過去の事例に学ぶ

1999年4月11日

MZの再興を考える上で、過去の失敗を繰り返すことは避けなくてはなりません。 そこで、過去の事例について検討することにしました。 事例としては、MZの他、NECの注目すべき失敗例のPC-8001mk2、そして、 MZが落ち目になっていった時期に勢力を伸ばしたFM-7とX1について考察しています。 なお、当時のパソコン界についての知識がある前提で書いてあります。

MZ-2000 MZ-2500 MZ-700 PC-8001mkU FM-7 X1(執筆中)


MZ-2000 … 富士川の合戦

なぜMZ-2000がいきなり失敗事例なのか疑問に思う人がいるかもしれない。 たしかにMZ-2000自体は不人気機種ではなかった。 しかし、8ビットパソコンでMZが没落していくきっかけになった機種は、 MZ-2000であると考えられる。 いわば、栄華を極めていた平家が滅亡するきっかけになった、 富士川の合戦のようなものである。富士川での敗戦は、 当時の平家にとっては小さいことだったかもしれないが、 それが没落への序曲であったように…。

MZ-2000は、MZの最高傑作 (と勝手に思っている) MZ-80Bの後継機として、 MZ-80Bより1年と少し後に登場した。 MZ-80Bの後継機というだけのことはあって、それなりに人気はあったが、 残念ながらMZ-80B時代の人気には及ばず、MZをさらに繁栄させるには至らなかった。 MZ-2000の問題点は、イメージとは裏腹に、 MZ-80Bとの互換性があまりなかったことである。 グラフィック機能がハード的にMZ-80Bと互換性がなかったため、 マシン語等でグラフィックを直接描画するプログラムを MZ-80Bと共用することができなかった (MZ-80Bは320×200ドット固定、MZ-2000は640×200ドット固定)。 BASIC言語で書かれたプログラムの互換性は100%と言ってよかったが、 当時でも少し気の効いたゲームプログラムなどは マシン語を使用していたので、MZ-80Bとの互換性は中途半端であった。 この中途半端な互換性のために、 MZ-80B時代のソフトウェア資産を十分に引き継ぐことができなかったばかりか、 多くのユーザーをかかえるMZ-80Bと新機種MZ-2000の共用ソフトを作ることも難しく、 結果として、MZ-80BからMZ-2000への世代交代につまづき、また、 MZ-80Bの現役機種 (現行機種ではありません) としての寿命を縮めてしまった。

MZ-80Bとの互換性が不十分な割には、 設計の古い部分をそのままにしてしまったところもあった。 カラー表示機能である。 MZ-80Bの画面表示能力は純粋にモノクロであったが、 MZ-2000はモノクロ前提の基本設計はそのままに、中途半端にカラーに対応した。 例えば、キャラクタ画面の色指定が画面単位である (画面のキャラクタが全部同じ色で表示される) などである。 グラフィック機能は8色対応であったが、 G-RAM (グラフィック用のV-RAM) がRGBの各プレーン毎にオプションで、 しかも付属のBASIC言語がモノクロ仕様のものだったので、 ハード、ソフト共にカラー対応に色々問題があった。 せっかくグラフィック表示回りをMZ-80Bと非互換にしたのだったら、 カラー表示関係も設計しなおすべきであった。

MZ-2000以前にも、過去の機種と互換性のなかった機種がある。MZ-80Bである。 しかし、MZ-80BはMZ-80K/Cより2年以上後に出た機種であり、 MZ-80K/Cの後継機ではなく並行して販売された上位ラインナップである。 MZ-2000は、発売後数ヶ月は、 MZ-80B時代の名声?もあってかそれなりに人気があったが、 その後FM-7やX1が登場してからは人気にかげりがでて、 MZ-2000とフルコンパチブルの後継機MZ-2200の不発へとつながっていった。 MZ-2000がMZ-80Bとの世代交代に失敗したことが、MZ没落への序曲であった。


MZ-2500 … 壇ノ浦の戦い

MZの成長にかげりが見えたMZ-2000が「富士川の合戦」だとすれば、 MZ-80Bの末裔でMZの没落を決定的にしたMZ-2500は「壇ノ浦の戦い」である。 MZ-2000とMZ-2500の間の機種であるMZ-2200が鳴かず飛ばずで、 MZ-2500までの2年間ロクに手を打たなかったあたりは、 まさに都落ちをして敗走を重ねた頃の平家そのものである。 繁栄の頂点だったMZ-80Bは、平清盛といったところか。 もっとも、平清盛の時代には源氏は落ちぶれていたのに対し、 MZ-80Bの時代にもNECのPCシリーズは順調であった。

MZ-2500の敗因は、登場したタイミングの悪さにつきる。 MZ-2200が不発であったことは早い時期に明らかであったので、 早ければMZ-2200の1年後ぐらいに、 遅くともPC-8801mk2SR等と同じ時期には後継機を出すべきだったのである。 もちろん、現実のMZ-2500より早く出す以上、性能が劣るのは承知の上である。 MZ-2500は、MZ-80B互換モード、MZ-2000/2200互換モードを設けていた。 しかし、MZ-2200の長い低迷時代を経た後となっては、 従来機との互換性はあまり売上に貢献はしなかった。 MZ-2200の1年後ぐらいに、MZ-80BやMZ-2000/2200と互換性の高い機種を出していれば、 まだ間に合ったかもしれない。 MZ-2500が出るまでの間、MZにはまともな機種がないという状態がつづき、 その間に買い換え時期が来たMZユーザーは、 仕方なくX1をはじめとする他機種に流れていった。 自分もMZからX1に流れた人間の1人であるが、その当時、 どうせMZを捨てるのだからということで、 NECの機種に鞍替えすることも真剣に考えた。

MZ-2500自体は、完成度の高い機械である。MZ-80Bの再来と言ってもよい。 MZ-80BとMZ-2500の間にユーザーをつなぎとめておける機種があったら、 MZ-2500の未来も変わっていたかもしれない。 とはいえ、MZ-2500が登場した時期は、PC-6001シリーズや FMシリーズまでもが淘汰されていた頃であったので、 どっちみち厳しかったのかもしれない。


MZ-700 … 二兎を追う者は一兎をも得ず

MZ-700は、MZが低価格機への参入を計り、失敗した機種である。 この機種は、設計の方向性に問題があったと考えられる。 MZ-700には、NECのPC-6001の対抗機としての側面と、 MZ-1200 (MZ-80K/Cシリーズ) の後継機としての側面があり、 これらを両立させようとしたことが誤りであった。

PC-6001の対抗機としては、低価格でおもちゃ的な要素のある入門機が求められる。 MZ-80K/Cの後継機としては、 マニアの使用にたえられる堅実な作りの中級機が求められる。 MZ-700は、入門機の値段で中級機の作り方をしてしまい、 入門機としては地味な機械になってしまった。 最大の問題点は、グラフィック機能がなかったことである。 安い値段で堅実な作りをしたつけが回ってきたのであるが、 当時は、入門機だろうが中級機だろうがグラフィック機能は当たり前になっており、 MZ-700は大きなハンディを背負うことになってしまった。 グラフィック機能がないことを除けば中級機に遜色のない機械であるが、 これでは画竜点睛である。

PC-6001は、中途半端ではあるが色々な機能があり、 料理で言えばお子様ランチのような機械である。 入門機としてはツボをおさえているといえる。 MZ-700は発売当初の出だしは悪くなかったが、 これはMZファンだがお金のなかった人達が、 低価格のMZという理由で飛びついたからであり、 入門機として評価されたからではないであろう。 入門機市場に参入したいのであれば、 ちゃちでもいいからハデさと遊びの要素のある機械にするべきであった。 MZ-80K/Cの後継機にしたいのであれば、 もう少し値段を高くしてでもグラフィック機能を搭載し、 FM-7等と互角に戦える機械にするべきであった。

潜在的な敗因として、MZ-700が後発機であるということが考えられる。 MZ-80K/CにせよMZ-80Bにせよ、 それぞれNECのPC-8001, PC-8801より先に登場した。 結局は後から追ってきたNECの機械の方がメジャーになるのであるが、 それでも先発機の勢い (最初の貯金) で善戦した。 しかしMZ-700は後から追おうとした機械であるため、 NECの機械に追いつくのは所詮無理な話だったのかもしれない。 このことは、PC-6001mk2を追おうとしたMZ-1500、 PC-9801を追おうとしたMZ-5500にも当てはまる。 後手に回った時点で勝負は決まっていたのかもしれない。


PC-8001mkU … 氏より育ち!?

MZではないが、不発に終わった機種としてPC-8001mk2の事例は重要である。 王者NECが、あの名機PC-8001の正統な後継機として出した機械である。 PC-8001との互換性も全く問題ない。この機種はなぜ失敗したのであろうか。 鍵を握るのはFM-7とPC-8801である。

PC-8001mk2は、同時期に登場したFM-7と比べてスペックが見劣りした。 グラフィック機能がPC-8001mk2が320×200ドット4色なのに対して、 FM-7は640×200ドット8色である。 サウンド機能もPC-8001mk2がビープ音なのに対して、FM-7はPSG搭載である。 FM-7の派手な宣伝攻勢もあり、パソコンの新規購入層を食われた格好になった。 PC-8001mk2にはPC-8001後継というアドバンテージがあったが、 実際には思ったほど活かせなかった。 というのも、新規購入者はともかく、 PC-8001ユーザーの買い替え需要は上位ラインナップのPC-8801に流れたからである。 PC-8001mk2はPC-8001の純粋な後継機ではあるが、 ターゲットユーザー層はPC-8001よりも若干入門層側にシフトした。 このようなPC-8001mk2は、 PC-8001を使い込んだユーザーの買い替え対象としては物足りなかったのであろう。 PC-8801は高価であったが、すでにPC-8001を所有しているユーザーにしてみれば 無理に急いで買い替える必要はないので、 じっくりお金をためてPC-8801を狙ったのだろう。

PC-8001mk2が性能的にモノ足りず、FM-7に負け、 PC-8801にPC-8001後継の地位を奪われたのも、 恐らくPC-8001mk2を設計するにあたって 上位ラインナップのPC-8801との競合を避けようとしたからであろう。 結局、PC-8801の足を引っ張らないという狙いは達成したが、 FM-7の台頭を許すことになってしまった。


FM-7 … 抜群の戦略

MZシリーズ、そしてPC-8001mk2がコケたのは、このFM-7の存在が大きい。 いったい、なぜFM-7が勝者となったのであろうか?

FM-7でまず思い浮かぶことは、テレビCMや雑誌での宣伝攻勢である。 タモリを起用した「富士通の興奮パソコンFM-7」の宣伝が、 コンピュータに興味を持っていた新規購入層の心をとらえた。 「セブン」という機種名(型番は、MBM25010?とかいうのであるが) の印象の良さもプラスになったかもしれない。 もちろん、宣伝や名前だけではなく、スペックもイメージを裏切らないものであった。 高級機であるPC-8801やFM-8に遜色ないスペックが、 中級機としても安い値段で手に入るということで、 価格対性能比はカシオのFP-1100と並んで抜群であった。

FM-7に欠点がなかったわけではない。 ゲームに不向きのキーボード(ジョイスティックもつなげない)、 本体内蔵スピーカーの音の悪さ、 F-BASICのペイント機能でタイリングペイントがサポートされていないなど、 冷静に見るとアラが出てくる。 しかし、幸運なことに、 これらの欠点は「これから買う人」に対してあまり目立たなかった。 買って、使い込むようになってから「なんだこれは!」 と落胆した人もきっといるのではないだろうか。 キーボードやスピーカーの問題は、コストダウンとはあまり関係ないので、 設計方針の誤り!?であろう。

先に名前を出したが、価格や性能で互角であったカシオのFP-1100は、 残念ながら全然売れなかった。 FM-7との明暗の差は、宣伝攻勢やイメージ戦略の違いが大きいと思うが、 それだけではなく、FM-8の存在もあるだろう。 FM-7の先代のFM-8は、地味ではあったが、それなりの実績のある機械であった。 いきなりポツンと登場したFP-1100と、FM-8の後継機として登場したFM-7では、 少し知識がある人ならFM-7を選ぶであろう。 結局、宣伝攻勢・イメージ戦略と、それを裏切らないだけの値段とスペック、 幸運にも目立たなかった欠点、そしてFM-8の実績により、 FM-7の大成功は生まれたと考えられる。 先代のFM-8は、あまり儲からなかったかもしれないが、 実績を作った上で、 FM-8の重厚長大なイメージを一新したFM-7が大ブレイクしたという事例は、 非常に注目に値する。


X1 … ?

執筆中 … FM-7に比べると、正直なところよく分からない。


MZ再興事業団に戻る。 Spring Daydreamに戻る。

Spring Daydream banner argo mark