ROCK BAR Daily PRESS
1997年3月11〜4月10日

3月11日 DH君への手紙
15日  もしも僕の頭が落ちたら
18日  俺は俺だけは信じない/大追悼祭・番外
22日  BLUE IN GREEN
25日  I AM BACK!!!
28日  逃げるな悪党!!
4月/2日  FLEETWOOD MACを聴いていると
5日  激しい自己嫌悪を連れて白球がやってきた・目覚めればまた星が墜ちていた、まるで雨に濡れる桜のように
8日  DO YOU SHAKE YOUR MONEY MAKER?

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12日(水曜日)

DH君への手紙

DH様 1997年3月12日

たった一度「ロフト+ワン」で隣に座ったという縁だけなのに、二度も通常有料情報である「市民じゃーなる」を送付いただいて、心苦しく思っておりました。せめて一度は熟読してなんらかの感想を述べさせていただこうと念じておったのですが、お察しの通り、基本的にはあなた方の活動の・ようなものは体質的に苦手な無頼者なので、なかなかその気にならず、二日酔いで目覚めた孤独な日曜の昼下がりに、ようやくといったところです。
私が、苦手な理由は「市民じゃーなる」第20号の一瀬氏の言葉『自己確立を果たしながら優れた感受性をお持ちの故に、理念討論のない地域交流をためらう方々もいる』に端的に表現されておりますが、甘い自己擁護といわれても仕方がない類のものです。
「地域住民の地方行政への直接参加に基づく、直接民主主義による地方政府の確立」という「市民じゃーなる」の目標には異議はありません。しかしいわゆる代理民主主義、官僚主義が勃興した由来を鑑みると、人間の持ち時間が一日24時間で変わらない限り、日々の糊口を凌ぐ仕事として政治や行政に携わる人たちと、プラス+ワンとして、それに参画しようとする人たちとの間のハンディは絶後のものといわざるをえないでしょう。PTAの役員や町内会の役員になりたがらない人間の弱みは人間的なものです。
だから、私などは、市民は入り口から政治や行政に絡むのではなく、もっと効率的にしかし徹底的に出口で、その本来の主権者としての権力を発揮すべきと考えるのです。
行政や政治と市民感覚が逸脱しているのなら、それをとりかえす。そしてその方法は市民が初めから絡むのではなく、その働き具合をしっかり見せてもらって、気に入らない場合には、本来代理主権者にすぎない、官僚や政治家に、彼らも実は市民であることを知らしめることだと思います。
具体的にいえば、なにか市民感覚からずれている行政判断・事業があれば、それを担う官僚・政治家を荒っぽく公権力などという言葉でくくらずに、つまり、匿名の花園への逃避を許さずに、個人として糾弾していくのです。
ダムの建設がおかしい⇒その実現に尽力した政治家・官僚は誰か?⇒それをヒラの官僚のレベルから、それこそジェネコンの新卒の担当者まで、徹底的に実名で暴いていくのです。そして、彼らに親や子供があれば、その人たちの感想なりコメントも求めて、誌面にのっけていく。がんらい、人間は自分が役割として行っている仕事が個人として見直したときにどういう風に見えるかなどということには、鈍感なもので、あっと気がつく人が出るかもしれません。そういう人が少しでも増えれば、それだけのこの国の政治・行政はよくなるし、そんなにハードな仕事なら、政治家や官僚になどならないという人たちもいるでしょう。そうしたらそれでも社会のために私がやろうという人たちに交代してもらえばいいのです。
私個人としては、人間は中身から変わらなければなんにもならないと思うので、あくまで、文化の領域でやれることをしていこうと思っておりますが・・・・・・。
なんか勝手にアジってしまいました。結論からいうと、本来有料の情報誌を無料で送付していただくのは心苦しいし、有料なら、私は「市民じゃーなる」を購読したりはしない人です。君たちの好きな『金曜日』だって読んだことはない「模索社」にはいくけど、ピンク映画の情報誌を買うためです。
ただしなにかの縁ですので、気が向いて東京に来るときには、どうぞ僕の部屋に遊びに来てください。僕の部屋は常に解放しており、僕は人と話をするのが大好きです。自炊でなにか喰わせますよ。僕の部屋は「ロフト+ワン」から3分のところにあります。電話番号は3354ー5306です。またヒマがあれば、僕たちのホームページも眺めてください。URLは http://www.asahi-net.or.jp/~CG2A-IIZK/です。
以上、それではまた

僕のページ更新しました。読んでください。

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15日(土曜日)

もしも僕の頭が落ちたら

昨日はいちだんと暖かかった。
夕方4時くらいに、店の仕入れと、ある・バイトの原稿を届けるために家を出た。
バイトは竹村健一と小沢一郎、両氏の対談の用語解説。
ニッポン放送のホームページに、そのうちに載るから見て頂戴。
15時間ぐらいかかったのに、時給1000円くらいにしかならないらしい。
彼らがいくら出演料を取るのか、僕は知らないけど、世の中の価値観は狂っていると僕は思う。
小沢さん曰く、今のままの衆議一決主義の方法論では、いくらリーダーが代わっても、なぁんにも世の中変わらない、だって多数決採るメンバーは変わらないから答えはいつも同じだって、一理はありますな。人類は物騒な王様たちに懲りてデモクラシーを発明したのだけど、デモクラシーは衆愚に陥りやすい。
しかし僕は小沢さんみたいな王様タイプはやはり怖いので、人間を内側から変えることのできるのは、文化のみと力説したいです。
ねぇ、みんなもっと話をしようよ。あなたはにを考え、なにを思って生きていますか? あなたの大事なものはなに? 友達? 彼氏? 彼女? 金? 健康? 家族? 好きな食べ物は?  映画は? 本は?
それであなた、今のままでいいと思う? 今幸せ?
てな、方法論で。

無政府状態に陥ったアルバニアで幼子たちが銃を何丁もぶら下げて歩いているのをテレビで見ていると涙が出ます。
彼らはもうすぐこんなことを始めるのですよ。昨日まで友人だった隣人が家に来て、ちょっとお醤油を拝借できません? という。
俺の醤油になにをする? その醤油から手を引け。ズドーン。
醤油の貸し借りが命のやりとりにインフレする。
鉛筆一本でもきっと殺しあいになりましょう。
ここでも価値観が転倒するのですね。

僕たちが今しっかり理解しなくてはいけないことは、今現在の世界が「第二の戦後」であるということでしょう。
もちろんAFTER COLD WARSです。
アルバニアの武器を持つ幼子たち、ペルーで飯を食うにも事欠いている幼子たち、北朝鮮で餓死しているだろう子供たち、ルワンダやザイールで地雷を踏んでいる子供たち。
彼らに、僕たちは冷戦に参加したものとして責任を感じなくてはいけません。
少なくとも涙し祈りましょう。
そして食べ物などの無駄な消費はせめて慎みましょう
テクノロジーよ、情報ばかりでなく、食物を瞬時に移送できるシステムを早く作れ。そうすれば、アメリカから日本からドイツから、お茶の間の余りものをバンバン、アフリカや南米に送れるぞ。
情報は食えねぇゾ。時給1000円以下だぞ。
せめて心を満たすような情報ばかりが流通すればいいけどね。

冷戦の二大立役者はアメリカとソ連ですが、ソ連はもう十分以上の報いを受けているといえましょう。
しかしアメリカはひどいね。
第二次大戦終了時に、マーシャルプランなどで、世界に対して大いなる善意を見せたアメリカ。しかもあの時は別に戦争勃発の主役ではなかったのだから、その懐の広さは格別でした。(今書いているのはきれいごとですよ。しかし真実です。もう一方のアメリカ資本主義の真実も承知の上で書いている)
しかしこの「第二の戦後」。アメリカは自分らがその責任主体であることに対する自覚さえないようです。
戦後50年。もっとも風化したのは実はアメリカンスプリットでしょう。

両陣営とも、うそつきとして、冷戦は自由と平等の闘いでした。
しかし自由陣営のかかげた自由は、平和や物質的豊かさを、強者がほしいままに追求する自由でありました。
ソ連の平等も眉唾でしたが、今、考えるべきは、平和、自由、物質的豊かさの全人類的な平等だといっておきます。

3月10日。アメリカのウエンデル・フォードという上院議員が「上院議員を続けるのに、一年間で500万ドルも政治資金を集められない」といって引退しました。「私の女房は(資金集めのために)家の寝室に他人を宿泊させてはくれないだろう」との捨てぜりふとともにです。

クリントン大統領夫妻は資金集めのために、大口献金者をホワイトハウスの寝室に泊めてもてなしたそうですが、泊まった夫妻は、おぁふだんここでヒラリーとビルがセックスしたりするんだと、燃えたりしたのでしょうか? くんくん犬みたいに匂い嗅ぐ奴もいただろうね。
売れるものは、武器でも体でも麻薬でも、なんでも売るのが資本主義。行き着くところまでいかないと、先は見えてこないのでしょうね。
もう、マルクスはいないのだし。

てなことを考えつつ、酒屋に向かってぷらぷら歩いていると、健康そうなお嬢さんが公園の水飲み場で、ハンカチーフを濡らしています。健康なお嬢さんが汗をかく、そんな陽気になったのです。
しかし、えてして、健康そうなお嬢さんは間抜けなもので、お嬢さんはあっという間に、そのハンカチーフを落として、泥だらけにしてしまいました。
僕は家を出るときには、必ずうんこして、風呂に入り、頭を洗ってから、外に出ます。
だから、僕の頭は適当に濡れていて実に気持ちがいい。
あぁ、今、僕の頭がおっこちたら、きっと、僕の頭もああいう風に泥だらけになるのだなぁ。
だからけっして頭は落とすまいぞ。
そんな風に思ったのです。
みんなも頭を落とさないようにね。


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18日(火曜日)

俺は俺だけは信じない/大追悼祭・番外

日曜日、開店六周年の大追悼祭の刷りものを届けに高円寺の「バンブーハウス」に行ってきた。半分自意識過剰。半分は俺たち三人があいも変わらずこんなことをやっているということが、店に集う佳き人たちになんかの刺激になればいいなというおせっかいである。「バンブー」にはプロ・セミプロ・アマのミュージシャン・活動屋の客が多く、かのピンク映画界の巨匠佐野和宏氏は水曜日にはカウンターの中に入り、簡単にいうと、バイトしている。
ママの聖子ちゃんも元来漫画畑の人で今でもエロ漫画雑誌になにかを書いているらしいが、詳細は教えてくれない。しかし今年の目標はエロ漫画で100万円稼いでマッキントッシュを購入することだといっている。
聖子ちゃんに、大死亡データベースを渡したとき、俺の口から「俺漫画読まないから、漫画家とかきっと落ちているんだろうなぁ」と言葉が出て、うっと息が止まりかかった。息を吐いたあとにもう一度息を吐いてしまったのだ。
ばちだ。
すぐわかった。
山田花子。
大追悼祭のリストはベースの部分は俺が図書館の新聞の縮刷版で調べ、あとの音楽関係は音楽中毒=Aがミュージックマガジンなどで補完したものであるが、俺は不覚にも、1992年5月24日に多摩地区の高層住宅の11階から投身自殺を遂げた彼女を漏らしてしまったのである。

俺と山田花子の縁。もちろん書き手と読者としてのみの縁だが、それは去年の7月頭に始まった。あのころ、俺は女性問題のもつれから、つくづく生きるのが嫌になっており、久しぶりに自殺という固有名詞が脳膜に浮かんだりする状態であった。
久しぶりというのは、15年ぶりである。1981年にも俺は、ある女性にふられて自殺願望にとりつかれたことがある。
自分には甘くて、いいかげんなことをやったり、迷惑ばかりをかけているというのに、俺は縁があってつきあった女性に向こう側から去られたりすると、情緒不安定になる。簡単にいうと、理解できないのだ。俺から去っていくものは女性のみならず、親、犬、友人、いくらでもいるけど、理解さえできれば俺はきっとそれに対応する方法を見つけることができる。しかし女性に関していえば、俺から去っていった女性たちの去り方には、俺の理解を超えたものがあり。俺はおかしくなる。
原因のない結果に俺は耐えることができないのです。

とにかく久しぶりに自殺というという言葉が気にかかり始めたころ、俺は山田花子の『自殺直前日記』(太田出版)を手に取った。自殺者の真実というのを研究し、おのれの立ち位置をチェックしようと思ったのである。
たくさん、たくさん、救われた。
どういうことかというと、まず、俺の悩みは彼女の悩みに比べれば実に軽薄なものだということ。これは彼女のほうが、よりハイレベルの悩みを抱えていたということではなく、もっともっと切実に深く悩んでいたということである。そして、俺はその切実さには、ひりひりするような心の痛みを覚えたが、そのくだらなさには、涙を禁じ得ないほどの可哀想さを感じた。気の毒。
俺は、バカだから、俺なら彼女を救えたのにな、けっこう可愛いし、なんて思って、それで俺は立ち直った。

「直感(魂の声、自然の感情、自分の基準)を大切にすること。うまく説明できないけど何となくイヤだ、感じが悪いと思ったら避けた方がよい。「失礼」という世間の常識や他人の基準に合わせると失敗する。人は「常識」というウソに操られて不幸になっている」

「『振られた男』は裏切られたと思っている。実際には女は身を守っただけ。『振った女』は必要ないのに罪悪感持ってしまう。恋愛とは強い方が弱い方を捕獲して支配し玩具にすることである。」

「人を信じるー裏切られて傷つくー人を信じなくなるー嫌われ者になるー孤独・寂しいから人を信じるーまた裏切られる(永久に同じことを繰り返す)」

正しくも痛々しい言葉を並べたが、言語や感情でわかっていることを、行動や肉体で表現していくことの難しさがひしひしと感じられるモノローグの変遷である。そしてそれは彼女だけの固有の問題ではないことはいうまでもない。だってみんな人間なのだから。

彼女は俺のような人間にも強烈な言葉を残している。

「人間何でも理屈どおりに行動できると思っている奴ー理屈野郎(理屈野郎は言葉の魔術で自分の立場を守ろうとしている哀れな奴)」

哀れという言葉に、彼女の優しさを感る次第である。
理屈野郎としては・・・・・・。
「バンブー」から1時間半歩いて、俺は新宿御苑の部屋に戻った。青梅街道を歩きながら「めぇめぇこやぎ」を唄った。そして、俺は、俺だけは信じられないから、せめて、他の人を信じようと、思った。
部屋の時計を見たら4時半だった。


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22日(土曜日)

BLUE IN GREEN

BLUE IN GREEN
IT'S A CRYING OF BOYS WHO STOPS BEFORE REACHES
SURE TO KNOW THINGS ARE JUST OUT OF LUCK
BLUE IN GREEN
IT'S A SMILING OF BOYS WHO KNOWS THE TOPS ARE BEACHES
SO NONE TO THEM CAUSE NO INTEREST TO LAID BACK
BLUE IN GREEN
IT'S A TRYING OF THE BOYS WHO REALLY LOVE THE PEACHES
WHICH GONNA HOLD ON UNTIL PICKERS ARE BACK

(THESE WORDS ARE INSPIRED BY 『BLUE IN GREEN』BY BILL EVANS IN 『KIND OF BLUE』 OF MILES DAVIS)

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25日(火曜日)

I AM BACK!!!

コモンストック内のコンピュータ民族の大移動に断行にともない、酩酊料理人と別れ、俺のところに再婚してきたマッコちゃんが、やっぱりコックさんが恋しい恋しいと情緒不安定に陥り、彼女に因果を含ませて、俺の指先のタッチに慣れさせるのに、3人して説得しても思いの外戸惑い。ようやくこうして自分のファイルをアップはできるようになった。マッコちゃんのご機嫌は引き続き斜めだがこれだけでも進展ではある。
俺を捨てて音楽中毒に走ったマクや酩酊料理人の新たなパートナーマクコは、それぞれすぐ馴染んだときいている。御同慶のいたりだが少々複雑な思い・・・・・・。
ということで、一日遅れでようやく僕のページ更新しました。読んでください。 はっきりいって疲れた。

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28日(金曜日)

逃げるな悪党!!

もう二週間も前の完全な旧聞。
教育テレビの鶴見俊輔と関川夏央の対談を興味深く視聴した。
デビュー以来一貫して「近代以後の日本人はどう変わったか、またはどう変わらなかったか」(「さびしいひとびと」『ノンフィクション宣言』/猪瀬直樹編集/文春文庫)を考えているらしい関川さんが、戦前ハーバード大学留学、『戦後日本の思想』(講談社文庫)からベ平連、漫画評論までの博覧強記の鶴見さんに、爺様が生きているうちにお伺いをしておこうという方法は納得できるもである。おそらく一番おもしろかったところは放映はされずじまいで、直接的あるいは間接的に関川さんの著作に反映されていくのだと思う。俺は読まないとは思うけど・・・・・・。
伊藤博文という人が長英戦争敗戦の下関条約の和議のときに、イギリス公使(通訳? 俺、日本史ほとんどわからない。長英戦争ってどのような終結をむかえたの? そのときの約束はその後の新明治政府に引き継がれたの?)アーネスト佐藤らをもてなすために、自分で走り回って材料を揃えて、それを料理した、すなわち日本で初めて洋食を作った人物である、という話を枕に、そのような自分の手と頭を使って行動する、実に立派な個人たちが作った近代日本というシステムがあまりに見事な出来映えだったため、敗戦という節目があったにもかかわらず、そのシステムの中で、日本人は、天皇(八紘イチウ)とか、豊かさと(高度成長)か、お題目は変わったにせよ、システムのお題目を鵜呑みにしていればOKという、頭も体も動かないお気楽な家畜に成り下がったと、いう鶴見さんの分析は常套的とはいえ正着と思う。
しかし、最近、沖縄県の知事とか、松本サリン事件でマスコミに山羊の丸焼きにされかかった人とか、自分の頭で発語する人が出てきつつあるから、大丈夫と爺様はいう。
しかしそれらの人々も爺様であり、未来は若者のものであるから、賢明な夏央氏が「例えばコンビニ」といいかかった、その瞬間に、糞爺、ずるしやがった。
関川さんの、「例えばコンビニ」のあとに続いた言葉は、多分「で、用もないのになんとなく漫画やエロ本を立ち読みして時間をつぶしている若い人たちとか、その前で集団でションベン座りして夜中中唾を吐き煙草をすって、道行く人々に恐怖感や不快感を与えている若者たちが、いつかは個人になりますか?」というところではないかと俺は予想する。
しかし爺様は「そうそうコンビニね。あれは昔一度滅びた小間物屋が復活したのよ。そういう風に歴史は回復していくの(うろ覚えです)とかなんとか・・・・わっはっはっは」。

最近、団塊世代と共通一次世代に挟まれた、白装束にキャプテンフックみたいな鍵爪の手で『異国の丘』をアコーディオンで弾き缶詰の空き缶で小銭をもらっていた傷痍軍人も記憶にあり、しかし零細ロックバーとマスコミの下請けの下請けで糊口を凌ぎながらマッキントッシュのパソコンでホームページをアップしている、ある世代として、一番気になるのは、俺たちがあまりにも旧世代のコミュニケーションの方法、一言でいえばゴールデン街的な方法、声の大きい方が勝ち、とりあえず喧嘩、そして仲直り、肩を組む、やっぱいい奴ジャン、山本周五郎知らないやつは駄目、みたいなものを真っ当に嫌悪しすぎたばかりに、俺たちの後輩たちはその極北として、ほとんど他人様とお付き合いできない、よわっちぃ人間になってしまったのではないかということである。
チーマー、サークル、同好会。仲間や友達はたくさんいるみたいだけど、なんかコミュニケーションが成立していなさそうなのだ。集団の中での付き合いはどうしても希薄なものになり勝ちだから、しょうがないかもしれないけど、親友とか、恋愛とか、一対一の場合でも、どうもそんな風に見える。
コモンストックに時々現れる二人連れの若者がいる。二人とも音楽の趣味もいいし、マナーもいいし、ルックスもいい。しかし、何気なしに、その会話を聴いていると「これ知っている?」「知らない」とか「これっていいよね?」「うん」または「そう?」の繰り返しで、それ以降の「どんな人なの?」「どうしていいと思う?」「俺はそう思わないけどなぁ」「なんで?」「だってさぁ」というのがなかったりする。
俺は「なんなんだこいつら?」と思わざるを得ない。
「だって見ず知らずじゃなし、友達なんだろう?」
結論。
関川さんの「他人とコミュニケーションできないような若者たちが、(たとえ自分の頭で考え行動する知恵を有しているとしても)個人足りえますか?」(あくまでも俺の推測ではあるが・・・・・・)という疑問は俺の疑問でもある。
爺逃げんじゃねぇ!!!
鶴見氏は、みんなは勘違いしているけど、自分は実は悪党だといっていた。
逃げんじゃねぇ!!悪党爺。
それとも爺、マジでボケタか?
ちなみに俺は日本人なんてどうなってもいい。ただ俺は、けっこう人と話したり酒を飲んだりするのが好きだし、しかも女の人も含めて、若い人は好きなので、大人(たいじん)の見通しを聞いておきたかったのである。

なに? 向こうが願い下げるだろうって?
それもまた運命である。ただし万が一や、まぐれもあるかもしれないと、俺は思うのだ。

世代で人間をくくるのは荒っぽすぎる幼稚すぎると思う人もいるだろう。同感です。そのようなあなたと俺はお付き合いしたいと思います。

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2日(水曜日)

FLEETWOOD MACを聴いていると

先週末の盛況が幻でしかないことを思い知らされた月曜日(31日)の話。
またもやニッポン放送のホームページの『サイバーブック』の用語解説のバイトが回ってきて代々木上原の知人の事務所にテープを取りにいく。知人、俺が7時には店を開けなくてはならない立場にいることを熟知しているが、なにかのっぴきならない事情があった(母堂が上京しているらしい)らしく、現れたのは6時20分。少々嫌みをいってテープを受け取る。別に7時きっかりに開けようが開けまいがほとんど関係ないことは自分でもわかっているから、嫌みにも迫力はないし、知人に対する怒りも素直なものではない。彼が遅れてきたことよりも、遅れてきても問題ないと、自分ではあまり認識したくない認識を想起させたことを憎むという感覚である。
結局最初の客は8時にやってきて、9時半に帰った。次の、そしてその日最後の客がやってきた11時半まで2時間『FUTURE GAME』(71)、『BARE TREES』(72)、『PENGUIN』(73)の順番でFLEETWOOD MACを聴いた。閉店まで誰もやってこなければ『MYSTERY TO ME』(73)、『HEROES ARE HARD TO FIND』(74)まで聴くつもりだった。

現代の表現に触れるたびに、ぼやけているなと感じる。新聞に溢れるレポ、学者の論説、映画、テレビ、音楽。なにもかもがぼやけている。
なにがいいたいのかさっぱりわからない。
いいたいことがないのか? いいたいことがあっても稚拙だから伝えることができないのか?
司会者や整理者ばかりが林立していて、その間にはなんら意味ある情報が行き来していないと感じるのは俺だけだろうか? 解説者と観客ばかりで選手のいない野球場みたい。
日曜日朝日朝刊で中西輝政という学者が『乱れる日本人のアジア観』と題して、今アジアで起こっていることは1)冷戦構造の残存(朝鮮半島)、2)1)のたががゆるんだ結果としての地域紛争の可能性(尖閣諸島、南沙諸島など)、3)1)2)はあるにせよ地域経済安全保障協力の進展(ASEANなど)が進んでいることである、とまとめていた。
これで新聞紙面のページの半分を喰っている。
だからどうした? という話はしたくない。
しかし俺がアジアのことを思うとき、気になることは、各国とも日本とは違う多民族国家であり、国という枠組み自体の有効性も危ないのではないか?いくら華僑たちがうまくコントロールしていいるつもりでもいつかはガラガラポンでバルカン半島になるのではないのか? とか、そういう中で経済発展が進めば貧富の差が取り返しの付かないほどついてしまうのではないか? 情報を押さえたエージェントばかりが甘い汁を吸うというこんなアンフェアな時期に貴族と貧民みたいに階層が固定してしまったら後から生まれてくる世代はたまらないだろうな? とか、日本の公害や労働紛争、安保全共闘など政治紛争などの経験や教訓は彼らにとってちゃんとケーススタディとなっているのか? もう少ししたら手のない赤ん坊とか、生まれつき障害を持つ赤ん坊がたくさん出てくるのではないか? などなのである。
みなさんはそんなこと気になりませんか?

FLEETWOOD MACは不思議なバンドだ。
もともとはジョンメイオールの「ブルースブレーカーズ」の卒業生なのだから、こてこてのブルーズバンドであり、ピーターグリーンの『ブラックマジックウーマン』などもはや古典である。
しかしロックミュージックが金になることが公然の事実となった70年以降、バンドは変遷に継ぐ変遷を遂げ75年の『FLEETWOOD MAC』でブレークし76年の『RUMORS』で大勝ちするのである。1000万枚くらい売れたといわれている。
似たようなバンド、そんなにくわしいわけではないが、たとえば、テンイヤーズアフター、クライマックスブルースバンド、チッキンシャックなどは同じもくろみに失敗している。
どうして彼らは成功したのか?
広告戦略や営業戦略などわからないので除外する。記憶ではあの時代はビッグコンサートの時代であり、同時期に大儲けしたピータフランプトンと同様、大音量と圧倒的テクでブルーカラーの慰安に地道に貢献したのが果実に結びついたのだとは思われるが・・・・・・。ZZ−TOPしかり。
しかし彼らの方針転回以降のアルバムを順番に聴いていると、方向性はともかく、曖昧模糊としていた感じがだんだんクリアーになっていく。ラブソングでも凡庸だった言葉が具体的になっていく。より思い入れのしやすい愛情表現になっていく。音のタッチが断定的になっていく過程が見て取れる。
方向を決めた後も力不足や遠慮、恥や外聞などからぼやけていた輪郭がくっきりくっきりとしていく。
現代のぼやぼやの状況も近々くっきりするための前戯なのだろうか?
そう思いたい気もするけど、マックの成功も3年しか続かなかったことを思うと、一度瞬間だけ焦点があった後に、本当の退屈が待っている予感もして辛い。マックの次に一山あてたのは、ビージーズ(ディスコ)やマイケルジャックソン(MTVのはしり)で、それから先ほとんどなにも起きてはいないことはみなさんご存じの通りである。
ビージーズのディスコバラードはともかく、大売れに売れたマイケルの一枚目二枚目をもう一度聴いてみようと気には殆どならない。これはどうしてだろう? それから先に売れた人たちはいつもそのアップトゥデートは売れるけど、過去の作品はあまり聴き返されない人たちのように思われる。これもどうしてなのかわからない。
世の中はわからないことばかりだ。
どうしてコモンストックに客が少ないのかしら?

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5日(土曜日)

激しい自己嫌悪を連れて白球がやってきた・目覚めればまた星が墜ちていた、まるで雨に濡れる桜のように

我ながら最低だ、NFLのスーパーボウルが終了してMLBが開幕するまでの約7週間は、書き手としてのHARVESTのはずだったのに、ほとんど自己を見つめることもなく、ただただ限りなく大酒を飲むばかりで過ごしてしまった。
そして白球が桜の瞬きとともにやってきた。
だいたい自分が野球に飢えていることは自覚していた。2月以降、ぱったりと小説を読む気がなくなり、野球のデータばかりをひっくり返していた。映画のページで書いたとおり、見たくても映画も映画を見る場所もなかった。
そうこうしているうちに長いことつんどいた『大下弘・虹の生涯』(辺見じゅん/新潮文庫)にブチあたった。ここ最近で読んだ本では珠玉。とことん過剰だった人の物語である。放埒の極み。楽しくもないのに毎晩毎晩新人選手の初任給(今なら100万ぐらいか?)を散在。借金膨大。母親ヒロポン中毒。自身もただただ寂しさからやたらと知人の女に手を出し。捨て。知人どんどん自殺。自分も最後に自殺・・・・・・。しかしグランドでは颯爽。少年たちの夢とあこがれ。バルザックやドストエフスキィを好む。残した言葉は球道無限。著書『球道徒然草』。
日本野球の正史からは抹殺された時代の話。それを確認したのは、つい先ほど、昭和27年度に最多勝に輝いた野口正明という投手の顔写真が、俺の所有している、それなりの量の野球データにはないことを確認したから。野口と大下の出刃包丁とバットを得物にした一触即発がスリリングに描かれている場面に触れ、俺は野口の顔を見たくなった。それで1時間ほど早朝の資料探しと相成った(これを書いているのは4月4日の朝7時半)のだが、IN VAINに終わった。野球の健全化に大いに寄与するベースボールマガジン社の意図を感じた。
「後輩の口説いた女にまで手を出すのはいかんですよ」
「おれがどんな女を口説こうと、きみに口出しされる筋合いはないね」
こんな世界は今のタケノコ族(古いね)やジャニーズ事務所の予備軍みたいな、各チームの外野席私設応援団の善男善女には理解不能であろう。おめぇら、唄って踊っているヒマがあったら、眼を皿にようにして、ただただ白球を見つめろよ。あの球の周辺には全ての美と、恐怖と、悲しみがあるのだよ。


とかいって、しかし一番情けないのは、つい3時間ほど前まで、ビデオ録画で今年度の野茂英雄の初登板にあたるドジャーズ対フィリーズを見ていたのだが、それ見ているときはけっこううつらうつらして舟こいでいるのです。それでこんな時間まで昔の選手名簿とか見て喜んでいる。
だいたい昨日の昼間に提出したバイトが悪かった。それは関根潤三と深沢弘の対談(ニッポン放送のホームページ)の用語解説で、彼らの出番となれば当然長島の話(なんたる商品価値、LONG LIVE ROCK N ROLLだ。今年のベースボールの開幕号もやはり、この人が表紙であります)で、ここ3日ほど、こんな文章ばかり書いていたんだもの。
「長島が東京六大学リーグで8本のホームランを放ったとき、関西大学の三塁手、難波は関西六大学で7本塁打を記録、同リーグの新記録を樹立した。難波は長島と同期で巨人に入団。6年間で52本の安打と7本の本塁打を残し球界を去った。ノンフィクション作家の沢木耕太郎は難波ともう一人の長島の影を背負った三塁手、土屋正孝(松本深志高校出)を題材に『三人の三塁手』(『敗れざる者たち』所収・文春文庫刊)というルポルタージュを書いている。影の物語さえスポットライトを浴びるほどに長島茂雄の放つ光線が強烈だということなのだろうか。」

結論。

今年アナハイム・エンゼルズに移った長谷川は頑張ってもらわねば困る。過去2年、野茂のせいで、俺ら、大リーグファンは、ナショナルリーグばかり見せられて辟易としている。カブスやフィリーズやメッツをしこたま見せていただいたのはありがたいは、アメリカンリーグも見たい。ブリューワーズが見たい。ロイヤルズが見たい。ブルージェイズも見たいのだ。
長谷川がそれなりの活躍を見せてくれれば、俺らは、それらアメリカンリーグの弱小チームの現状に触れることもできよう。
しかし国営放送もいつまで持つかな、ペイTVがきっとみんなそれらのソフトの権利を買い占めてしまうのだろうな、ESPNの権利を守りきれなかった国営放送から、BSスポーツニュースという至福の番組が消えてしまった。

激しい自己嫌悪と大いなる悲しみの予感を引き連れて、空気を切り裂く白球の乾いた音が凱旋した。KING HARVEST HAS SURELY COME。さすがにもう寝ます。
野口正明が夢に出てくるといいなぁ・・・・・・。


と書いたところで就寝、起床2時半。杉村春子さんの逝去を知る。いい年こいてもいつまでも娘さんのような、いつも微笑みを絶やさない、まるで雨に濡れる桜の花びらのようなしっとりとした声の女優さんでした。
HEY BOY DON’T ASK ME ABOUT THINGS HAPPEND THESE DAYS. I AM A SYOWA−BOY.MY EYES STILL ARE CRYING TO BLOSSOMS  SAYING HELLOW−GOODBYE .

さて問題の夢の件。勝新太郎さんと観光旅行の集団バスに一番前の席に合い席し、勝さん手作りの重箱のお弁当をご馳走になるという夢を見たようです。ニンジンとゴボウの煮付けかなんかです。これまた悲しい予感に満ちた楽しい夢ですね。

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8日(火曜日)

DO YOU SHAKE YOUR MONEY MAKER?

アナハイム・エンゼルスの長谷川滋利の初登板のインディアンズ戦は4回1/3、失点4、自責点5の敗戦投手に終わった。4回まで被安打2、自責点失点とも1、これは立派な成績であるが、勝利投手の権利のかかった5回に5安打を集められて、ノックアウトされたというわけである。
ストーリーが始まってしまったからには、長谷川自身はいくところまでいかなくては行けないのだろうが、早くも見えてしまったことがあるのが悲しい。
すなわち、長谷川がメジャー・リーグの世界でやりぬくためには徹底的に内角の高めのストレート、できればスライダー、と外角の低め、しかもボールになるスライダーをくりかえし、時たま、内角の低めにシンカーかフォークという落ちる球をまぜる。すなわちいかにも手先の器用な日本人の代表らしい精密的な投球を根気よく続けていくしかないということがはっきりしてしまった。
今回の長谷川の投球は大リーグのスカウト(日本でいうところのスコアラー)に徹底的に裸にされ、おそらく長谷川恐れるに足らずという結論が出されたはずである。
長谷川の投球にはただ一度も相手の打者の腰を退かせることがなかった。
技術優先の日本人にはなかなかわからない感覚だが、実際、アメリカの野球を支配しているのは、(そして本当はこの日本においても)肉体的な恐怖という感覚である。たとえぶつけられても大ケガはないという感触を掴めば、アメリカの打者は結果はともかく、身も蓋もなく向かってくる。そして長谷川の投球にはガラス細工のような繊細さはあるが、血と暴力の匂いがしない。しかも長谷川に致命的なのは、外人が恐れる、禅や老荘思想のような神秘的な感触もない。アメリカ人はいまだに神風や腹切りは怖いのだから、気合いとか精神力で脅しをかければつけ込む方法もあるのだが、英語も使い愛想もいい長谷川はどこにでもいるナイス・ガイなのである。
長谷川には、昔の東尾(現ライオンズ監督)や星野(現ドラゴンズ監督)のように、思い切ってビーンボールまがいのブラッシングボールを適当に混ぜるという下品な方法もあるが、そうなれば、まってましたとばかりに、アメリカの打者は本当の格闘技、すなわち乱闘に持ち込み、より明確に長谷川をびびらせにかかるだろう。東尾、星野はそれをこみにして商売をしていたが、長谷川にその根性があるとは思えない。
したがい、長谷川は爪に灯をともすように、質素倹約な投球を続けるしかないのである。それで10勝を3年でも続けることができれば、長谷川は経済的にも大成功を収めることになるのだろうが、はたして、それで楽しいか? という疑問は永遠に残るだろう。
長谷川がそのような形で成功し、それを確認した上で、今後日本球界を離れて長谷川をフォロゥする者が現れれば、伊良部や佐々木のような野茂と同タイプの武闘派でない限り、彼らは、そのような成功をよしとする思考形式の人物であるということを示すことになるだろう。

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