大江嘉言 おおえのよしとき 生没年未詳(-1010頃)

大隅守従五位下弓削仲宣の息子。はじめ弓削姓。のち大江に改姓した。兄弟の正言・以言も勅撰歌人。
正暦三年(992)十二月、文章生となる。長保三年(1001)正月、弾正少忠。寛弘六年(1009)正月、対馬守に任ぜられる。まもなく任国で亡くなった(能因集)。
正暦四年(993)の東宮居貞親王帯刀陣歌合、長保五年(1003)の左大臣道長家歌合などに出詠。能因法師源道済相模など著名歌人との親交が知られる。家集『大江嘉言集』がある。知的で清新な詠風。拾遺集初出。勅撰入集三十一首。中古三十六歌仙

  3首  2首  1首  2首  4首 計12首

題しらず

梅が香を夜はの嵐の吹きためて槙の板戸のあくる待ちけり(後拾遺53)

【通釈】夜じゅう、嵐が梅の香を吹き溜めておいて、槙の板戸が開くのを待っていたのだなあ。

【補記】朝、板戸を開けた途端、梅の香が押し寄せるように薫ったのである。そこから、夜の間にあったこと想いめぐらして興じた。初句「梅の香を」とする本もあり、源経信は『難後拾遺』でこの改変を非難している。

【他出】相撲立詩歌合、新撰朗詠集、袋草紙、古来風躰抄、後六々撰

(そち)のみこ、人々に歌よませ侍りけるに

山里の家居は霞こめたれど垣根の柳すゑは()に見ゆ(拾遺1031)

【通釈】山里の家はすっかり霞に包まれているけれど、垣根の柳の枝先だけは、霞の外に見えている。

【語釈】◇帥のみこ 敦道親王か。

【補記】霞に籠められた山里の村に、一点の青を添える柳の梢。当時としては清新さの感じられる、春の田園の叙景歌である。拾遺集の成立は寛弘二、三年(1005〜06)頃で、間もなく夭折した作者は、生前三首の勅撰入集を見ることが出来た。『嘉言集』では第二句「やどは霞に」、第四句「かきのやなぎの」。

【他出】嘉言集、和歌一字抄

家の桜の散りて水にながるるをよめる

ここに来ぬ人も見よとて桜花水の心にまかせてぞやる(後拾遺145)

【通釈】我が家に花を見に来られない人も、見てくれよ。そんな思いで、桜の花びらが川に落ち、水の心のままに流されてゆくのを見送るのだ。

【補記】家の桜が散って、水に流れているさまを詠んだという歌。川を浮かんで下ってゆく花を下流の人も見よとの思いには、家の桜に対する誇らしげな気持と、なごりを惜しむ心とが交錯する。『嘉言集』では詞書「桜の花の池にうかびてながるるを」。

月を待つ心をよめる

秋の夜の月待ちかねて思ひやる心いくたび山を越ゆらむ(詞花104)

【通釈】秋の夜、月の出を待ちきれなくて、山の彼方に思いを馳せる。そうやって私の心は何度山を越えただろう。

【他出】嘉言集、後葉集、三百六十首和歌、新時代不同歌合、六華集

【主な派生歌】
いでぬまに山のあなたに思ひこす心いくたび月を見るらむ(源頼政)
時鳥なきゆくかたにそへてやる心いくたび声を聞くらむ(藤原俊成)

月を待つ心を

待ちわびぬたづねやゆかむ秋の夜の月の光のあふところまで(万代集)

【通釈】もう待ちきれない。たずねてゆこう。秋の夜の月の光と出逢うところまで。

【他出】嘉言集、夫木和歌抄

題しらず

山ふかみ落ちてつもれるもみぢ葉のかわける上に時雨ふるなり(詞花144)

【通釈】山が深いので、たくさん落ちて積もった紅葉――その乾いた葉の上に、時雨の降る音が聞こえる。

【語釈】◇山ふかみ この「み」は形容詞の語幹に付いて理由・原因をあらわす。◇時雨ふるなり この「なり」はいわゆる伝聞推定の助動詞。目で見ていないことを他の感覚(この場合聴覚)によって判断していることを示す。すなわち掲出歌における話手は山寺や山の庵に籠っていて、落葉の上に降る時雨の音を感じ取っているのである。

【補記】能因法師藤原長能と初めて対面して歌道の師弟関係を結んだとき、能因が「和歌は何様によむべきや」と訊くと、長能は嘉言のこの歌を例にあげて「かくの如く詠むべし」と答えたという(『袋草紙』)。同書の著者清輔は、嘉言が長能の後進であることからこの口伝に疑いを挟んでいるが、同時代の歌人からもこの歌が取り分け高く評価されていた例証とはなろう。

【他出】嘉言集、玄々集、金葉集三奏本、新撰朗詠集、袋草紙、古来風躰抄

はじめたる女につかはしける

忍びつつやみなむよりは思ふことありけりとだに人に知らせむ(後拾遺610)

【通釈】このまま堪え忍んで終わらせてしまうよりは、恋い慕っていたということだけでも人に告げ知らせよう。

【補記】つきあい始めた女性に贈ったという歌。「人」は婉曲に相手の女性を指す。拒絶されることを覚悟の上で告白しようと言い、恋情の切なることを訴えている。

【他出】後六々撰、新時代不同歌合

題しらず

夕されば荻吹きむすぶ風の音に古りにし恋を思ひ出でつつ(新千載1512)

【通釈】夕方になると風がつのり、荻に吹いて葉をもつれさせる。そのざわめく音を聞くと、過ぎ去ってしまった恋が思い出されて…。

【補記】女性の立場で詠んだ歌か。荻の葉の音は、恋人の訪れを暗示するもの。

【他出】嘉言集、万代集

三条院親王(みこ)の宮と申しける時、帯刀陣(たちはきのぢん)の歌合によめる

君が代は千世に一たびゐる塵の白雲かかる山となるまで(後拾遺449)

【通釈】殿下のご寿命は、千年に一度置く塵が、積もりに積もって、雲のかかる山となるまで続くでしょう。

【補記】三条院が皇太子であった正暦四年(993)五月五日、帯刀陣(護衞の武官の詰め所)で行われた歌合の巻頭歌。皇太子の長寿を言祝ぐ。

【他出】相撲立詩歌合、新撰朗詠集、奥義抄、後六々撰、宝物集、和歌色葉、古来風躰抄、梁塵秘抄、定家八代抄、新時代不同歌合

田舎にてわづらひ侍りけるを、京より人のとぶらひにおこせて侍りければ

露の命惜しとにはあらず君をまた見でやと思ふぞ悲しかりける(拾遺501)

【通釈】露のようにはかない命が惜しいというのではない。あなたと二度と逢えないまま死んでしまうのかと、そう思うのが悲しいのだ。

【補記】作者が田舎で病臥していた時、都の友人が見舞の手紙を送ってきた。その返事として詠んだ歌。『嘉言集』の詞書は「ゐ中にて、京にいひおこせたる」。

山里にて、月の夜都を思ふ、といへる心をよみ侍りける

都なる荒れたる宿にむなしくや月にたづぬる人かへるらむ(新古1544)

【通釈】都の我が家は、主人もいなくて荒れてしまっている――その宿に、美しい月夜に訪ねる人があっても、空しく帰ってしまうだろうか。

【他出】嘉言集、定家十体(有一節様)、六華集、題林愚抄

対馬になりてまかり下りけるに、津の国のほどより能因法師のもとにつかはしける

命あらばいまかへりこむ津の国の難波堀江の蘆のうら葉に(後拾遺476)

【通釈】命があるものなら、すぐにでもまた帰って来よう。蘆の葉が風にさっとひるがえって葉裏を見せるように。摂津の国の難波堀江の、蘆の生えた入江に、帰って来よう。

【補記】作者が対馬守として任国に赴任することとなり、難波から船出する際、友人の能因法師のもとへ歌を送ったのである。嘉言の対馬守任命は寛弘六年(1009)。能因集には「難波江の蘆のうら葉も今よりはただ住吉の松としらなむ」との返歌を載せる。また同集には「嘉言、対馬に亡くなりにけりとききて」の詞書で「あはれ人けふの命をしらませば難波のあしに契らざらまし」の歌がある。

【他出】能因集、五代集歌枕、歌枕名寄


更新日:平成15年01月21日
最終更新日:平成21年03月17日