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                     1996年10月11日開始

                               火だるまG

第3回:変態テレフォンONANIE(シナリオ名=DON'T LET IT BRING YOU DOWN)

佐野和宏監督は一度だけコモンストックに来たことがあります。ご存じの通り、僕は、年間に200本前後の日本映画を見る者でありますが、そっちの線から知り合ったのではありません。
最近とんと見かけないコモンストックの常連にSS君というフリーアルバイターがいます。彼は、元来は芝居をやろうとして上京、それから自然に目覚めて、どっか農場で過ごした後に再上京、それからはしっかりフリーアルバイターしている自由人ですが、そのSS君の芝居の学校の先輩にSR君という人物がいます。彼も最近すっかりお見限りですが、僕が彼らを知ったころに、彼は歌舞伎町の噴水の前の立ち食いうどん屋でバイトしていました。
そのSR君が高円寺に「ヨーロピアンパパ」という古レコード屋を開店したのが、ちょうど2年くらい前でしょうか。僕は、純情商店街の入り口の酒屋で購入した安ワインなどを持って、お祝いに行きました。そこに居合わせたのが、SY嬢です。
SR君の友人であるSY嬢は高円寺駅前で「バンブーハウス」という店をやっている、僕と同業者だということでした。「コモンストックのことはSRさんから聞いています。一度行きたいと思っています」SY嬢はいってくれました。そしてしばらくすると、彼女が、SR君に連れられて店にやってきたというわけです。
なんにせよ、かんにせよ、一度、同業の方に店に来ていただいてしまえば、別に義理というわけではありませんが、僕としても、一度は「バンブー」に行かねば、などと思うようになります。
結局「バンブー」に行ったのは、翌年の4月。そして、その時、「バンブー」の大常連である佐野和宏という映画監督に出会ったというわけです。
「こちら、映画監督」と紹介されても、僕は佐野監督の映画を1本も見ていなく、ひとしきり映画の話などしてみても、「私作る人」、「僕見る人」で話はそれほどかみ合いません。ただし佐野監督の熱意にはすごものがありました。「とにかく俺の映画を見てくれ」果てしなく酔っぱらいあいながら、何度その言葉を聞かされたことか。
ちょうど、その5月から、今では大変馴染んでしまった亀有名画座で「佐野和宏映画祭」という名の下に、彼のほとんど全作品が一気に上映されることとなっていました。
それで、僕は、全部で4回亀有に通い、客が10人〜20人しかいない暗闇の中で、彼の作品12本を一気通貫したというわけです。僕は、誰か、知己を得た人物に、自分の表現を見ろといわれたら、それだけで、もう、無条件で見ることにしています。そんなこといわれたら、うれしいじゃないですか。
そして、僕は佐野監督に感想の手紙を書きました。そして、彼もコモンストックにやってきたというわけです。
前置きばかり長くなりましたが、僕は、このような形で展開する人間の関係性が大好きなので、書き留めました。佐野監督は、それからも何度か映画館でお見受けしましたが、黙礼するだけの間柄です。「バンブー」には行きますが、入り浸っているという佐野監督とは不思議に遭遇しません。
さて、その12本の中に、「変態テレフォンONANIE(シナリオ名=DON'T LET IT BRING YOU DOWN)」がありました。この当時は純然たるピンク映画初心者だったので、公開名とシナリオ名の違いなど、全く知りませんでした。しかし佐野作品は変態テレフォンONANIE」というタイトルの後の、配役などのスクリーンロールで、シナリオ名が「DON'T LET IT BRING YOU DOWN」であることがわかる形になっていて、思わず、ほぉ〜っと、息を吐きました。そんなタイトルの映画を作る奴がこの国に存在するとは思わなかったからです。
前回の連載でも書いたので重複ですが、ピンク映画では興行上の都合による公開名と、本来監督や脚本家が意図したタイトル名には、なんらの連関性がありません。ピンクの映画監督たちは、そのような侮辱的状況を甘受した上で表現の場を求めているのです。「DON'T LET IT BRING YOU DOWN」というタイトルのピンク映画を、ひまつぶしの中老年の男たちが積極的に見たいと思うわけもないので作品は「変態テレフォンONANIE」として世にでて行くわけです。
筋を簡単にいいましょう。国家機密、これはもちろん、暴露されれば体制側に都合の悪い情報という意味ですが、それを握って逃亡した元自衛隊員(佐野和宏本人)が結局、妻(佐野映画のミューズ岸加奈子)と一緒に謀殺されるという話です。妻の父(津崎公平さん、合掌)、つまり、義父が病に伏せっており、行かねばならない、その地方の町が終着点なのですが、もちろん、そこには体制側の暗殺者が網を張っています。
そして、その町には、本物の飛行機がおいてある公園があり、そこには、日本全国を回りながら映画を撮って歩いている青年(梶野孝)が野宿していて、彼との、交友なども描かれます。
この映画はロケハンの勝利です。よくもまぁ、こんな場所を見つけてきた。
さて、映画は、いきなり、佐野監督自身のナレーションによる「DON'T LET IT BRING YOU DOWN、DON'T LET IT BRING YOU DOWN、DON'T LET IT BRING YOU DOWN」というつぶやきから始まります。そこから一気に物語の世界に引き込まれました。
もちろん60分1本勝負、制作費350万円のピンク映画ですから、フィルム不足で細かいプロットの描写が不可能なところとか、時間制限制で目白押しで乱入せねばならないセックスシーンの制約とかで、感情移入の継続にいろいろ困難な側面もあるのですが、表現は、最後の最後の本当に素敵なシーンまで、ある種の格好よさで貫かれています。
どのような格好よさかというと。
「偉大なアメリカの負け犬になるのは、それはそれでかっこいい。だが、誰にでもできる。じっさい、ほとんど誰もが負け犬なのである」『(さよならワトソン)ありきたりの狂気の物語/チャールズ?・ブコウスキー/新潮社/青野聰訳』
と、いったような格好よさなのです。
逃亡の間中、彼はくり返すように妻にいいます。
「お前を飛行機に乗せる約束していたのに、果たせなくて残念だ」
彼は、自衛隊では、飛行機乗りだったのです。
それで、ラストシーン。青年は泣きながら、二人のむくろを公園の飛行機の操縦席に乗せ、操縦席の向こう側に天幕を張るのです。もちろんあたりは真っ暗闇の夜。
そして青年が映写機をまわすと、照明を浴びた天幕いっぱいに青空と白い雲がひろがって、二人の死に顔が心なしか微笑む。
彼と彼女の約束を青年が果たしたというわけです。
このシーンだけで、僕は、この映画は素晴らしいと絶叫したい。
本当に素敵だ。
しかし、その時バックに流れるのは、ニール・ヤングかと思いしに、なんと「ラブミーテンダー」の友部正人バージョンなのですね。絶対、ニールの悲しい高音の方が似合っていた。「僕たちが死んじまったからって、あるいは、殺されちまったからって、君が、気を落とすことはないよ、君は、君の日々を元気に生きなさい」という、本来佐野監督が託したメッセージがストレートに伝わったのに………。
しかし映画が終わらない。
最後の最後の最後にサイレントのシーンがあるのです。場所はどこかの公園で、物語と離れた、ありのままの佐野監督が幼い少年とキャッチボールをしている。カメラは空中を往復する軟球の行方を、グローブのおさまるところまでしっかりと見つめます。もちろんスローモーション。軟球は二往復ほどしたでしょうか。それで、本当に映画は終了します。
「これは離婚したあとに撮った映画ですね。最初は、だから、子供にいちおう謝罪する気持ちなのかな。それがだんだん世代間のキャッチボールってものに変化していくんですけど、それはぼくから子供に、それもコミュニケーションですよね」『ピンク・ヌーヴェルヴァーグ/ワイズ出版/福間健二編著』
このカットも本当に素敵だ。
今回の僕の話はここまでですが、前回の佐藤寿保監督の回でお話ししたように、ピンク映画の良心、亀有名画座では、これから年末年始にかけて、佐野、佐藤監督を含む、いわゆる、ピンク四天王といわれる素敵な監督たちの作品を集中上映してくれます。この作品は12月4日から10日まで14:50と19:10の2回、連続上映されます。必見だと思います。
思い出しました。佐野監督は「バンブー」で、高校をさぼって見にいって、本当にあこがれたという、『ヤァ、ヤァ、ヤァ』、『ヘルプ』、『レットイットビー』の3本立ての話を熱く熱く語っていました。そして、僕が授業をさぼって、テアトル東京に出かけたのは中学2年の冬でした。では、また。(この企画連載の著作権は存在します)

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