しじゅうから公園

 西武新宿線柳沢駅の南口ロータリーを渡って、柳沢公民館の脇を抜けると、巨大な都営マンションの谷間にしじゅうから公園が現れる。広々した広場を中心に、北側には藤棚とベンチ、西側には砂場などの遊び場がある。この遊び場には、木でできたアスレチック風の設備や、どうやって遊べばいいのか理解に苦しむ、オブジェと言ってもいいような前衛的なものまで置かれていて、充実している。私が行ったのは四時頃だったが、小さな子供たちが走り回って遊んでいた。そのすぐ近くには、お母さんと思われる若い主婦の人達が十人以上も集まって、何か立ち話をしていた。皆さん、都営団地に住むご近所同士と思われるが、部外者にはちょっと近寄りがたい濃厚な雰囲気が漂っている。いわゆる「公園デビュー」というのは、きっとこんなお母さん方の輪の中へ、初めての人が子供を連れて入っていくのに違いない。

 ふらっと公園に立ち寄った人には、西側の入り口付近がおすすめである。鳥と戯れる子供の像を中央にしたちょっとした空間があり、しじゅうから公園の待合い室といった趣である。子供たちの遊び場から、少し隔てられていて、静かである。広場の南側には、小綺麗なトイレの建物が置かれているので、その点でも安心である。

 公園の東側は道路と面しているのだが、両側に低木を植えた緑道を作って、広場の空間が直接外の歩道や車道と混じり会わないように配慮されている。この緑道は短いけれど雰囲気があってナイスである。この緑道のつきあたりの公園北東側入り口には、四匹のしじゅうからのオブジェをあしらった手すりがある。また、しじゅうからの絵の描かれたタイルが何カ所か、地面に埋め込まれているので、探してみるのも一興。

 しじゅうから公園のように、完全に整地を行い、タイルを貼って舗装し、花壇に木や花を植え、戯れる子供のモニュメントを設置するようなタイプの公園は、保谷では意外と少ない。住吉森林公園や東伏見公園のように、その場所のもともとの地面や樹木を残して、ちょっとしたベンチやテーブルを置いたようなタイプのもののほうが多いように感じる。そういった公園の土や木からは、武蔵野がかつて持っていた自然の息吹がほのかに感じられて、案外いいものである。

 それに比べると、しじゅうから公園は、いわば「都会的な」公園といえる。つまり、その場所の本来の匂いのようなものを一切消し去って、人工的な環境をそこに構築する「ディズニーランド的」な公園である。そのよく飼い慣らされた環境--ブランコやすべり台だけでなく、そこに生えている草や木の一本一本に至るまで計算された環境--の中で、ある種の都会的安心感に抱かれながら、随所に散りばめられた設計者のさまざまな計算や仕掛けと戯れて、楽しむことができる。

 そういうタイプの公園が好きか嫌いかは別にして、しじゅうから公園の発想には、公園というものが宿命的に持っている本質が如実に表れていると思う。ある場所を公園にするということは、程度の差こそあれ、その場所の自然に人工的に介入して、そこに人間にとって都合のいい人工環境を創ることではないだろうか。たとえ公園設立の目的がその場所の自然保護であったとしても、保護すべき「自然の状態」を人間が自身の意志で選択し、その「自然な状態」が人間の保護という人工的な介入なくしては存続できないのだとしたら、その「自然な状態」は人間によって創り出された人工的な環境といわざるを得ないだろう。ましてや、武蔵野の自然をほとんど潰してしまった後に、そこに公園を造って、植林して「武蔵野の面影を残す」林を復元しても、それはあくまで人工的な林であって、ディズニーランドの人工的なジャングルと大差ないのではなかろうか。

 公園というのは、自然と共存できなくなった現代文明が生み出した、一種の共同幻想なのかもしれない。人々はそこで、この社会にも自然というものがまだまだ残っているのだという幻想を見たり、あるいは逆に、失ってしまった自然のことを一切忘れて、そんなものがなくても結構楽しくやっていけるんだという幻想を見たりしているのかもしれない。そして、その幻想の根底には、大規模に破壊してもう二度と戻ってこない自然に対する罪悪感と、これからも自然を失い続けていくことへの言い知れぬ不安が渦巻いてるように感じる。

96年12月


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<ひばりが丘通信>