見たようなシーンなど、映画を撮っているのがうれしくてうれしくてしょうがないという情感が満載です。僕が一番好きなのは、零落した主人公(演ずるのはもちろん勝さん自身)が、「俺はほんまは犬に声かけるような人間と違うんやぞ」といいながら、犬に声をかける、たいそう孤独なシーンであります。
勝さんには『冒険者たち』(67/ロベール・アンリコ)と『スケアクロウ』(73/ジェリー・シャッバーグ)を足して換骨奪胎したような、高倉健競演の『無宿(やどなし)』(74/斎藤耕一)という制作作品もあります。これも実に真っ青な作品ですよ。

令嬢玩具淫乱病

2月11日/亀有名画座/95/山崎邦紀

ピンク映画です。僕はこの映画ではじめて「ボーダーライン症候群」という神経の病の存在を知りました。この場合のボーダーラインは境界線という意味ではなく、綱渡りという意味でしょう。他人との関係性において整合性がなくなってしまう心の病気です。Xさんにはあなたが好きYさんは嫌いといい、YさんにはXさんは嫌いあなたが好きといい、ZさんにはXさんもYさんも嫌いあなたが好きといい、XさんにもYさんにもZさんが大嫌いという、そんな病状。女性に多いらしいのですが、しばしばそれに濫用的な肉体関係が絡むこともあるとのことです。
パンツを脱いで大股を広げれば、男はいうことをきくと思ってしまうのですね。あるいは、それしか信じられることがないというべきかしら?
もちろんこれは極端なものいいです。
精神病理学的には色々説明はあるらしいです。
この映画を見て1992年の5月31日に死んだ祖母のことを思いました。
彼女はたいへんな人でした。すべての人の前でそこにいない人の悪口をいいました。その対象には肉親さえをもが含まれました。振り回されて疲れはてた、僕や父たちはマジで彼女を悪人と思い、憎みさえしました。
彼女が残された一族郎党に与えたダメージははかりしれません。
当時には心の病という概念が身近になかった。この病はずいぶん薬で対処できるそうですから、10代のころ、もう少し僕が利口であればと悔やまれます。
最近、父にこの話をしたら黙って聞いていました。
この映画は、彼女と父と僕は血が繋がっているとしても、あの弱虫だった祖父とは繋がっていなかったりして、なんてことも考えさせられる映画でした。
それはそれでもいいですけどね。

ちょっと出ました三角野郎

4月13日/東京国立近代フィルムセンター/30/佐々木恒次郎

同じ神社の氏子である山下村と海辺村はふだんから仲が悪い。それは年に1回の鎮守様のお祭りで、両村が八木節歌合戦を繰り広げて雌雄を決するというしきたりがあるからなのですね。ルールは先にぶったおれたほうが負けというマラソンレースです。これは無声映画なのですが、両村の代表選手が顔を三角にしてがなるアップがひたすら延々と続くという、夢のようなギャグ映画でした。もちろん聴こえないはずの歌が僕の頭にがんがん鳴り響き、僕は軽い酸欠状態を覚えました。42分。

輿汰者と藝者

4月23日/東京国立近代フィルムセンター/33/野村浩将

本年度ナンバー1。詳細は老婆心ニュースの其の六を読んでください。

青春を賭けろ

5月30日/大井武蔵野館/59/日高繁明

これは当時によくあった東宝と渡辺プロダクションの提携作品で、リカビリー全盛の時代にスターダムにのしあがった若者の栄光と挫折をアイロニカルに描いたものですが、ラストのシーンが秀逸でした。交通事故を起こしてスポットライトから退場することとなる若者のポスターが場末の夜の街角で風にゆれている。それをマンボズボンをはいた女の子がはがして丸め、握りしめたまま遠くに消えていく姿を俯瞰でおっかけるのです。彼女が彼のファンであろうがなかろうがかまわないと、僕は思いました。

女人哀愁

9月21日/東京国立近代フィルムセンター/37/成瀬巳喜男

世界一パセチックな映画監督、成瀬の身も心も凍りつくような作品です。胸の内には好きな人はいるのだけど、それが人の道だからと、見合いでのぞまれお嫁にいく美貌の女性がヒロインです。(戦前の映画)しかしその嫁ぎ先の人たちがあまりにも俗物であるのですね。いや俗物以前に尊敬できるとことがなにもない。人間を出自や貧富で判断し対応をころころ変えるような一家。それでもヒロインたえれるだけ笑顔でたえる。しかしもうこれまでというところにまで達すれば、毅然として離婚を申し出、さっさと家を出ていく。許すということ、あるいは他人との共生が、おのれの信念を曲げる、もしくは相手と同じ次元にまで堕落しなくては成立しない時に、人間はどうしたらいいのか? という恐ろしいテーマの映画でした。
もちろん多くの場合、人はそんな問題の存在さえ意識しません。成瀬のような人種は我が国では絶滅しました。こんなこと考えるのは、現代においては我が友音楽中毒(小文字の部分からお読みください。第2パラグラフの「12.16のCSは」で始まる部分です)くらいなものでしょう。本年度ナンバー2。

こわしや甚六

10月14日/横浜黄金町シネマ・ジャック/68/市村泰一

これは完全に個人的な一本。
ここで触れたがごとく、96年には、フランキー堺さんが亡くなりました。
ここでも触れましたが、僕はガキのころに、よくフランキーさんに似ているといわれました。
この映画でフランキーさんが演じる甚六氏は、愛するものはすべて滅びるという、かのルパン三世並みの破壊力の持ち主で、彼が触るもの触れるものもは、人間関係からプラモデルまでかたっぱしから壊れていきます。彼はそんな自分の特技を生業にしているのですが、当然トラブルに巻き込まれます。そしてライブハウスのようなところに逃げ込み、バンドのドラマーになりすましてことなきを得る。
そのバンドがモップスなんですね。
モップスというのはGS全盛のころ、たいがいのバンドがビートルズやストーンズ崇拝だった時代に、アニマルズをアイドルと奉じて渋く決めていた本格的なロックバンドで「朝まで待てない」というヒット曲があります。
ライブハウスで演奏しているのは、もちろん「朝まで待てない」で、となると歌っているのは鈴木ヒロミツさんなんですね。実はいいあんちゃんだったころには、僕は鈴木ヒロミツに似ているといわれることがありました。僕が似ているといわれた芸能人が大画面にクロスオーバーするシーンを見て、僕は感動しました。
若い読者のために、フランキーさんが、マジで戦後日本を代表するジャズドラマーだったことも、念のためにいっておきましょう。

以上、この96年に僕の愛した映画たちでした。
(この企画連載の著作権は存在します)

ROCK BAR PRESS


バックナンバーのページへ/メールを書く  
headlineのページへ a.gif音楽中毒=Ak.gif酩 酊料理人 ・工

cs2.gif


火だるまGのページの最新号へ