歌合


平安・鎌倉時代の歌合の本文と注釈を掲載します。主に、まだ注釈付きのテキストが公刊されていない歌合を取り上げたいと思っています。用語辞典などもいずれ詳しいものを作りたいと思いますが、取りあえず基本的な事項につき、下に解説を置いておきました。




水無瀬恋十五首歌合 建仁二年(1202)九月十三日 平成14.3.5更新



―歌合用語の簡単な解説―

【歌合】うたあわせ 「和歌を左右二方に分けて、これを番(つが)はせてその優劣を比較し、勝負を判定した一種の文學的遊戯である」(峯岸義秋『歌合の研究』)。現存する記録としては、仁和元年(885)または二年頃の『在民部卿行平歌合』が最古のものである。平安時代はお祭り的色彩の濃いものであったが、平安後期から文芸性が高まり、新古今時代に至って最盛期を迎える。九条良経主催の『六百番歌合』、後鳥羽院主催の『千五百番歌合』などがその代表例である。
【題】だい 歌合の歌は、定められた題に基づいて詠まれる。前以て提示される場合(兼題・宿題)と、その場で提示される場合(当座・即題)がある。
【結番】けつばん(けちばん) 左右の歌一首ずつを合せ、順番を決めること。
【方人】かたうど(かたびと・かたのひと) 歌合の基本構成メンバーで、左方・右方に分かれて対抗する。相手方の歌の欠点を指摘するのが基本的な役割である。のちには、出詠歌人すべてを「方人」と呼ぶようにもなった。
【読師】どくし 歌を書き記した懐紙(かいし)や短冊を講師に授ける役。講師が読み誤った際に訂正する役目も果した。
【講師】こうじ 歌を朗吟し披露する役。古くは女房が務めたが、延喜十三年(913)の亭子院歌合を最後に、専ら男性の担当となったらしい。また、平安時代には左右別人を立てたが、のち一人となった。実力を認められた歌人が務めた。
【披講】ひこう 歌を朗吟し披露すること。講師がおこなう。
【評定】ひょうじょう 披講された左右の歌につき、方人が論評し合うこと。勝負判が下される際の重要な資料となる。
【判】はん 披講された左右の歌につき、その優劣を比較し、勝負の判定を下すこと。引き分けは持(ぢ)と言った。当日判を下すこともあれば(当座判)、歌合終了後、日を経て判詞を書くこともあった(後日判)。判者は単独の場合も複数の場合もあり、また平安後期以後は衆議判も多くなる。左右の歌に判定を書き付けることを「加判」と言う。なお、歌合の最初に詠まれた歌(一番左)は負にしないという慣わしがあったが、例外もある。
【衆議判】しゅぎはん(しゅうぎはん) 衆議は衆儀とも書く。参席者が自由に発言し批評して、多人数で歌の優劣を決めること。新古今集成立前後の歌合ではこの例が多い。
【判者】はんじゃ 左右の歌の優劣を批評し、勝負の判定を下す人。歌壇の重鎮が選ばれるのが普通であった。
【判詞】はんし 判の詞(ことば)。披講された歌に対して判を下すとき、判定の理由などを述べることば。当日に記す当日判と、後日詳細に記す後日判とがある。
【員刺】かずさし 勝ち点計算のこと。また、その役目の人。勝負の判が下ると、そのつど勝った回数を計るため、串や木の枝などを物に刺して記録した。
【陳状】ちんじょう 歌合の加判の後、その結果に対して歌の作者が反駁した文書。判者や歌合主催者に対する消息という形をとるが、『六百番歌合』における顕昭の陳状のように、本格的な著作の体裁をとるものもある。



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最後に更新した日:平成14年3月5日
最初に公開した日:平成13年11月1日

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