歌枕紀行 五十鈴川

―いすずがわ―

五十鈴川

五十鈴川の清らかな流れのほとりに立つことは、伊勢参りに欠かせない、ささやかな歓びの一つである。

内宮の大鳥居を潜れば、五十鈴川をまたぐ宇治橋の上である。橋を渡り終え、白い砂利の敷き詰められた明るい参道をしばらく行くと、一ノ鳥居を潜る。ここから森は鬱蒼と濃くなるが、右手に五十鈴川の御手洗場(みたらいば)へ下る道が分かれている。

橋の上から眺めた美しい川が、再び眼前に現れる。参拝者は大きな切石で造られた石段を降りて、たやすく河畔に立つことが出来る。澄んだ川水が敷石の岸すれすれの高さに水位を湛えて流れている。ほとんど波立つこともなく、底の小石まで明瞭に見透かせる。その水は今にも溢れて靴を濡らしそうであるが、何故か溢れることはない。

それはかくの如く人工的に整備され統御された川であるが、太古の森に包まれて、決して違和感を感じさせない。人工の極致、構成美の極致が、そのまま最も簡素な佇まいをとり、自然と共存している。それが伊勢神宮だからである。

その川の岸辺にうずくまり、川水に手を差し入れて洗うことは、伊勢参りに欠かせないささやかな、いや大きな歓びの一つである。


垂仁天皇二十五年三月十日、倭姫命は天照大神の鎮座地を求め、大和纏向(まきむく)の珠城(たまき)の宮を旅立った。菟田から近江の国に入り、美濃の国を経て伊勢に至った時、大神のお告げを得る。

この神風の伊勢の国は、常世の浪のしき浪のよする国なり。傍国(かたくに)のうまし国なり。この国に居らむとおもふ。

姫命は教えのままに、斎宮(いはひのみや)を五十鈴川のほとりに建てた。

以上が伊勢内宮の創建を語る日本書紀の記事の要約である。

また「倭姫命世記」という書は、姫命がこの川で裳裾の汚れを濯いだとの伝承をつたえている。このことから、五十鈴川は御裳濯川(みもすそがわ)とも称されるようになったのである。

この川が和歌にさかんに詠まれるようになるのは、平安時代も半ばを過ぎてからのことである。太古神秘の霧のうちに深々と隠れていた大神宮の御手洗川(みたらしがわ)が、文人たちの歌によってすがたをあらわしたとき、それはやはり悠久の「君が代」を象徴し讃えるものとしてであった。

君が代は久しかるべしわたらひや五十鈴の川の流れ絶えせで([新古今]大江匡房)
君が代はつきじとぞ思ふ神風や御裳濯川のすまんかぎりは([後拾遺]源経信)
神風や五十鈴の川の宮ばしら幾千代すめとたてはじめけむ([新古今]藤原俊成)
朝日さす御裳濯川の春の空のどかなるべき世の気色かな([風雅]後鳥羽院)
万代の末もはるかに見ゆるかな御裳濯川の春の明けぼの(後鳥羽院)
立ちかへる世と思はばや神風や御裳濯川のすゑのしら波([玉葉集]慈円)

武士の世に至って、皇太神宮への信仰は大きな広がりと高揚を見せた。澄み切った平明な境地を理想とするようになっていた中世の歌人たちは、五十鈴川の穏やかな清流と、流れに映る澄んだ月の光を好んで詠じた。それら風雅な歌々のうちには、やはり神代への憧憬と、現世の平和への祈りが籠められていたのである。

やはらぐる光りにあまる影なれや五十鈴川原の秋の夜の月([新古今]慈円)
五十鈴川神代の鏡かけとめて今も曇らぬ秋の夜の月([続後撰]藤原為家)
我がすゑの絶えず澄まなむ五十鈴川底にふかめて清き心を([続後撰]後嵯峨院)
五十鈴川たえぬ流れのそこ清み神代かはらず澄める月影([続千載]伏見院)
水上のさだめし末は絶えもせず御裳濯川の一つながれに([風雅]花園院)
淀みしもまた立ちかへる五十鈴川ながれの末は神のまにまに([風雅]光厳院)

伊勢外宮
伊勢外宮

近世以降、伊勢信仰はわが国庶民の隅々にまで浸透し、「おかげまいり」「ぬけまいり」といった熱狂的な参拝者の大群を見るに到ったことは、今さら言うまでもあるまい。歌人文人たちも例外ではない。生涯伊勢に憧れつづけた福井の人橘曙覧(たちばなのあけみ)は、文久元年、五十の秋にようやく念願を果して伊勢に参詣し、五十鈴川のほとりで次のような感慨を詠んでいる。

五十鈴川先づすすぎてむ年まねくまゐでこざりし己が罪とか

永年伊勢参りを果たし得なかったことを「おのが罪」とし、その罪をまず五十鈴川で濯ごう、というのである。次のような歌を詠んだこともある曙覧であった。

吹く風の目にこそ見えね神々はこの天地(あめつち)に神づまります


五十鈴川は多くの歌人たちに深い感動をもたらし、あるいは深い憧憬を以て仰がれ、あまたの秀歌を生んでいる。削るには惜しい歌が多いので、いくつかを以下に掲げてこの頁を閉じたい。

いかばかり涼しかるらん仕へきて御裳濯川を渡る心は(西行)
ながむれば広き心もありぬべし御裳濯川の春のあけぼの(慈円)
神も知れ月すむ夜半の五十鈴河ながれて清き底の心を([新後撰]覚助法親王)
照らし見よ御裳濯川に澄む月もにごらぬ波の底の心を(後醍醐天皇)
五十鈴川すずしき音になりぬなり日もゆふしでにかかる白波(香川景樹)
いすず川影見る水も底すみて神代おぼゆる峯の杉むら(本居宣長)
五十鈴川あらたにうつる神垣や年ふる杉の影は変らず(同上)

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表紙伊勢東海道歌枕紀行歌枕一覧

©水垣 久 最終更新日:平成11-04-16
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