01.9/16(日); 96; Delphi6怪しや

Delphi道・破っ壊道(疑惑)

どうもDelphi6 Personalが怪しい。インストールの途中で「何とか.dllを書き換えなさい(推奨)」みたいなDialogに[はい]するとs30の[E][Q]が壊れる、のではないか(疑惑)。
同時に(リブートしないで前後して)Netscape6.1も入れちゃったから、こっちかもしんないけどね。容疑はDelphiのが強い。

でまたさっきからs30の回復プログラムを動かしているのであった。今日の外出(10:30-20:30)開始予定に間に合うだろーか。

お陰で「目がテン!」観忘れる。

しかし何かのドライヴァやファイルのためにキイトップと入力文字がちぐはぐになったりするかなあ。そんなだったらこの先インストールがおっかなくてしようがないもんねえ。偶然熱暴走の温度に達したとか、別の要因かもしれない。[Q]が押されたっていう信号がキイボードから来ない限りは"q"は打たれようがないよねえ。

やぱしキイボードおかしくしといて修理に出して物理的に交換すべき? それをやるにはおれが外科手術で1箇月拘束される微妙な期間に過ぎるのであるが。

「nash bridges」署長暗殺(2)。Evan殉職。

回復プログラム終わりゃしねえ。お陰でnashを病院で観られた、飯なしでね。しかも"q"連続入力が解決(初期化)されていない。最悪の展開だ。
もういちど回復プログラムを走らせ、その間おれはウチに帰ってs30にインストールすべきアプリの素を採ってくることにする。

これも男の生きる道|橋本治|ちくま文庫――電車で読む本を持ち出し忘れて。
ゴルゴ13(ビッグコミック別冊; 133)|さいとう・たかを|リイド社――軽装版の奴をコンビニ買い 。

本屋でXHTML本を捜したがまだ何も出てきてないようであるな。OS/2本も見なくなったな。

ウチの3010CUにPCカードのEthernetカードを食わせたら悪いタイミングでフリーズしてクラッシュ。これの回復も初期化再導入しかもDOS仕込みからやるしかないのだ。専心して2日かかる。もうどうとでもしやがれ。

CD-ROMを拾ってくるだけでは余りに虚しいので髪を刈るつもりだったのにあいにく日曜で込んでいる。先客が待っているようではおれの終了時刻が読めないから入れない。ステロイドをやるようになってからおれの髪は乾くとき必ず外側に向かって大きく跳ねるようになっており――何でもステロイドのせいにするな――伸びてくると頭を洗っても洗わなくても見苦しいのである(そりゃ洗ったほうがマシだが)。そろそろ限界なんだが。限界なんだがと玄海灘は似てるな。結局それも適わず虚しいまま早早に帰院。
入院以来最も実り少なさを感じる一日だった。

この入院プラスな面をまったく見いだせないのだけれど、この無為な4箇月(になるわいな)はこれまでのご褒美かこれからの前払いかどっちだ。
入院しないでいたら7月の熱波で死んでいたのかもしれぬ。8月に狩られていたかもしれぬし9月に台風で看板が飛んできて頭にヒットしたかもしれぬ。所詮この世はLet It Beなのであるがおれの判断に誤りがなかったかは気になるところだ。


「ガキの使い」久しぶりにフル_トーク。スペイスシャトルは月には行かへんで。


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01.9/17(月); 97; Delphi6無罪

おDelアphiに見る阿呆
Yeah! 愛し合っDelphi?


もうひと晩かけて回復プログラムを走らせ全てが無に帰したところで――いやCドラの工場出荷状態だってば――試してみるに、[E]の後"q"が続くことはなくなったが[Q]キイに全く反応しないのは再現した。Win2K起動時のLoginパスワード欄に勝手に何か連続入力されるのも同様である(ここで"qqq…"が投入されているらしい)。
Delphi6 PersonalはDドラに居たのをとっくにuninstallしてあるからこの件に無関係であると立証できた。あっただいま建物から関係者が走り出てまいりましたっ、「無罪」、「無罪」と書かれた紙を持っておりますっ。

s30修理に出そう。おれが増設した128MBメモリは引っこ抜いといたほうが良いだろな。DドラとEドラを作ったのはおれの裁量権でIBMの保証外とはならんだろう。回復プログラムを動かしても生き残ったんだし。

修理に出すのは諸もろ用事の溜まった20日で良いだろう。単車の任意保険・家賃の振込があり傷病手当申請があり貯金通帳記入があり散髪がある。ウチまで帰る意義は小さいが、前夜の「松本紳助」が遣えなければvaio-RのHDDから消しておくという作業は軽視すべきでない。


右隣のベッドに20代学生と思しきヒトが編入。個室から大部屋に入れるくらい快復したなどと不気味なことを言っている。マイコプラズマってよく聞くけどよく解らん。憤死した舞子さんの人魂かしら。そんなものが憑いたら確かに厄介そうだ。

******くんがDVR-7000を買ったらしいので大変たすかる。おれが助かがってどうする。取りあえず01.9/22・23の「NHKスペシャル」は押さえといてもらおう。
おれ自身はvaio-RXの新型を買うか外付けDVD±RW/Rドライヴの追加してDVR-2000を編集から解放してゆく方針(ダビング_マスタの録画はするよ)。今ウチの2000番は120分ディスクに100分録りと、ちょっぴり高画質に振った転送レイトをデフォルトにしている。


ラジオ名人寄席『小倉船』『七度狐(1)』2代目百生。また途中でニューズ入れやがった。ぜったい嫌がらせだな。『七度狐』は米朝・小南で聴いているが、きっちり7回化かされる高座は知らない。これも全部はやらないだろう。
A. C. クラークの特番があるはずだったがNY証券取引所再開のニューズに差し換わっている。んちっ。


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01.9/18(火); 98; 3F胸部外科は素早い

寝たきりとネタ切れは似ていて厭だな。


01.9/21の抜歯用に抗生物質の服用開始。セフゾンカプセル100mg1錠を朝昼夕晩4回×3日間のむ。
永久歯の抜歯ということでは親不知2本を経験済みだが、こんな処方は今までなかった。ステロイドのせいかな。


さて外科手術日は01.9/25(火)であるらしい。内科の主治医が回診に見えたので「手術日はいつになりましたか」と訊いたのだ(おれの言い回しと、訊かなければ教えてもらえなかったに違いないことに注意)。
最初「連休明け」と聞いたので何箇月も先に意識が飛んだのであるが、勤労感謝の日が今年は日曜日で月曜振替休日だったのだなあ。
あ・もう来週ではないか。

入院費請求(01.9/1-10分)。即日支払い。
請求書は婦長さんが各人に配って回るのだ。そして明日4F胸部外科病棟に転入することになった旨うかがう。えー、ここ(12F呼吸器科)が良いなあ。どどどどど←皆さまが転ける音。

4F? 3F? 4Fらしい。胸部外科の診察室と手術室とICUは3Fだが病棟は4Fだそうだ。歯医者に通いやすいな、って後1回だけだよ。

病棟引っ越しのために荷物を纏めようとして意外に嵩張っているのに気づく。
XML関係の本が溜まっているのはある意味かっこいいが、読むべき箇所がちょっとづつの分厚い本の束という正にお荷物。
それから悩みの種がs30。これから1箇月は引き取りに行けないだろうから修理に出すのは諦めたんだけど、だからってんで20日の外出でウチに持って帰っておくのも寂しいなと。[Q]の入力さえなければ使えるしー、20日は当面不用本の持ち出しで既にデイバックぱんぱんだしー。


20時のネブライザで******さんに会えたので一応お別れのご挨拶。

ラジオ名人寄席『七度狐』(2)、2代目百生。昨日の続き。

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01.9/19(水); 99; 病棟引っ越し

引っ越し生ける者


朝から忙しい。
毎月曜日のはずの採血とレントゲンが何故か今日にずれ込んでおり、手術後のリハビリとして呼吸法の説明があった。チャクラを練るという奴だな。←違う。
そう言えば今週は火曜日の呼吸器部長回診もなかったなあ。
馴れた12Fに居る内にシャワーと洗濯。
荷物を纏めかけたが1回で移動するにはつらい分量。2回に分けると決めればルースなパッキングで済む。退院のときはキツキツに1パック詰めたのを宅配便でウチに送ろう。

14時に引っ越し。ワゴンを借りられて背負えない荷物をみな載せて******さんと一所に4Fに降り、移管される。
6人部屋におれともうひとり同時に入って5人。3人×2列でおれは戸口からすぐ右手の角。幸い右隣が空きベッドで左側に洗面台である。


リハビリで学ぶ呼吸法というのは以下の7種。
(1) リラクセーション
(2) 腹式R(呼吸)
(3) 深呼吸
(4) 排痰 1) 圧迫
2) ガーグディング
3) ハッフィング
(5) パニックから良い呼吸へコントロール
(6) ネブライザ時呼吸法
(7) インセンティブ スパイロ メータ

要は呼吸機能が下がるような、浅い軽い(安静時には)楽ちんな胸式呼吸に固着してしまわないよう意識的に呼吸しろということである。波紋を練るという奴だな。←違…わないかも。

以下おれが忘れてしまわないようメモ。
(1)は術後目覚めたときICUの景色にびっくりするなということ。
(2)は吸気のとき意識的に腹を膨らませるようにすればOK。
(3)は術後1日目と2日目の午前中に、朝おきて(2)を深く溜める(吸気したら5秒間息を止める)のを1時間毎に5〜10回やるというもの。
(4-1)は痰が絡んだとき胸を掌で圧迫して激しく咳込まないようにすること。(4-2)は普通にゲヘンという咳払い、(4-3)はフゥッと吐き出す感じ。(4)項は択一ぢゃなくて痰が出ればどれでも良い。
(5)は胸式呼吸に陥った場合の脱出法。口を窄めて吐いて意図的にいったん呼吸回数を減らす。
(6)は吸入処置中の(2)。
(7)は初耳だな。吸気量を量るMade in the U.S.A.な器械である。「コーチ」(Coach2)と言えば判るヒトには判る有名なものらしい。術前・後で吸気量の落ち具合とリハビリ回復具合を測定するために買わされたのだ。3000円もしたぞ。今日現在おれの通常の吸気量は1500〜1750ccと判った。吸気速度インディケイタに当たるプラ片がカラカラ鳴ってやかましい。こいつの出番はICUから戻ってから。

買わされたと言うと、外に浴衣・胸帯・T字帯。いづれも術後ICUに居る間のコステュームである。
シャツに短パンではダメで前開きになるワンピースの浴衣でないと体中に挿すドレインを捌けないようだ。「Lサイズ長身用」で2.7K円。
T字帯はいわゆる褌ね。250円×3本。
さて胸帯も3枚用意しろと指示が出ていたので買い出しに行くと、病院売店では7650円もするのであった。な・7650円!? ×3枚! 10枚セットなどではない。こんなところでボるとは酷い。高が三角巾のでかいのぢゃないの?
くっそー足元を見やがってと思うが開胸するような大手術で必要なのだと言われれば仕方がない。これは是非レジでイヤミを言わねばならぬと構えていると、何のことはない、765円の値札打ち間違いなのだった。これ心臓発作の患者だったら医療事故になっていただろう。
胸帯って自然気胸のときもしてた筈だがどんな物だったかぜんぜん憶えていない。いま広げたら二度と畳めそうもないので開封して名前を書き込んだだけにしてある。


*****さん経由で「混沌の屋形船Direct:電池の話をしよう」(http://www.zdnet.co.jp/macwire/0109/14/)。なるへそ。
おれもフジフイルムのデジカメDS-7の大食いには呆れ返ったものだ。幸いインドア派なのでACアダプタを引きずっていれば良かったが、頻頻と持ち出すようならアルカリ電池は使っとれん。しかしながら当時はまだニッカドが主流ぢゃなかったかな。

「リチウムイオン」で単三・単四電池型1.5Vのはないんですかね。どして「ニッケル水素」は1.2Vなんですかね。おれはそこが解らない。何故にアルカリ乾電池と同じ規格で作れないのだ。
もうひとつ。各社充電器は自社製電池以外つかうなと縛り(脅し)を掛けてるね。どうせブラフなんだろうけど実に気に入らない。

えー、おれ的には「充電池」のほうが一般名詞としてしっくり来ます。
初めて「二次電池」と聞いたときには、何かのシムテム装置内に組み込まれて取り外せない、電解コンデンサ的なパーツを想像しました(「トランスの二次コイル」みたいな感じ)。


ラジオ名人寄席、青空千夜一夜。4Fに移ると俄然AMの入りが悪くなった。


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01.9/20(木); 100; 大台に乗ってしもうたか。

曲者ぢゃ、皆の者、出AirH"っ、出AirH"っ。


外科病棟って体温訊いたりしないなあ。
どうもPCを使って遊べる雰囲気ぢゃないね。s30関係は今日の外出でウチに持ち帰っておいたほうが良さそうだ。XML本も2冊のこしとけば充分か。大荷物になるけど体力的に今日がラスト_チャンスだろう。退院時はへろへろだろうからさ。


何ですってえー。おれの掲示板の***********さんの書き込みに仰天。先週来Asahi-netがAirH"に対応ですと。
ぬう、おれ外出のたびにasahiのweb覗いてチェックしてたんだけどなあ。それに事前に広報emailが来るだろと高をくくってたし。知らんかった知らんかった。
CFカードのアンテナは出たんかいな。まぁハードウェアはともかくasahiのほうへは申し込んどこう。と思ったらasahiのほうは何も手続きしなくてアクセスポイントを替えるだけで良いのね。
こうなるとs30の故障が痛い。VISORではAirH"できんし。全ては退院後か。


ちうわけで恐らく術前最後の、ひょっとしたら最期の「外出」。メインは諸もろ振込と01.9分の傷病手当申請、そして散髪。

郵便貯金の通帳記入をして、ひとまづ取引実績を上げる。

今日の愉しみ
けだもの会社(3)|唐沢なをき|集英社――あっ、完結っ。

自社に立ち寄って9月分の「傷病手当支給」申請書を提出。ここもNimdaにやられて数日来おれが打ったemailは総務に全く読まれていないと判ってがっくり。********にご挨拶。

家賃と自動二輪の任意保険の振り込み。
月記などで何度か書いたことだが、街中を走っているバイクの6割は任意保険に入っていない。排気量を問わず単車にはなるべく近づかないこと。
善いライダ・悪いライダの簡単な見分け方としては、夏でもグロウヴをしてるかどうか。真夏に肌の露出の少ないヒトは単車と長く付き合う覚悟ができていると考えて良い。冬場は…とにかく近づかないコトだな。

ウチの近所の床屋に寄り――今日は凄え暇そうだった――デフォルトで七・三分けぽくされたのを掻き壊しながら帰宅。日経バイトほか有益無益玉石混肴な配達物が郵便受けにオラオラオラオラオラオラオラオラと叩き込んであり、抜くのに難渋する。LPガス使用量のレシートが0cm^3なのににんまり、って基本料金は取られちゃうのが憎い。

HotSyncしてweb徘徊して入院日記を上げたりしてたらすぐ撤収時刻。s30関係はやはりウチに残しておこう。退院までPCモバイルを諦める。
DVR-2000の録画予約から「目がテン」を外して『ヒカルの碁』にシフトしておく(尤も10/10までの2週は無駄録りだ)。
掲示板でAirH"やJust Arksの情報いただく。生還と退院の励みとしよう。

開胸して肺を部分切除するとなると、昨今の外科手術の侵襲抑制傾向も何もない。娑婆の見納めの可能性は低くはないんだよな。

******駅構内の本屋で時間調整しつつ20時ちょい過ぎに帰院。4F病棟には慣れていないので、「帰ってきた」感に乏しいのだった。


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01.9/21(金); 101; 麻酔を聞いたり訊いたり効いたり切れたり

何はともあれ麻酔っ献


書くのを忘れていたが01.9/19からプレドニン(ステロイド)が減っている。毎朝5mg×3錠だったのが、隔日で2錠の日が挟まるようになった。01.9/19に2錠・9/20は3錠・21は2錠…の要領である。
ここで甘いなと思うのは、日付と錠数の関連付けである。2錠の日と3錠の日は逆にすべき。奇数日に奇数錠のむよう処方したほうが憶えやすく間違えにくいということだ。大の月と翌1日で奇数日が連続するけれど、そんなのは誤差の範疇である。

2番目に使い勝手の良い腕時計・セイコーA828-400Aの竜頭に当たるボタンのキャップが取れてなくなってしまい、各モウドでの[START/STOP/SELECT]が非常に困難になった。VISORのスタイラスのリセットピンで押せなかないが、指や爪では届かない。1番目に使い勝手の良いALBAはウレタンバンドがちぎれて装着不可になっている。
でもまぁ交換しにウチに帰る機会はもうないな。
そう言えば昨日スポーンぢゃなかったスーントの腕時計を見かけたん。他人が装着してるのをすれ違いざまに見たくらいでも特徴的な水準器でそれと知れる。表示がでかくて時計単体は良かったが、ありゃ人(にん)を選ぶね。む・それはきみが装着してはならぬと思わぬではなかった。と言っておれがとも思わぬ。


午後から忙しい。
火曜日の手術でどんな麻酔をするのかについて麻酔科の問診と説明を受ける。
実に痛楽しそう。殆ど麻酔で眠ったあと何をするかというお話なので、はいはいと聞くばかりである。
20年前とだいぶん事情が違うようで、おれの開胸経験はあまり役に立たない感じだ。でもまぁおれに闇雲な恐怖心が湧かないぶん圧倒的に有利である(誰に)。

全身麻酔の手術だから患者は痛みを感じないハズなのに、術野の局所麻酔を併用しておかないと術後めざめたあとの術野の痛みが重いんだそうである。ほほー。
それでおれの場合は点滴と笑気ガスによる全身麻酔の他に硬膜外麻酔というのもやる。右下に寝て猫背胎児ポーズで以て脊椎の隙間を広げ、極細チューブを尖刺するそうである。うははは、ここ読んだだけで背中がムズムズするヒトもあろう。このチューブから適宜麻酔薬を注入する。この効き具合を見てから――おれにはまだ意識がある――全身麻酔に取りかかるらしい。
あ・気管支鏡と同じく最初に尻に筋肉注射を打たれる(薬剤は若干ちがう)。きっとこれが一番いたいんだろう。


4F歯科も9回目にして最終回。退院までに終わりっこないと言ってたのに終わってしまた。
上右の第2臼歯が崩壊していたのを抜いてしまう。抜いた後は都市博のように放置する。そんなら抜かなくても良さそうなもんだが、お医者が抜くべきと主張するなら、そ・そうなん?と従わざるを得ない。歯医者というのは歯を見て抜かずに居られない人がなる職業なのだろう。
さすがに麻酔を掛け、ゴリゴリンと音を立てて抜かれた。抜いた歯を記念にもらいたかったが、見せてもくれなかったぞ。くれくれと言えば良かったなあ。デフォルトでくれる物ぢゃないのか。おれの所有資産ではないのか。上の歯だから縁の下の鼠さんに託さねばならないはずだが。
これでおれの歯は27本に減ってしまった。元もと親不知が下の2本しか生えてこず、どちらもイビツな方向に伸びてきたのを抜いてあったのだ。そこから正規軍初の脱落歯ということになる。
奥歯は鼻の骨と繋がってるから明朝鼻血が出るかもとお医者に警告された。おんとか。疑ってどうする。

病室に戻って採血をして消毒液に対するアレルギーの24hr耐久パッチテストを開始して検尿を出して呼吸器リハビリの2回目。リハビリは単に前回の復習のみ。

うう、抜歯の麻酔が切れてきた…。あ・思い出した、おれ親不知ぬいたとき痛くてひと晩ぢう転げ回ったんだった。血も止まってない感じだなあ。
あやっ、ウガイをすると水が鼻へするっと抜けるぞ。奥歯を抜いた穴から鼻の穴へ本当に貫通してるのかしら。あう、ズンズンと痛みが増してきた。水が凍みまくりっ。脳天へ突き抜ける。食後の歯磨きするんぢゃなかった。ぬー。


「テロ対アメリカの戦いだ」は良いけど、どっちに就くのか直ちに鮮明にせよとはナニゴト。勝手に世界を2色に分けるな。ブッシュ言ってることめちゃくちゃである。警察犬気取りの麻薬犬がラリッているかのようだ。

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01.9/22(土); 102; 胸部外科のムンテラ

ひとつムンテラ父のため、ふたつムンテラ母のため


ICUとはIntensive Care Unitの略である。そんだけ。

抜歯の痕はまだ血の味がする。痛いと言うほどでなくずきずき。鼻血は出なかったけれど、何だかここを通じて空気が漏れているような奇妙な感覚がある。鉛直方向に頭痛と歯痛(下の奥歯)のするのも理に適ったような理不尽のような。

日本の話芸『ジャズ息子』。あり、意外におもしろかったなあ。残しても良いな。


病棟が替わってから気持ちが落ち着かない。無意識的にオペが怖いのかもしれない。「家族」に会うのが厭だからかもしれない。「ナーバス」という日本語がぴったり。
ウチに居たらきっと志ん朝や米朝のビデオを次次に掛けて気を紛らわせているところだろう。


兄きたりて外科としての説明会(ムンテラ)。やぱ外科のハナシはおもしろいなあ。
舌区へ分岐する気管支から切り離して切除する。上肺は取らないのか。
今回特徴的なのは、切断面を縫合した上に万一の漏孔を塞ぐバリアを、肋間筋を使って作ることである(自転車のパンク修理のパッチゴム片をおれは連想したが真偽は不明)。普通そこまでしないそうだ。普通そこまでしないと言えばそもそもアレルギー性気管支肺アスペルギルス症で外科処置なんか普通しないのであるが。
出血は300mL程度と予想されており、1000mL越えたら輸血するそうである。周知の通り昨今は極力輸血を避ける。輸血が必要となった時点で日赤に要請しても間に合うので、敢えて輸血の準備はしないそうな。もう少し輸血の可能性が高ければ、「自己血」と言っておれ自身から前以てストックを採っておくはずである。
輸血となるとAIDSや肝炎といったウイルス感染の恐れがあるので、外科手術の同意書とは別に「輸血同意書」もしっかり書かされた。もしやれば2箇月後にウイルス感染の検査が追加になる。百万が一そんな感染事故に遭っても恨むなよてとこだな。でも恨むのは恨むよ。
手術は01.9/25(火) 9:45-13:00の予定。3時間強か…。
外科としての持ち分は術後2週間までの経過観察と処置(1週間で抜糸)でおしまいで、後はまた内科に引き継いで2週間くらい様子を見て退院らしい。

外科ムンテラの後ICUの看護婦さんが入らして説明を受ける。実際に見学もさせてくれた。
術後おれがICUに居るのは2泊3日。ICUにも個室と大部屋があって、胸部外科だと大抵個室だそうだ。
ICUと聞くとずっと意識不明で脳波と心電図のグラフが頼りというイメイジがあったのだが――おれだけ?――24時間モニタリングはしているものの延延ムシの息で今夜がヤマだの状態で居るわけではなさそうだ。レンタルTVもあればラジカセなんかの持ち込みも可能である。入退室管理(消毒)も軽ーいバイオハザードてな感じ。ただし家族でも日に3回5分間づつしか面会できない。
手術前日から両親が付き添いに来るつもりなんだが、ICUにはロクに入れないし退出後は普通の入院生活だからこれまでと同じだ。だから来なくて良いんだってばよ。来たって退屈で退屈で退屈で退屈で退屈で退屈で退屈で退屈で退屈で退屈でしょーがないぜ。

兄のケータイに付き合って病院玄関先に出てみたら、今日は「寒い」ね。おれはすぐロビーに引っ込んだ。今年の夏は始まりも終わりも早かったか。


消毒液反応24hr耐久テストは合格。

自分の掲示板に最期かもしれぬ書き込み。地上波テレビが2011年7月で完全終了砂の嵐ってホント?
あと、朝日新聞記事の「【狂牛病】
牛は農水 肉は厚労、タテ割りで混乱(対策はなぜ遅れたか)「人は肉骨粉食べないから大丈夫」」(http://www.asahi.com/national/kyougyu/)に触れて「莫迦莫迦莫迦莫迦莫迦莫迦莫迦莫迦莫迦莫迦莫迦莫迦莫迦莫迦莫迦莫迦莫迦っ。わんっ。」と投稿したがこっちはPPPタイムアウトで失敗し消滅した。

おれと同じくグレ電にA4のvaio(型番不明)で繋がっているお姉さまが居たので不躾ながら、そのvaioはバッテリはどのくらい持ちますかと訊いてみたところ3時間くらいと仰る。Palmで通信しているおれが興味を示さないのもナニかなと思って話しかけてみただけで、vaioにもお姉さまにもナンパの意図はない。s30買ったけどキイボードが壊れちゃって・それなら6時間もつんですがなどと話の継ぎ穂にしたのであるがいま思うにコレは単なるバッテリ自慢としか採られなかったのではないだろうかろうか松の廊下。ででで電池優でござる。
気ぃ悪くしたかな。

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01.9/23(日); 103; 揺るぎある自信

莫迦Send, Nimdaで罹かれば壊れ倍

ありゃ5月だったと思うが「世界禁煙デイ」を「地球パイポの日」と呼ぶのはどうか。

脳死臓器提供者の遺族は手術室に送り出すとき『ドナドナ』を唄うか。
良いとこあっるっぞー、Mr. ドナー(s)。


どうも今回の手術で――これにこそ「Operation A」とか名前を付けるべきかもしれんが――おれが完治する、どころか生還できる「確信」は抱けていないのだった。死ぬかもーが大きく占めているわけでもないんだけどさ。まづ死にゃしないだろうし社会復帰も望んでいるけれど、更に別の部位に再発があるかもという不安は払底できていない。
20年前の自然気胸の際に死というものが全く意識に上らなかったのとは――生に対する揺るぎない自信か――心情が異なる。

遣う遣わないはさて措き「自害」用の無痛即死の薬剤か拳銃の類は是非ほしいものである。
首吊りに勝る自殺法はないそうだが、おれにはたぶん実行できない。首を懸けて踏み台を蹴飛ばす勇気は出ないだろう。拳銃をくわえて一気に引くか、睡眠薬と併用して毒物摂取の道が望ましい。

連夜ロヒプノールで入眠補助。振動アラームが効かず「ラジオ深夜便」も寝過ごし。

「目がテン!」完全に観忘れ。『ヒカルの碁』優先対策でもうウチでも録画を回してないん。先週だったか所に「子供だねえ」とからかわれた魚住が、子供はナースの恰好なんかしませんと反駁していた。魚住嬢はコスプレさせられてるの気に入らないのかな。

「nash bridges」FBI武器盗難。あれっ何でEvanが居るの。放映順テキトーなのか。
「なんでも鑑定団」赤玉ワイン_ポスタ。

3セットある着替え分のふたつを着たら――つまり後がなくなったら――洗濯することにしている。4Fに移ってから初の洗濯。シカシ洗濯機がこの広い野原いっぱいに1台しかない(12Fには4機あったのに)。明日はもう手術の前日で暇がないかもしれないから、着替えと洗濯は今日の内に済ませておこう。本来は明日剃毛して入浴して着替えて洗濯と行きたいのだが、今日あいていればその機会を逃すべきでないと見た。
手術日から数日は浴衣とT字帯の風大左ヱ門コスプレである。ただICUから出てきたときに着るパジャマ代わりの着替えができてないとね。


NHKスペシャル「宇宙」(6)。太陽は平凡だが太陽系惑星は特異。巨大ガス惑星は1恒星系にふたつまで。みっつあると軌道が乱れて地球型惑星は恒星に落ちる。また巨大惑星はスペイス_ガード的に彗星・小惑星から地球型惑星を護っている。

「ガキの使い」とか観てても良いのかな。寝不足でウトウトしながら手術を受けて途中でハッと目が覚めたりしち。
「すいません、いま寝てました? え、肺を取ったとこだから寝てないで麻酔に掛かってろ? 済みません済みません」

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01.9/24(月); 104; ギューニューて何

十九路盤の世界には、あああ、何があると言うのだろう。誰も見ない神の一手を幽霊は捜し求める。(中略)碁!碁!進藤、碁碁碁碁!進藤。
アニメ史上もっとも恰好いい主題歌と言われる(おれもそう思う)トリトンで臆面もなく作ってみました。


いよいよ明日ですなあ。この日記も何時まで書けることか。ICUにもPlatinumとSTOWAWAYを持ち込んでみるつもり。

剃刀とシャボンで看護婦さんの手を煩わせ、11時に剃毛してもらう。っても左の腋毛と周辺の産毛だけだ。元もと体毛の薄いせいか剃り跡を見ても違和感がない。


上右奥の抜歯跡は舌で触るとまだぶよぶよ。食事にも右側の歯列は使っていない。歯茎の外側がちょっと腫れてて歯ブラシが当たると痛む。
009の加速装置は下右の奥歯だっけ。
「ジョー、おまえメシ食うの早いなー」というのを考えたが既出か。

各国の引退してヒマそうな元首脳クラス(クリントンとかミッテランとか)を呼んで「日本外圧党」を作るというのはどうか。帰化してもらわんといかんのかな。まぁ党員はテキトーな日本人で顧問としてでもよろしい。日本の立場としてどういう外交をすれば良いかを「無責任だが真剣に」考えてもらうのである。勿論(元)母国の利益をのみ謀るのは反則だ。取りあえず米英中仏露が居て論争し、webで「党説」を発表する。案外おもしろがってやってくれるのではないか。はっきり言って日本国首相(与党党首)になるのも夢ではない(帰化人は不可みたいな「閉鎖性」がなきゃだけど)。外の国も混ぜろとすぐに言ってくるに違いないぞ。


看護婦さんとICUに持って行く物チェック。事前にリストされた紙を貰っているから揃えてあるのだが、追加分を聞く。
「ギューニューを買っておいてください」ギューニュー? はて、ギューニューて何。「手術で使いますからギューニューを1パック」ギュ・ギューニュー? 飲む牛乳?「そう、下の自販機に売ってますから」
牛乳を手術で使うんですって。いろんな使用法が走馬燈のように脳裏を駆け回ったが――遣い方まちがい――要するに気管側に誤嚥されないか「導通テスト」に用いるらしい。わはは、そんなもの患者に用意させるなよ。

横浜の某病院の患者取り違え事件を他山の石として、手術室へ入るのにでっかい名札を着けることになったそうである。自署名する。「「左側」とか「肺」とか「酸素を吸う」とかは書かなくて良いの」と言ってみたら看護婦さんにウけた(ウけて良かったー)。


両親きて1時間くらい話す。
この病院内に付き添い者用の宿泊室があるにはあるが、当該患者の重篤度でソートされるため当日当夜まで利用可否が判らない。今日は手術前夜だから論外としても明日とておれの術式程度では優先度は高くないようだ。宿泊室が空いていればラッキィで(今日でも)使えるのだけれど、余り宛てにはできない。
んで近所にホテルを取っていた。取ったのは兄だが、病院の隣が解りやすくシティ_ホテルだのに、高いからっつってちょっとだけ離れたちょっとだけ解りにくい所である。

昨日の洗濯でプリペイド_カードを抜き忘れたらしく、誰かにプレゼントしてしまう。くそ半分のこってたのに。尤もそういうのはおれもよく猫糞するから生涯収支でお相いこであろう。
きのう洗濯しといたのは大正解。今日はフル回転な様子だ。


ラジオ名人寄席『鹿政談』5代目柳朝。正蔵の弟子で小朝の師匠だ。東京の噺家でこれは珍しい。奈良の町の聖獣政策がネタだからね。
柳朝を聴きながら明朝の浣腸に備えて慎重にもう一丁ひり出しておこうとお手水に入ったらAM変調が完全に遮断されたのでまたベッドに戻って続きを聴く。

再度排便に挑戦。便意ゼロではないが出てくれず。「浣腸に備えて」と言うのはおれの場合、浣腸による出力量抑制よりも肛門部位の汚物残存を恐れてのことだ。うんこ拭き残ってたらちょっと恥づかしいぢゃん。パンツに付着してるのは当然あり得るんだけどさっ。
数十分ねばって出ないので諦め。もう寝ちゃう。


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01.9/25(火); 105; カウントダウン Operation

ガタンと止まって、肺、それまでよ。


ぬおりゃー、生還して退院できたら取りあえずこれ↓をやるぜー。
i) TP s30の修理(いきなり修理かよ)
ii) エアコンの交換
iii) 空気清浄機の導入(2台)
iv) AirH"のCFカード端末待ち(いきなり待ちかよ)
v) MGイングラム購入
vi) 一太郎Ark導入
vii) Virtual PC for Windows導入
viii) おれのweb頁の順次XHTML&XML化
ix) 落語DB管理ツールのXHTML&XML化
x) スーントの腕時計購入
xi) デジカメ小物撮影背景マット購入
xii) お嫁さん捜し

どうでも良いのも混じってるな。


6時に看護婦さんに起こされて浣腸。車椅子の入れる広いトイレでイチヂク級の小さなのを挿してもらう。20年前ベッドの上で2Lくらい、大腸を駆け巡るほどぶち込まれたのでそれを覚悟していたら拍子抜けである。10分我慢しようとしたが5分もたず排液、普段の1回分も出なかった。
当然朝食は抜きだが服薬はある。最少限の麦水で飲む。

ではもう術前処置が始まるので日記書きも中断するぜ。
念のため、さようなら。またお会いしましょう。


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01.9/27(木); 107; 生還できたようだ

最も優秀な遺伝子の持ち主も「ベスト_ジーニスト」と言うのかね。


生還。
昨日の6時から意識は回復していたが日記付けなんかまだ無理があるな。今は10時10分で、Graffiti書き。
しんどい&めんどいので止め。


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01.9/30(日); 110; 記憶の断片

ICUと愛してるは似てるネ。


01.9/25(火)に手術室に入るところから01.10/1(月)までさすがに日誌どころではなかった。もはや記憶も混濁しているが都合良く思い出しつつメモっておくことにする。

26日6時頃に目が覚めたように思う。ICUの1室で猛烈に腰が痛かった。手術の傷よりも、風邪などで1日中同じ姿勢で寝るとなる腰の痛みが強かったのだ。ベッドの上半身を起こしてもらって姿勢を変える。
背中の左脇に胸腔ドレイン(排液/気管)の針が4箇所ささっているように感じる。胸帯とガーゼと医療テイプの陰からドレイン_ポンプ(7/25の日誌で羨ましいと書いた軽量ポンプだ)に繋がるパイプは内径1cmくらいのが1本だけ。むろん厳しいトウ痛があるが、開胸までしたんだから当然といった範囲。
それから尿道カテーテルが入っているのを知る。カテーテルが大きく動いたり勃起したりすると尿道がピリピリ痛んでとっても不快。
左手首近くに点滴ルート。ICUに居る間は間断なく栄養点滴と抗生剤と鎮痛剤が注入される。
この外に背中(腰上)から別口の鎮痛剤ルート(硬膜外麻酔?)が入っている。ルートのチューブを固定するテイプが盆の窪から始まっているので、最初は延髄直結なのかと思った。『攻殻機動隊』のJack-in端子がある所だ。
おっと、鼻孔に酸素を送り込むチューブが宛がわれている。

手術は予定より1時間ながく掛かったらしい。4時間強かな。予定は恐らく外科が立てた舌区の切除だけの見積もりで、実際には内科の提言どおり上肺部も含めて切除したせいであろう(ここ、おれの想像。上肺部を取る取らないは、その場で決まったことかもしれない)。
開胸は背中から行ない、20年前の気胸の手術の縫合痕をなぞって切ったので、見た目の傷は増えていないそうである。へえ、2度おなじ所を裂いてもくっつくのか。

輸血は結局やらなかったみたい。心配の種が減って良かった。内服薬に貧血の薬が増えることになる。

取り立ててICU(集中治療室)に居るという緊迫感がない。「並みの大怪我」な感じである。
26日の昼食が流動食で夕食が粥食だったものの(完食)翌朝からはもう1600kcal普通食だった。『カリオストロ』でルパンがとにかく食うことで快復を図ったシーンを思い出す。

しかし予後が良ろしくないらしく、2泊3日のICU入りの予定が結果的に5泊6日になったのだ。尤も最後の2泊は土日で病院の事務が休みだったのが大きいけれど。
予後が悪いとは残した肺の膨らみが悪いということだ。毎朝胸部ドレインを鉗子で留めてレントゲンを撮って様子を見るのだが、医者の思うほど膨らまない。おれ的には事前に受けたリハビリの深呼吸もやっているのだが。
自力で排痰しないといけないと内科医も外科医もリハビリ医も言うのだが、だからっておれにどうしろってのよ。痰なんかちっとも上がってこないよ。

自然に広がらないと無理やり広げることになる。これが気管支鏡なのだが01.7/27の日誌で偉そうに書いた麻酔の1.〜3.がないヴァージョンなのである。当然猛烈な咳反射が起きる。しかしこれは咳反射によって肺に空気を強制的に送り込むのが目的なのであろう。医者はちょちょっと麻酔を振りかけながらどんどん奥まで気管支鏡を突っ込んで吸痰する。
手術で傷めつけられた肺と胸腔でひと呼吸も休まずに咳をする。この苦しさを想像できるだろうか。激痛と溺れの感覚でおれは本当に窒息するかと思った。26日から28日まで3回これをやり、確かに「二度と受けたくない」思いをしたぞ(でもそれで治りが早いんならやれ)。
気管支鏡で咳をすること自体は日一日と苦痛が軽くなったことで傷の快復は順調と知れる。そうでないと堪えられん。1度やって効果の薄かった後の2回目(27日)が一番きつかった。3回目で吸引すべき痰が殆どなかったとのことで「比較的」軽く、29日のレントゲンが一応合格ラインだったようで4回目の気管支鏡はなかったのであった。
患者の激烈な様子に見慣れたはずの看護婦さんに――いや、見慣れはしないだろうが――誉めてもらえたぞ、おれ。よくがんばりましたねって。そうやって処置中に声を掛けていただけるとたいへん心強く、嬉しいものである。

To be continued...

01.9/30(日); 110; 記憶の断片^2

(承前)
この節、汚物関係です。警告しましたよ。

まぁ気管支鏡以外は基本的に居眠りと食事と夜の睡眠だけである。全身の清拭から着替えから洗濯から何もかもICUの看護婦さん任せである。
陰嚢の裏も肛門も見られ汚物の世話もしてもらうのであり――もし付き添いの「家族」などがあるにしてもICUには立ち入れないのでこれらは元から看護婦の仕事だ。「家族」にできる仕事は汚れ物の洗濯だけと言ってよい――こっちも恥ぢらいなど出しては失礼である。でもお手数かけますと恐縮はする。

尿はカテーテルから24hrだだ漏れなので放っておけばよろしいが、問題は大便。
ICUでは個室なので他人を汚臭に付き合わせる気兼ねはないものの、ベッドでの排便はやはり避けたい。術前の空っぽ状態から普通食を3度3度たべていつ限界が来るかを見計らって3日目を想定した。
しかし限界が来てからでは遅い。01.9/27の夜(5食後)、まだひと晩は持つが便意はある状態で一度トイレに連れていってもらうことにしたん。点滴・胸腔ドレイン_ポンプ・尿カテなどを全部ぶら下げたまま歩いて移動することは可能なのである。
本当に歩かないでいたのは手術当夜翌日の2日ほどに過ぎないのにもうよたよたである。脹ら脛が ピシピシ「断裂」するような痛みが走る。如何にも筋繊維がちょっとづつ切れてまっせみたいなの。もちろん手術痕のトウ痛も激しさを増す。看護婦さんに介添えされつつ一歩一歩ASIMOより無様に歩いてトイレへ行った。
ひとまづ成功。これでミチを付けたので安心して飯が食える。
最終的にはこのあと尿カテを外してもらってもっと自由になる30日まで大便は我慢できたんだけどね。

大便に歩いていって良いなら小便もそうして良いはずだ。が、まぁ頻度と量が違うし看護婦さんに日に5度も6度も介添えを頼むのも申し訳ない。
で、30日まで尿カテーテルは我慢した。カテーテルが挿入されていることに痛みはないが、蓄尿瓶の交換でつんつんされたり、いわゆる朝摩羅で尿道長に大きく変化があるとピリピリするのだ。
翌10/1に胸部外科病棟に戻る見込みが高かったので、もう良いだろうとおれから外してもらえないかお願いしたのだ。
いや、尿カテを引き抜かれるのはけっこう痛かったぞ。えいやっという感じの一気抜きだったん。つはーっと呻くくらい。看護婦さんもみんな痛がると言うとった(男性は、だろな)。
抜いた途端に尿意を覚えてトイレに連れていってもらう。血尿ぢゃなかったよ。


ICUで常に困ったのはベッドが小さいことかね。上半身を起こす行為も多いし、すぐ体がずり落ちて――サンダーバード2号に乗る滑り台の要領――足が転落防止柵につっかえるん。窮屈で眠れない。おれの身長176cmは並み外れた大きさではない。180cm越えるとさぞ苦痛が増すだろうな。

前述のとおりICUの看護婦さんにこそ全て身を任せて世話していただくというのに、こちらは基本的に短期滞在の上にパニックで、おれなぞ眼鏡なしに15cm先も見えずVISORにメモる余裕もなく、お顔とお声とお名前が一致しないうちに出ていくことになる。申し訳ないなあとつくづく思うよ。

ICUで退屈することはなかった。
おれがラジオもテレビも観ないので例によって看護婦さんのほうで退屈ぢゃないのと気を遣ってくださる。おれのテレビは週4時間で昼間みるのは日曜だけだからなあ。
実際退屈を感じるような時間にはトウ痛を感じてて忙しかったよ。そうでなきゃ居眠りしてた。通常の就寝時間は寝てて、食事と医療イヴェントの外の時間にもいくらでも眠れてたん。クスリが作用してたんだろうけれどね。
起きて痛みや息苦しさを一所に感じているよりは眠りに逃避していたかったというのが無意識下の判断だったのかもしれぬ。

そうそう、不思議だったのは毎朝目が覚めて毎朝とも自分がどこに寝ているのかしばらく認識できなかったことだ。ICUに居ることが解るまでに「毎朝」数分かかっていたように思う。ほとんど自分が誰かも意識できていなかった。「わたしは誰? ここはどこ?」というフレイズがはまるくらい「昨日」との断絶感があった。