コーヒー、カフェ、思考


●思考は嗜好の間違いではございません

コーヒーの出自って、ちょっと詳しい人なら皆知ってる、アラビアのお話。たとえば「コーヒー・ルンバ」に出てくるような「昔、アラブのえらいお坊様が…」といった、コーヒーの起源にまつわる伝説はアラビア発のお話だ。コーヒーの起源を確実に辿る資料はないようだが、それは茶の起源を辿るのが難しいのと同様。茶は中国の椿系の木を中国人が見出して広めていったことが明白。コーヒーの場合、北アフリカ起源であることは多くの学者の一致するところらしいが。古代に統治していたローマ人も見出さなかったものだ。アフリカから誰がどうアラビア半島に持ち込んだのかは諸説あるが、アラブ人発で広まっていったことは確か。(注:断っておくが、私はコーヒー・ルンバをリアルタイムで聞いていた世代ではない。ほんとだってば!)

北アフリカ産の樹木が、やはり乾いたアラビア半島に移殖されて根付き、イスラム文化の中で育まれていく。とはいえ、あえて広まっていくにはそれなりの理由がある。端的に言えば、宗教的禁欲の一つとして、眠らずに修行をする僧侶達に、覚醒剤としての効果があったことは、コーヒーの歴史に触れた本を読めば出てくることだ。一方、イスラム史を調べればわかるが、こんな極端なことをするのはスンニー派のような一般的な宗派ではない。密教的な性格の強いスーフィズムである。(イスラムは、コーランだけ読むとひどく厳格な宗教に見えるが、仏教の戒やキリスト教修道院のほうが厳しい。イスラムは本来緩やかな宗教であり、一部の厳格な派による極端な行動が、有名になってしまっただけであるように思う。また、こうしたことは宗教史や宗教哲学の書物にもよく出てくることである。)

完全なる帰依と心の制御のために、聖なる黒い湯を飲む。そう、当時から焼いた豆を粉にして、抽出していたのだ。イスラム教内部での数世代の議論を経ながら正当な飲食物とお墨付きが出ると、後押しはそのまま、オスマントルコ時代にコーヒーハウスの出現を促し、国際都市ヴェネチアでも喫されるようになり、オスマントルコのヨーロッパ進軍を契機にドイツ=ハンガリー文化圏(今と国境が違うのよ)でカフェの誕生にこぎつける。

これほど短期間に広まったコーヒーは、実は胡椒に替わる新しい商品になったからだ。この間の事情は、中公新書「コーヒーが廻り 世界史が廻る」(臼井隆一郎・著)に詳しい。この書物は、マルクスのいう「商品」の歴史としてのコーヒーをコンパクトにまとめており、1992年の初版を読んだ時も非常に参考になったが、10年を経た今でもじゅうぶんに価値ある書物だ。

胡椒に替わる地位を得たのは、まさにそれが次の時代の空気を呼び出す飲み物だったからだろう。つまり、コーヒーの覚醒作用が、酒の酩酊に替わる新しい効果をもたらすからだ。太古より宗教は酒を重要視した。宗教的法悦と酒に酔う感覚の親近性が背後にあることは言うまでもない。宗教を離脱した人々は、コーヒーを飲んで酔わなくなり、惰眠も貪らなくなる。酔うのではなく、覚醒して明確な意識に支えられた人々。それは法悦ではなく、明晰な思考を伴って、地上を約束の地にしようという意識をもたげる。コーヒーは確かに嗜好品だが、それ以上に思考の火花を、より長く持続させる液体、というのが正体なのかもしれない。


●ねずみも食わぬ豆

ところで、コーヒー豆が輸送される際、たいへん便利な性質があった。小麦も豆も、普通は船に住み着いたねずみが食べる。しかし、コーヒー豆はねずみも虫も食わない。そう、そのままでは生き物が手をつけない果実であることが重要だった。運んだ荷がいつの間にか減ることがない。欠損商品になりにくい。こんな便利な食物は珍しい。

コーヒー伝説の中には、イスラムの僧侶が山火事の後で食べるものがなく、黒く焦げたコーヒーの実をかじったところ、香しく元気が出てきたというものがある。つまり、昔は食物として知られておらず、コーヒーの実を乾燥させて、焼くという作業を減ることで初めて人々の口に上ることになった。飲食物としては割合新しい歴史を持っていることになる。

実際、オーラ視を行って、スピリチュアルにもフィジカルにも万全に心身を調整する人々の中には「コーヒーはオーラに穴が空くから飲みません」と宣言する方もいる(もちろんそういう能力を持っている人でも、そう気にせずに飲む人もいる)。飲みすぎれば胃を荒らすし、自律神経失調気味の人が飲めば、頭に血が上がりすぎる。適量でなければ、確かに身体のバランスを崩すが、逆にいえば適量を服すれば、たちまち意識が冴えて仕事がはかどる。

つまり、コーヒーの持つ覚醒剤的な作用があってこそ、この飲み物は受け入れられた。カフェインによる作用はお茶にもあるし、単純にカフェイン含有量となれば紅茶が一番多いこともよく知られている。ただし、お茶は(紅茶も含めて)コーヒーほど覚醒に直結せず、意識を冴えるようにする一方で、リラックスのほうが多いのではないだろうか(中国の喫茶習慣、日本の茶道、イギリスの紅茶文化、いずれもそう)。まず茶とは葉であり、発酵を止めるための熱処理こそ行うが、コーヒーのように焼くわけではない。このため、ビタミンCを始めとする様々な栄養素を含有する。一方、コーヒーは硬いパルプ質であり、焙煎処理で初めて飲み物に使える。焙煎処理とは、大げさに言えば黒焦げ手前まで焼くことだ。カフェインが他に突出して多く、脳作用を活発にする効果が明瞭である。極端に言えば、バランスが悪く、逆に覚醒作用を前提にすればストレートで効きがよい。もちろん、緑茶も抹茶として濃く点てれば覚醒作用も強くなるが、そこまで強くせずにリラックスしながら飲むし、むしろ香りに酔う作用もある。コーヒーを飲んでもほっとするが、それはむしろ暖かいものを身体に取り込んだからであり、成分自体は覚醒効果が一番高い。つまり、頭のドーピングに近い形で作用してしまう。これはどういうことかと言えば、酔わずに考えてしまう、そして、つい談論風発してしまう。

2つの飲み物の差は意外に大きい。茶は社会をひっくり返すような場には馴染まない。一方、コーヒーは社会の変革に付き合う傾向がある。オスマントルコにコーヒーハウスという新しいサロンをもたらすまでは平和的だったが、17世紀に紅茶の入る前のイギリスではカフェが重商主義の貿易に絡む場になるし(後に東インド会社の輸出する紅茶へと移行する)、18世紀のフランスでは革命前夜の派閥の溜まり場になる。実際に革命の火をつけたのは、近衛兵がカフェで行う政治討論を弾圧して流血事件に発展したからである。

このカフェのために大量のコーヒー豆を生産することを思いついたのは、17世紀のオランダだ。植民地にプランテーションを行い、数度の失敗を経て最後に成功に至るや、豆自体を販売するだけでなく、焙煎済みの豆を売る新商売も確立していく。胡椒以上の新しい商品としての地位を獲得し、フランスを始め多くの国々に大量の豆を供給した。ジャワ島から大量の豆をヨーロッパ大陸に供与したため、ジャワ・コーヒーの起源となった由縁。

現在でも同様かもしれない。たとえば、スターバックスのコーヒーを流し込んでドーピングしていた人々は1990年代、アメリカ合衆国のシリコンバレーのIT産業経営者達。彼らはコンピュータの力を利用した、新しい情報資本主義の時代を支える技術や経営方法を、コーヒーを飲みながら支えていた。しかも、こうしたコンピュータ技術の研究者達から生まれたJavaというコンピュータ言語は、ジャワコーヒーからきた名前であり、それは現在サーバーやデータベースの市場を覆い尽くす技術として発展し続けている!

もっとも、スターバックスのもう一つの側面として、甘い味のキャラメル・マッキャートや、フレーバーコーヒーなどを味わう場という顔がある。これはこれで幸せなものである。


●もちろんそれが悪いわけではないけど

といったウルトラC的飛躍はさておき。文化の洗練には、富の集中がある。我々はそういう伝統の上に乗っている、それは重々承知している。その一方で、極端な集中を避けながら、構成民が出来るだけ幸せを感じるように社会はあるべきだ、という考えもあり、その相克を経ながら人間は生活をしてきた。だから、資本主義自体が悪いわけでもない。ドトールが安いカフェ・ラテを普及したこと、スターバックスが日本を席巻して開放的な喫茶文化を築いたことの功績は大きく、それが資本主義の申し子であったとしても功績は評価されて当然だ。

ただ、現在のグローバリズムは、「資本主義の普及」であり、一方的な勝者の価値観の押し付けでしかない。そして、世界から大量に買い付けて、一定の品質で大量に売る形の、大規模な経営をとらないものが遅れをとる構造が、本当に幸せなのか。しかし、コーヒーが安価になったのも、質の良い豆が大量に出回るようになったのも、みなこうした大きな物資の流れができ上がったからであり、それこそ資本主義の申し子である。コーヒーを飲んで頭を冴えるようにして、さらに新しい儲けを生み出す・・・

しかし、味や店のあり方も含めて、様々な方向が残っていってほしい。大正時代のカフエが女給で客引きをしていた時代から、日本は長く店で供する飲み物の味より、店の形態に関心を示した。やっと、安価でよいコーヒーが出回るようになってきた今こそ、自分の五感と頭で喫茶文化を受け止めることが可能な時代がやってきた。個人経営の喫茶店がある一方で、チェーン系のスタンドもあり、もっと様々な営業形態と味が生まれるだろう。多様化と豊饒は、今ならまだ可能なのではないか。それこそが、画一化に対抗する唯一の手段だろう。ニッチ市場が山ほど出来るのって、楽しくないだろうか。

カフェは本来、ブームになるようなものではないが、ブームになって認知されれば生き残る可能性は上がる。そういう状況の中で、コーヒーの持つ覚醒作用とともに、豊かさとは何かなども考えてみたいものだ。飲み過ぎに注意しながら(笑)。


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