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火だるまGのTHANK YOU REPORT


since 96.5.03

毎月3と9の日に僕のHEART AND SOULからお届けします。1カ月単位でバックナンバーに在庫していきます。

1997年11月3〜1997年11月29日

11月3日 SUNSHINE ON MY SHOULDER
9日  眠り姫たちに捧ぐ
13日  通ってきた道は違えども
19日  他殺と自殺で60人死んだ
23日  狂女の狂った言葉
29日  リンゴをふたつ買う男

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3日(月曜日)

SUNSHINE ON MY SHOULDER

土日月と俺にとっては革命的といえるレベルで早起きをした。どうしてもその3日間で終えてしまわねばならないバイトが入り、まとめたり、記述したりするのは夜中でもいいとしても、四谷、角筈、高田馬場、日比谷、広尾などの図書館、そして神保町、早稲田の古本屋街を、それらが開店中の時間帯に回らなければなかったのだ。
まったく自慢にはならないが、ふだん目覚めて雨戸を開けたとたんに夕陽が沈んでいくことも多々ある生活をしている俺にとって、新鮮だったのは太陽光線である。常日頃それを浴びている人は気がつかないのだろうが、太陽光線というのは、具体的な質感のあるものだなとあらためて思った。そのぐらい久しぶりに日の光を浴びたのだ。
具体的な質感というのは、財布に金が入っている時の気分にも似たような実感である。それを使おうが使うまいが、それは俺のオプションだけど、少なくとも使おうと思った時には使えるといった安心感。
特に太陽光線は眠りに効くような気がする。
白状すれば、俺は眠るのが下手な人である。壁に激突するまでの、ほんのコンマ何秒の瞬間のアイルトン・セナのマシンみたいな、眠りにおちいる瞬間の自分のコントロールが効かなくなったような感覚が嫌いなのだ。まぁ、とことん自意識過剰なのだろう。
だからいつも、もう起きていられないというところまで起きていて、なし崩しに寝る。そのなし崩しを遂行する力を俺に与えてくれているのが、酒で、あらためて酒は太陽だな、だから大事に飲もうと思った。殊勝なことをいってはみたが、日の光を浴びるために、心あらためて早起きする気も更々ないし。

「Sunshine on my shoulders makes me happy・Sunshine in my eyes can make me cry・Sunshine on the water looks so lovely・Sunshine almost always makes me high・If I had a day that I could give you・I'd give to you the day just like today・If I had a song that I could sing for you・I'd sing a song to make you feel this way」

日の光を浴びて歩いていると、軽薄な俺の頭の中では、どうしても、この歌が鳴ってしまう。
このジョン・デンバーの曲がビルボードで1位になったのは1974年3月30日付のチャートだそうだ。俺が高校生になる2日前にあたる。酒のように音楽をあおっていた年ごろである。

10月12日に発見された、ジョン・デンバーの遺体は身元を確認するのも不可能というくらいに損傷を受けていたという。
飲酒運転で免許停止中、免許といっても自動車ではない、自家用飛行機、運転に誤り、海にドボン。まさに、AMERICAN WAY OF DYING。自然を賛美するものが、ほとんどアルコール中毒の状態で、自然に出会うために、自家用飛行機で海空に出る。AMERICAN WAY OF DYING。
自然は、わざわざ飛行機でだれもいないところにまで会いに行かなくても、どこにでもあるし、酒を飲んでいるだけで、己の中に、自然がたちのぼるのだから、そんな時には、よろよろとした身と心で自然に会いに行く必要などないと、俺は思う。
世界の悲惨な状況を救うためのチャリティのパーティに、ロールス・ロイスや自家用飛行機で集まったイブニングドレスとタキシードの紳士淑女が、聞いている方が赤面するような理想的なスピーチをしつつ、ダイエットと称して、テーブルいっぱいに盛られた料理には手を付けず、エビアンか炭酸水だけを飲んでいるのが、アメリカである。料理がそのまま残飯になり、多くの場合ウエイターやウエイトレスが、アフロアメリカンかラテン系なのはいうまでもない。

ジョン・デンバーの死にはアメリカが溢れているが、ジョン・デンバー的なものはアメリカだけにおさまりきらずに、電波に乗って、世界中に飛び回り、哀しみをまき散らした。死者に鞭を打つ趣味はないが、それはやはり罪だといわねばならない。

「Almost heaven, West Virginia,・Blue Ridge Mountains・Shenandoah River.・Life is old there,・Older than the trees,・Younger than the mountains・Growin' like a breeze.・Country roads, take me home・To the place where I belong:・West Virginia, mountain momma,・Take me home, country roads.」

「Take to the highway won't you lend me your name・Your way and my way seem to be one and the same・Mamma don't understand it・She wants to know where I've been・I'd have to be some kind of natural born fool ・To want to pass that way again・But I could feel it ・On a country road・Sail on home to Jesus won't you good girls and boys・I'm all in pieces, you can have your own choice・But I can hear a heavenly band full of angels・And they're coming to set me free・I don't know nothing 'bout the why or when・But I can tell that it's bound to be・Because I could feel it, child, yeah・On a country road」

二つの歌は、ジョン・デンバーとジェイムス・テイラーのそれぞれ「カントリーロード」について唱った曲である。凡庸な歌詞、凡庸なメロディ、凡庸な演奏の、凡庸なメッセージ、凡庸なスプリットの、ジョン・デンバーの曲は、世界を席巻して、いまだに日本のカラオケリストにも載っている。この歌を歌えば自然派といった気分になったりするのだろう。サラリーマン時代に、俺はこの歌を十八番にしている、団塊の世代の男を何人も見た。

しかし、ジョン・デンバーの曲は空っぽなのだ。空っぽのメッセージを世界中に振りまいた男、それが、ジョン・デンバー。空っぽは無害だ。でも無害は無力だ。無力は矛盾にとって好都合だ。相田みつをだ。

太陽を浴びながら、俺が思ったことは、そんなことだけど、最後に俺の頭の中で鳴ったのは、もうとっくに別れたらしい、アニーさんという、当時の奥さんについて唱った、次のような歌詞だ。

「 Like a storm in the desert・ Like a sleepy blue ocean・ You fill up my senses・Come fill me again」

ほんとはジョン・デンバーさんは全然悪くなくて、ジョン・デンバー的なものを求める俺たちが悪いのだ。

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9日(日曜日)

眠り姫たちに捧ぐ

金土の二日で、3人の女性から、「あなたの夢を見た」といわれて驚いた。
もう6年も前から店に通ってくれているM子さんは、前の晩俺の夢を見て、その夢の中で俺がわんわん泣いていたので心配になって店に来たのだという。
こいつ俺に気があるのかいなと思って、彼女の帰り際に「そんじゃぁこんどデートでもしようぜ」といったら、返答もせずに帰っていった。
起きている間には、俺には興味がないということらしい。

それでもなんとはなくは気分はいいから、(人類の共通意識たる暗在系・無意識の世界で俺が泣いていたということには大問題が隠されているのかもしれないが)、土曜日、いつもの飲み屋にいって、知った女性でもいれば話して聞かしてやろうと思ったら、深夜2時、店の扉を開いた瞬間に、Y子さんに「私昨日、西川さんの夢を見たの」といわれた。
彼女の夢の中で、俺は、ロックバーの他に実はもうひとつ店をやっているのだと彼女に告げ、今度遊びにおいでといわれたので、行くと、それは立ち飲み酒場みたいなちっこい店で、開店時間というのに閉まっており、どうしたのかなぁと思っていると、俺がやってきて、すまんすまんといいながら、店を開けたのだそうだ。
ずいぶん具体的で、俺の性格までを踏まえた夢だ。
Y子さんには、明確に付き合っている男がいるようなので、そんじゃぁ、今度デートしようぜとはいわなかった。
どうせ起きている間には、俺には興味がないのだろうし。

同じ飲み屋でいつもご一緒する、もうひとりのY子さんは、俺が夢に出てきたのは間違いないが、どんな夢だか覚えていないと。けっこう俺の夢を見るそうだ。
Y子さんにはいつも「西川さんは絶対女にはもてない」といわれて、絡まれている。
起きている間には、俺には、確実に興味がないらしい。

眠り姫たちが目覚めずに、ず〜っと眠ってていてくれたら、俺は幸せであるかというと、別に彼女たちの夢に出たからって、なぁんも、いいこたぁない。だけど俺はふたりのY子さんたちと朝の8時まで飲んだのだった。もちろん酒とタバコと睡眠不足で疲れはててぐっすりと眠りこけるであろう彼女たちの夢にきっちり登場するためである。

やつらうなされていたりして。


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13日(木曜日)

通ってきた道は違えども

フィルムセンターの上映は平日の午後3時と夕方6時半、土曜日と祭日は昼の1時と4時の2回というのが不動のパターンで(日月が休み)。となれば、働き盛りのサラリーマン諸氏がまずはねられ、かといって暇を持て余すオバタリアン族が闊歩しているかというと、そんな古くて小難しい映画を見に来るはずもなく、結局、あたりは、映画オタクの少年、青年、中年、熟年、老年の一気通貫という、オイラがいずれも顔をよく知る人々か、たしか60歳を超えていれば入場無料だということもあり、正真正銘暇だから来ているだけのリタイアメント族の初老のオッサンたちの天下になるわけであるよ。
いずれも他に行くところなしということでは、同族だけどね。

そんで、先日、フィルムセンターに、溝口健二監督の1949年度作品『わが恋はもえぬ』を眺めに行ったら、前の席に、リタイアメント族のふたつの禿頭が並んだわけで、あうんの狛犬というか、太刀持ちと露払いというか、後ろから見ていると、とても別人には見えない。
それでしげしげと観察していると、読んでる新聞がそれぞれ、日経と東スポとか、毛深いと毛深くないとか、猪肩となで肩とか、差異を一応発見はするわけです。しかし、まるで、X社の世界地図とY社の世界地図でアフリカ大陸の形が変わらないがごとく、後頭部のハゲ方は一緒。
そして、このふたり、映画が始まった瞬間に、見事に深い眠りにつくところまで一緒で、いびきもかかず、実に穏やかな眠り具合も一緒。こういうのを不動の睡眠っていうのかな、あるいは、磐石の睡眠。ちょうどチンコのあたりで、組んだ手が、方っぽが左手、もう方っぽが右手が上とシンメトリーになってしまうのがおかしかった。

映画が終わって初めてオイラの方を向いた、すっきりとお目覚のふたりは金縁眼鏡、開襟シャツにジャンバーにアスコットタイというファッションに、ベージュ系の色使いまで一緒で、しかし、それぞれがお互い一度も目を合わすこともなく、おもむろに立ち上がって帰っていったのだけど、少々背中を丸める歩き方までもそっくりで、人間の生きていく道など、そんなに変わりゃぁ、しないのよね、結局、なんて思うと、溝口大人の力作にもまして、しみじみとさせられた、夕暮れ時だったのであるよ。


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19日(水曜日)

他殺と自殺で60人死んだ

エジプトの国際的観光地ルクソールにおける、イスラム過激派の乱射テロで日本人10人(18日夕刊現在)を含む観光客60人が亡くりましたが、犠牲者の方々の御冥福を祈った上でこれは、ある意味で自業自得であると言わざるを得ません。
ここから、日本人の犠牲者だけに絞って喋ります。
本当は全面的に自業自得と言いたいのですが、日本外務省と旅行社の責任も明白であるので、ある意味でというのです。

いきなりですが、遺族の皆さん、勝っても命はかえりませんが、この事件に関していえば、原告を旅行社と外務省にして訴訟すれば勝てますよ。
すなわち、エジプトのイスラム過激派が92年ごろに(ごろというのは、当然、今手元にそのエビデンスがないから)、エジプトに観光に来る旅行者は政府の味方、我々の敵とみなしてテロると宣言したことは国際的常識で、小さい記事ですが、僕は朝日新聞でそのことを伝える外伝を読んだ記憶があります。
なんでそんなことを覚えているのかというと、1986〜87年に、僕はカイロに居住しており、僕にとっては、エジプトは第2の故郷なのです。これではしばらく故郷再訪はかなわないなと悲しくなった記憶が鮮明にある。
だから、犠牲者の方々が、出発の前にエジプトがそういう事態であることについて、しっかり説明を受けていたのかが、ポイントです。おそらくそんな説明は受けずに死んじまったのでしょうけどね。
そうなれば、そういう事態であることを百も承知で商売に励んだ旅行社と、1次情報源としてその管理責任のある外務省の責任は免れないのではないでしょうか。
ちなみに、僕は、その間、僕の親族にエジプトに行きたいのだがと相談を受けた時に、やめておくようにと言いました。

しかし犠牲者の方々の、幼稚さというか、いたらなさも、大したものです。
簡単に言えば、自分の命は自分で守る、自分の愛する人の命も自分が守る、という、人間としてあたりまえの心構えが欠如しすぎています。
これだけ、情報の国際化が進んでいる現在、ちょっとテレビを眺め、新聞を読むだけで、世界の動きなど理解できるはずで、僕の知っているだけでも、ここ数年で、シナイ半島でのイスラエル観光者とか、何度もテロが発生していますし、つい最近も、東京でいえば、丸の内のど真ん中に当たる、カイロ博物館前でドイツの方々が殺されたはずです。
それなのに、どうして、エジプトでなければいけなかったのでしょうか?
付け加えれば、アルジェリアやイラクやパレスチナの最近の動向を見ても、中東がやばいのは明白であります。
もちろんここまでに生きて帰ってきている観光者の方が多いのは当たり前で、彼らは確率論的に、運が悪かっただけともいえますが、しかし、明白に観光者はテロるといっている国なんて、世界的に見ても、エジプトだけではないでしょうか? 逆に言えば、エジプト観光から無事ご帰還された方々は、運が良かっただけだともいえます。商社など、現地で働く日本人はたくさんいますが、それは覚悟の上の話で、常日頃の心構えが違います。

ここから、大きなほらを吹きます。当たらないことを望みます。

  ここで、エジプトにおける、貧富の差などをあげて、イスラム原理主義が絶望的な自爆テロに走る背景について持論を述べる気はありませんが、どうやら、中東全体で、一度はイスラム原理主義のドミノ倒しが避けがたいのではないかというのが僕の予想です。
要するに、20世紀の共産主義に(マルクス主義ではありません)引き続き、21世紀にはイスラム主義が人類の進歩の大きな阻害要因になるということで、中国など、引き続き、共産主義は残っていますし、その上で、イスラム革命のドミノ倒しが起こるわけですので、来世紀は、おそらく人類にとってなんの意味のない、100年になります。しかし、次の22世紀には、宗教や人種、経済運営体制など人類をセクト的に分割する障壁を乗り越え、ようやく、人類全体が人類として人類共通の問題にマジメに取り組むという時代が来るでしょうから、まぁ、我慢ということです。
僕たちの曾孫ぐらいがやっと人類になるということで、今のところ、まだ、みんなして人類未満だから、ふらふらと遊びに行ってばたっと死んで帰ってきたりするわけです。

と、ここまで実に悲観的にまとめましたが、いうまでもなく、人類の動向に関係なく、ひとりの個人として、幸福を追求することは十分可能ですので、知恵と勇気を持って頑張りましょう。
みんなが幸せにならなければ個人の幸せがないなんていうのは、宗教家と政治家ぐらいなもので、みんなが勝手に幸せになってしまえば、あっという間に、人類全体が幸せになってしまうし、とりあえず隣人を幸せにすることから始めれば、あっという間に、地球は幸せな人ばかりで覆われるのです。


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23日(日曜日)

狂女の狂った言葉

ここしばらく、何かまとまった知識体系を頭にぶち込んではクリアするというアルバイトの連続である。
今は村上龍の文庫本を43冊読んでいる。先週は南アメリカ各国の経済の現状を調査してた。その前は、『文藝春秋』から『第三文明』まで、月刊誌21誌の傾向分析をしていた。
サイバーパンクといわれるSF小説の世界では、人間の記憶を入れたり出したりして運搬する運び屋が登場するらしいが、今の僕の生活は、ほとんどそれに近い。おまんこや肛門を人に貸して金を稼ぐのもたいへんだけど、脳味噌を貸すのも疲れる。
この疲労感をうまく言葉にはできないのがもどかしいが、新品のごわごわの木綿のGパンが月日とともにみすぼらしくなっていくような哀しみと、これ余っているから喰わない? と弁当を渡され、賞味期限がぎりぎりなので、食い物を腐らせるわけにはいかないという理由だけで、それを喰っているというような得心のいかない気分が、自分の頭蓋骨の中で発酵しているような感じなのだ。だいたい客観的に自分の脳味噌のイメージが浮かぶこと自体が尋常ではない。地球は青かったといったのはガガーリンだったか? 今の僕の脳味噌はきっと疲れたどどめ色しているであろうとの実感がある。

「西川さん、知性には限界がないから、いくら酷使してもいいけど、感情には限界があって直ぐすり切れるからけちけちして使わないとダメよ」と、暗闇の中、黒ずくめに黒いサングラスで、うつむいて、僕に語った女性が、精神のバランスを崩して病院に入ってから、そろそろ1年が過ぎた。もう出てきているのかしら? おそらく、もう二度とお会いすることもないような気もするのだが、もしそんな機会があったら、それは間違いだよ、逆だよと、しっかり伝えなければいけないと思いながら、村上龍を読んでいる。

僕の頭脳は完全に占領されていて、他に何も考えることができない、しかし、感情は僕の自由のままで、僕は、死や、友や、ロックや、他の女性のことを考えていて、ふと、涙を流したりする。自分の本当の感情を知るためには、脳味噌をレンタルに出すのも悪くないというような、感情さえ浮かんだりしている。

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29日(土曜日)

リンゴをふたつ買う男

とぼとぼと歩くのです。
店に客がふたりしかいないのです。
コモンストックはロックバーであり、卓球場ではないのです。
ダブルスするわけにもいかないのです。
だからとぼとぼと歩くのです。
店はAに任せて、僕は、帰ってアルバイトをするのです。
ありがたいことにバイトはあること、それに、客が来なくて帰れることによりアルバイトが進むこと、それはそれで、ありがたい気もするのですが、やはり、本末転倒なのです。
それでとぼとぼと歩くのです。
ON THE WAY HOMEに、ほぼ、24時間対応のディスカウントストアができたのです。
お米とトイレットペーパーを買うのです。
お米は2000円弱、トイレットペーパーは200円弱。
両必需品とも、たいへん安くて助かるのですが、なにか、推理小説を逆さまに読んでしまったような気もして、げんなりとしないこともないのです。
だからとぼとぼと歩くのです。
蛍光灯が眩しい店の中では、日本人が少数派です。
アジアの人たちが元気よく買い物をしているのです。
少なくとも、僕には、夜中に大きな冷蔵庫を買う元気はないのです。
冷蔵庫がトイレットペーパーの山のすぐ近くに並んでいることもあってか、超大作のハリウッド映画の予告編を見ているような気がするのです。
それで、レジがうまく進まないのです。
言葉の問題もあるし、お金を払っている最中から連れがばんばんばんばん、追加の買い物を持ってくるので、彼らの買い物は永遠に終わらないのではないかと思ったりもするのです。
でも、僕は、元気のいい人たちを見ていると、心やすらぎます。
だからいくらでも待ちます。ねぇ、お願いだからもっと待たせてください。
しかし、僕のひとつ前で、待たされている男は、露骨にイライラしているのです。
彼の買い物は、リンゴがふたつ、125円です。
ようやく彼の順番が来て、僕の順番ももうすぐなので、僕が、バイトの段取りなど考えながら待っていると、レジのいかにもやる気のなさそうな、日本人まるだしの若いお兄さんが、彼のおつりを間違えたのです。
どっちにしても、うん円レベルの話で、うん十円にもならない話なのですが、彼は激怒して、なめんなよと凄んだのです。
買い物を済ませた、僕は、バイトの待っている部屋に向かってとぼとぼと歩くのです。
すると、交差点のはしで彼がたたずんでいて、とてもきれいな女性が、お待たせしましたと謝りながら、横断歩道をかけてくるのです。
僕にではありません、彼に向かってです。
彼は、とてもやさしい仕草で、彼女にリンゴの入っている、レジ袋を渡しました。
そんな彼は、彼女といちゃつく際に、あのリンゴを使って、ほ〜ら金玉が4つとか、こんなに金玉が大きくなっちゃったな〜んちゃってとか、そんなことをしてふざけたりもしないでしょうから、別に気にすることもないのですが、こちとらときた日には、よりいっそう、お米が軽くトイレットペーパーが重く感じられてきたりして、いたしかたもなく、しょうもなく、僕はとぼとぼと歩くのです。
あの女の人が、あんなにきれいでなければ、僕も、もう少し救われたような、気はします。

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