Mobile:これまで使ったマシン

◆電子手帳からザウルス◆

シャープが最初に漢字電子手帳PA-7000を出した時に、それを購入している。確か、1986年。世はシステム手帳の大ブームだった。最初は2行の画面!ICカードにソフトを入れて、差し換えていくことが可能だった。これはシステム手帳の影響だろう。
次の機種が出る度に機能がいい方向へ増えていったため、数世代に1度は乗り継いでいった。データをきちんと移管できることが保証されていたこともよかったし、慣れればそれなりの速度でメモをとることができた。電車の中で揺れてもメモがとれるのは偉大だと、本気で思った(今は誰もそんなことには感心しないだろうが)。
それでも長い間、漢字電子手帳は4行画面だったと思う。住所録は役立ったが、スケジューラの活用はかなり無理をしていた。

1988年、初めて自宅にコンピュータを導入。Mac Plus。翌年、すぐにMac SE/30を再導入。これはほんとうに長く活用した。
この頃、世間はまだDOS時代。私、初代のDynaBookも、買いました。旅行に連れて行くのに、役立った。これがはじめてのモバイル・コンピューティング。

1990年、DBシリーズと呼ばれる、タッチペンが付属したモデルが1988年に登場、当然、乗り換える。GUIを意識した初めての電子手帳。かなり便利だったが、やはり紙の手帳の補佐は必要だった。
その後、1994年、いわゆるZAURUSと呼ばれるモデルが登場。ここで初めて電子手帳のスケジューラが実用的になり、紙の手帳から離脱が可能になる。

◆モバイルPC on 1990〜1994年◆

で、1990年代前半は、私は世間より先にモバイルコンピューティングに挑戦していた時期だった。

アップルがPowerBookシリーズをはじめて出した時、CPUに68000を搭載したPowerBook 100を購入している。これは、パームレストを持った初めてのノートパソコン。この頃、アップルはノート型マシンで最先端を走っていた。

しかし、私は次に妙なものに手を出す。パナソニックが製造していた富士通PC互換機(注:富士通はその頃、FM/Rシリーズといって、現在のようなDOS/Vではなく、独自アーキテクチャ上にDOSなどを展開していた)に、パーソナルメディアがBTRONのOSを搭載したマシンを販売し始めた。
この第2世代は、1.7kgのA4薄型マシンを搭載した「1B-L」という名前のマシン(当時の常識として、軽いマシンはモノクロの液晶だったが)。現在でもモバイルマシンと言えるくらい、ちょっとした軽さと使用感を両立したものだった。秋葉原の九十九電機で触って衝撃を受け、PowerBook 100を売り飛ばしてまで、買った。
初代DynaBookで使っていたDOSと違い、完全なウィンドウベースのマルチタスクOSであり、驚くほど安定していた。エディタや図形ツール、通信ソフトも同梱されている。当時はインターネットのプロバイダなどないし、いわゆるターミナル型の通信ソフトでNifty-Serveに接続していた。
すごく役立った。何とか我慢できる軽さだし、使い勝手もいい。今ほどMacintoshもリッチではなかったし、Windows95もまだ登場していなかった。文章や軽い図形編集にはむしろ便利なくらいで、旅行も含めてずいぶんと連れて回った。

そして、パーソナルメディアのBTRONが「1B/V」という名称で、DOS/Vアーキテクチャマシンの汎用OSになったのを受けて、ThinkPadの小型マシンを買う。速度も速くなり、カラー化されて(STN液晶で256色が当時の常識)、なかなかいい気分で使っていた。

しかし、ザウルスとは特にリンクするわけでもなく、マシンごとに完全に用途を分けていた。つまり、BTRONのパソコンは文章や通信専用、メモ情報の管理はザウルス、といった具合。それ以上のことはしていなかったし、今ほど電子メールも普及していなかったから、通信そのものより、自分でデータを作成/編集するのによい環境として使っていた。

◆Newton, Libretto◆

しかし、忙しくなり、時間も厳しくなるに従って、Macintoshなどで通信環境の向上を計らないと、やっていられない状況になってくる。ここで、PowerBook 5300を購入。これが1995年。
その年末に、Newton MessagePad 120、さらに翌年、MessagePad 130を買う。この頃に本格的な母艦(Mac)と艦載機(Newton)の環境を使いはじめる。初めて、現在のPalmに近い環境を得たわけ。運用は非常に単純でラク、しかも便利だった。
BTRON環境から、Macintosh環境へと回帰していく。会社で接続していたWideプロジェクトなどからも情報を得ていたため、むしろインターネット接続が可能なMacintoshのほうが、私には都合がよかった。

また、マシンを持ち歩いても今ほど頻繁に通信やメールのやりとりをしていなかったため、割合落ち着いて使っていたように思う。

1997年、あまりに電子メールが増えてきたため、モバイルギア(DOS版)を購入、かなり使い込む。が、数カ月で満足できなくなり、LIbretto 50へ移行。この頃に、NTT PersonalのPHS (312s)を購入、いわゆる移動通信の基礎運営体制を、私も整えることになった。
「モバイル・コンピューティングがポピュラーになっていくぞ」という実感が、どんどん伝わっていった頃。

で、一度PowerBook 5300を手放して、超小型Windowsマシンの先駆けとなったLibrettoシリーズに目をつけ、Libretto 50を購入。これでメールからホームページの作成更新なども試みる。
しかし、眼精疲労の悪化(小さい画面をにらみすぎた)とともに、私の場合はどうしてもLibrettoでは無理と悟る。

この頃から、すごく忙しいマシンの使い方が、モバイルコンピューティングとなっていったように思う。

◆PowerBook 2400, PowerZaurus◆

結局、Macintoshの使い心地を捨てられず、今度はきちんと調査の上で、PowerBook 2400c/180を購入。あまりの使いやすさに驚く。でも、Librettoは一応持ち歩き用PCとして、捨てずに確保。他にNewtonも持ち歩く。
その日の用事や状況に応じて、必要なマシンを持っていくようにしていた。この頃なりに、かなり便利な体制だと感じていた。

1998年、Newtonが製造中止となる。一度キャリブレーションが狂い、中古の代替機を購入するなどの経験などをしていたために、代替機がすぐに得られない環境を常用するのは無理と判断。そこで、泣く泣くPowerZaurus (MI-610)に移行。

PowerBook 2400cは1.9kgという重量から、時々連れ出す程度のマシンへと変貌していった。
Librettoを常用することにも無理があったことから、1999年、Panasonic Let's Note A77を購入。
ただし、このマシンは画面の輝度調整が粗すぎるし、何よりバッテリの省電力モードで使用すると「ジー」という音を発する(主にトラックパッド使用時に、液晶画面から発信音)ために、使い心地が事前の評判に比べると悪いということがわかる。

また、この頃に移籍した会社が「機密維持のため、個人のパソコンはいかなる理由があろうと持ち込み禁止、会社のマシンの無断持ち出しも禁止」という規則になっていて、通勤のお供にはできない。なんだか、ずいぶんと当てが外れた状態になってしまった…

◆PowerBook G3, e-Zaurus◆

2000年の5月、PowerBook 2400cが故障。それも、CPUの載ったドーターボードが熱でイカレてしまったという。
泣く泣く、PowerBook G3に移行。満足度は非常に高いが、2.9kgという重量のため、持ち歩きの頻度はさらに減る。
この頃は、文章を打つ必要がある外出時は、むしろメモ用紙や原稿用紙を持ち歩くことが多くなってしまった。つまり、逆行現象。重いのに耐えられなくなってきた。また、出先でちょっとメールを読んだり、メモを取ったりするにはちょうどよいPowerZaurusがあったことも、拍車をかけていた。

2001年、e-Zaurusとして出た縦型Zaurusに目をつけて、PowerZaurusより移行。これはかなりよい小型デバイス。愛用中。

また、i-mode端末を購入。NTTDoCoMoの503iである。

◆2001年3月の陣容◆