歌枕紀行 鹿島神宮

―かしまじんぐう―

鹿島神宮本殿

鹿島神宮の祭神は、武甕槌命(たけみかづちのみこと 建御雷命とも書く)とされている。経津主命(ふつぬしのみこと)と共に、天照大神の命を受け、出雲に下って大国主命と国譲りの交渉に当たり、国土を奉還させた武神である。

ただし常陸国風土記にはこの神の名を見ることがなく、「香島の天の大神」が高天原から天下って香島の地に鎮座し、崇神天皇の時代に朝廷の奉幣を受けるようになった、との伝承をつたえている。

その時の奉納品が風土記に詳しく記載されているのは驚くべきことであるが、大刀・鉄弓・鉄箭など、武具がその大半を占めており、香島の大神が古くから武神と考えられていたことを示している。記紀神話の建御雷命が香島の大神と同一視される素地はじゅうぶんにあったのである。

鹿島神宮の正殿は、神社には珍しく北を向いており、これは国全体の北方を護るためだと古くから言われてきた。日本の国にとって、この地は永らく北の護りの要であり、国土鎮護の宮だったのである。

万葉集の歌がよまれた頃、防人として西辺に派遣された庶民にとっても、鹿島の神は強い心の拠り所となっていた。そのことは万葉巻二十、大伴家持が集めた防人歌から推測されるのである。

霰降り鹿島の神を祈りつつ皇御軍(すめらみいくさ)に我は来にしを(大舎人部千文)
鹿島歌碑
「霰降り…」の歌碑

「霰ふり」は鹿島に懸かる枕詞。「来(き)にしを」の「を」は感嘆を示す助辞であり、皇軍の一員として遥か故郷を後にして来た感慨を籠めた表現である。作者の大舎人部千文(おおとねりべのちふみ)は常陸国那珂郡の人。

いわゆる「鹿島立ち」の原型となった歌で、大東亜戦争中はことに愛誦された歌であった。

中世以後も鹿島の神は源頼朝や徳川家康の篤い保護を受け、武運守護の神として崇敬を集めてきた。平和と言われる今の世にも、参拝者が絶えることはない。

鹿島臨海鉄道の鹿島神宮駅を降りると、どこか新興住宅地の駅前のような雰囲気に違和感をおぼえる。神宮があるはずの南側は高台になっていて、駅前広場を過ぎるとすぐ上り坂になり、真新しい舗石が敷き詰められている。そこを登りきると、みやげ物屋の並ぶ参道らしき道にゆきあたる。ここにも舖道を敷く工事が進んでいた。

みやげ物屋の奥には必ずTVが置いてあって、Jリーグ鹿島対神戸戦の中継を映していた。店番のおばさんも試合経過が気になるらしい。鹿島アントラーズは今年も不動の優勝候補であるが、日本最大の武神の守護を受けているのだから強いに決まっている。

鹿島神宮大鳥居
鹿島神宮大鳥居

大鳥居も拝殿も、思いのほか質素で小ぢんまりとしたものだった。しかし徳川秀忠奉納という本殿は、細工の凝った優美な造りである。これは参道から見て、拝殿の背後に石ノ間でつながっている。いわゆる権現造りの社殿様式であるが、せっかくの美しい本殿に気づかずに通り過ぎてしまう参拝者も少なくないようだ。

奥宮へは、神門を抜け、鬱蒼たる森の中の道をゆく。杉檜の類よりも照葉樹のめだつ原生林である。並び聳える巨木は苔むし、荒々しく枝を伸ばしている。浅春の肌寒い日だったが、木漏れ日は春の温もりを伝えた。

鹿島神宮の森

要石
要石(かなめいし)

途中、鹿苑がある。奈良の春日大社から招いた神鹿(しんろく)を飼っているという。しかし春日の鹿はもとはと言えば鹿島の神鹿であるから、子孫が先祖の土地に戻って来たことになる。春日の鹿が鳴くのはあまり聞いたことがないが、鹿島の鹿は参拝者に餌をねだって盛んに甘えたような鳴き声を出していた。

奥宮は徳川家康の奉納と伝える。秀忠によって新しい本殿が寄進される以前は、こちらが本殿だったとのことである。

ここからさらに森の中の道をゆき、有名な要石を拝む。見たところ、何の変哲もない直径三十センチほどの丸い石が地面に埋まっているだけだが、大地震を抑える巨石がわずかに露頭しているものだという。水戸光圀が試みに掘らせてみたところ、七日七晩掘っても底に至らなかったとの伝えがある。多くの学者はこれを荒唐無稽な俗話として顧みなかったが、近年、境内の水道工事で花崗岩の岩盤が確認されたとの話である。

要石はかなり昔から霊石として知られていたようで、建長八年(西暦1255年)神宮に参詣した藤原光俊は、この石を見て感激し、次のような歌を残している。

尋ねかね今日見つるかなちはやぶる深山(みやま)の奥の石の御座(みまし)
鹿島神宮案内図
鹿島神宮案内図

禊ぎに使うという御手洗池に下れば、広大な境内を一巡りしたことになる。池の畔には清水の湧き出る場所があって、近所の人だろうか、何本も用意して来たペットボトルに水を満たしていた。花崗岩の岩盤上には、良質の湧水がわくという。

足も疲れたので、池のそばの茶店で一休みする。醤油が香ばしい焼き立ての団子と、御手洗池の清水で沸かしたという熱いお茶に満足し、帰路に就いた。

めぐり逢ふはじめをはりのゆくへかな鹿島の宮にかよふ心は(慈円)

筑波山へ

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©水垣 久 最終更新日:平成11-04-07
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