下河辺長流 しもこうべちょうりゅう(-ながる) 生年未詳〜貞享三(-1686) 号:長龍

故郷は大和国立田という(晩花集)。生年は寛永元年(1624)・三年・四年説がある。本姓は片桐氏の家臣小崎氏。下河辺は母方の姓という。名は共平。通称は彦六。
若くして江戸へ出るが意を得ず帰郷。正保四年(1647)、木下長嘯子に師事したという(実際に教えを受けたかどうかは定かでない)。承応四年(1655)頃から京の三条西家に青侍として仕え、この際万葉集を書写する機会を得たらしい。やがて大阪に出、隠士としての自由な生活を送りながら古学の研究に励み、寛文初年頃までに、創見に富む画期的な注釈書『万葉集管見』を著す。長流の名声を伝聞した水戸光圀より万葉集の注釈を依頼されたが、病などで進まず、結局この仕事は長流と親交のあった契沖に引き継がれ『万葉代匠記』として完成される。貞享三年六月三日、病没。法号は吟叟長流居士。
寛文十年(1670)、官位を持たない平民の歌を主体とする私撰集『林葉累塵集(りんようるいじんしゅう)』を編集刊行。延宝七年(1679)頃には同じく地下歌人の撰集『萍水和歌集』を刊行した。延宝九年(1681)、家集『晩花集』を自ら撰した(『自撰晩花集』『長流和歌延宝集』とも称される。また、没後、契沖の編集になる同名の家集がある)。他の著作に『百人一首三奧抄』『万葉集名寄』等。

「晩花集(自撰晩花集)」 校註国歌大系15・新編国歌大観9

  6首  2首  4首  2首  2首  5首 計21首

若菜

朝菜つむ野辺のをとめに家とへばぬしだに知らずあとの霞に(晩花集)

【通釈】野辺で朝菜を摘んでいた娘に家を尋ねると、娘は振り返り、指差そうとするのだが、その背後に立ち込める霞のために、当人さえ家がどことも判らない。

【語釈】◇朝菜 朝食のために摘む葉菜。◇ぬし 「当人」の意で、「をとめ」を指す。◇あとの霞に 「をとめ」の背後の霞によって。

【補記】春霞たちこめる野での少女との出逢い。「家とへば」は下記万葉歌に由り、見初めた「をとめ」の住む家を尋ねた、というのである。当惑する少女の可憐なしぐさが想像される。

【本歌】雄略天皇「万葉集」巻一
籠もよ み籠持ち 堀串もよ み堀串持ち この岡に 菜摘ます子 家聞かな 名告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて 吾こそ居れ しきなべて 吾こそませ 吾こそば 告らめ 家をも名をも

春雨

くもりなく目にこそ見えね春雨のふるか朝けの風の露けき(晩花集)

【通釈】はっきりと目には見えないけれども、春雨が降っているのか、明け方の風が露っぽい。

【補記】同題「おひそむる草葉も末はかかれとて風になびきて小雨ふるなり」もデリケートな自然観察が清新な情趣を生んでいる。

【参考歌】下野雄宗「古今集」
くもり日の影としなれる我なればめにこそ見えね身をばはなれず
  藤原敏行「古今集」
秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる

柳をよみける

たらちねのこがひはじむる初春に柳ぞはやくまゆ籠りする(林葉累塵集)

【通釈】母が蚕の飼育を始める初春に、柳は早くも繭ごもりしたかのように芽をふくらませている。

【補記】「眉」に喩えられる柳の葉の新芽を「繭」ごもりに見立てるという言語遊戯は下記兼輔詠に由る。『晩花集』には見えない歌。

【本歌】作者未詳「万葉集」
たらちねの母が飼ふ蚕(こ)の繭隠(まよごも)りいふせくもあるか妹に逢はずて
  藤原兼輔「兼輔集」「和漢朗詠集」
青柳のまゆにこもれる糸なれば春のくるにぞ色まさりける

よも山にあくがれぬべき此ごろの心おちゐる家桜かな(晩花集)

【通釈】四囲の山に浮かれ出て行ってしまうはずの此の時節の心だが、今は我が家に咲いた桜の花に落ち着いているよ。

【補記】「桜の季節は四方山に心が浮かれ出ていく」という伝統的な趣向を反転させ、庭の桜に鎮まっている心をしっとりと詠んでみせた。

【参考歌】増基法師「後拾遺集」
ともすればよもの山べにあくがれし心に身をもまかせつるかな
  藤原公衡「千載集」
花ざかりよもの山べにあくがれて春は心の身にそはぬかな

落花

花も根にかへるを見てぞ木のもとにわれも家路は思ひいでける(晩花集)

【通釈】花も根に帰るのを見て、桜の木の下で、私も家路のことは思い出したよ。

【語釈】◇花も根にかへる 木の根元に落ちた花がやがて朽ちて土に帰ることを言う。和漢朗詠集の「花は根に帰りしことを悔ゆれども悔ゆるに益なし」に拠る。

【補記】花見に夢中になり家に帰ることも忘れる由の歌は珍しくないが、落花を見て家路を思い出すとしたのは新趣向であり、心理としてリアリティが感じられもする。下記寂蓮の新古今時代のロマンチックな詠と読み比べられたい。

【参考歌】よみ人しらず「古今集」
この里に旅寝しぬべし桜花ちりのまがひに家路わすれて
  崇徳院「千載集」
花は根に鳥はふる巣にかへるなり春のとまりをしる人ぞなき
  寂蓮「寂蓮法師集」
尋ねつる人は家路もわすられて花のみけふは根に帰るかな

わらび

おもふ人すむとはなしに早蕨のをりなつかしき山のべの里(晩花集)

【通釈】思いを寄せる人が住んでいるわけではないのに、早蕨(さわらび)を折り採るこの折節慕わしく感じられる山の辺の里よ。

【補記】「をり」は動詞「折り」と、季節を意味する名詞「折」の掛詞。

【参考歌】能因「後拾遺集」
おもふ人ありとなけれどふるさとはしかすがにこそ恋しかりけれ

時鳥(ほととぎす)

しでの山くらきをいでて時鳥なほさみだれの闇になくなり(晩花集)

【通釈】暗い死出の山を出て、時鳥はさらに五月雨の降る闇の中で鳴いているよ。

【語釈】◇しでの山 冥土にあると考えられた山。ほととぎすは「しでの田長(たをさ)」とも呼ばれ、冥界と現世を往き来する鳥とされた。

【補記】「なほ」は「闇になくなり」にかかる。冥界の闇から出て、さらに現世の闇で…との心。

【参考歌】伊勢「拾遺集」
しでの山こえてきつらん郭公こひしき人のうへかたらなん
  細川幽斎「衆妙集」
しでの山おくりやきつる郭公魂(たま)まつる夜の空に鳴くなり

たち花

(いにしへ)をしのぶねざめのとこ世物をりあはれにも香る夜半かな(晩花集)

【通釈】昔をなつかしく思い出す寝覚の床で、常世のものと言われた橘が、折しも趣深く香ってくる夜であるよ。

【補記】「とこ世物」は「(寝覚の)床」「常世物」の掛詞。記紀神話で田道間守(たじまもり)が常世の国から持ち帰ったと伝わることから、橘をこう呼んだ。

【参考歌】大伴家持「万葉集」
常世物この橘のいや照りにわが大君は今も見るごと
  よみ人しらず「古今集」
五月まつ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする

秋たつこころを

秋と聞く風のつかひはけふたちぬ今いくかあらば初雁の声(晩花集)

【通釈】吹く風の音は秋と聞こえる――その風が使者として今日出発した。あと何日経てば初雁の声を聞くだろう。

【補記】秋が来たという便りを雁のもとへ届けるため、立秋の今日、風が使者として旅立った、との見立て。雁は秋に北方から飛来する。

【参考歌】九条教実「続拾遺集」
あとたえてかすみにかへるかりがねの今いくかあらば故郷の空

草花

たましひの入野のすすき初尾花わがあかざりし袖と見しより(晩花集)

【通釈】私の魂が入野の薄原に入り込み、初尾花に留まってしまった――幾ら見ても見飽きない美しい袖と見た時から。

【語釈】◇入野(いるの) 山地に深く入り込んだ野を意味する普通名詞。動詞「入る」を掛ける。◇初尾花(はつをばな) 穂の出たばかりの薄。万葉集の本歌により、新枕を暗示する。◇袖 風に靡く尾花は人を招く袖のように見えることから、尾花を袖に喩えた。

【補記】万葉・古今から本歌取りし、恋の風趣匂う、新古今風の技巧を極めた一首。

【本歌】作者未詳「万葉集」巻十
さ牡鹿の入野のすすき初尾花いづれの時か妹が手まかむ
  みちのく「古今集」
あかざりし袖のなかにや入りにけむわがたましひのなき心ちする

秋風

ふく風の身にしむ秋はこもりつつ見ぬものかなし此の頃の空(晩花集)

【通釈】吹く風が身に沁みて感じられる秋は、家にこもっていて、見ることのない物がいとしく思われる、この時節の空よ。

【補記】「見ぬもの」とは空の色、雲、月、雁など、秋の情趣を感じさせるもの。制作年は知れない歌であるが、病弱でこもりがちであった晩年の作と推測される。桜花の詠「吹く風に身をまかせじとつつむまに命にまさる花や散りなん」(大意:吹く風に我が身を委ねはすまいと堪え忍んでいる間に、命にもまさって愛しい花が散ってしまうだろうか)も思い合わされる。

【校異】『林葉累塵集』には初句「吹く風に」。

冬夕

身にしむもあまりになればふく風のあはれさめゆく冬の夕ぐれ(晩花集)

【通釈】身に沁みるのも限度を越えるほどになったので、吹く風のしみじみとした趣も褪めてゆく冬の夕暮時よ。

【補記】「さめ」は「冷め」の意を兼ね、風が冷たくなったことをも含意する。秋夕のようなしみじみとした情趣が褪せ、冷え冷えと凄寥な冬の夕暮の本意を捉えた。

寒樹

小山田に冬の夕日のさしやなぎ枯れてみじかき影ぞのこれる(晩花集)

【通釈】山裾の田に冬の夕日が射し――差し柳の枯れて短くなった影がわずかに残っているのだ。

【語釈】◇さし柳 さし木した柳。万葉集では「根張る」の枕詞として用いられている。「さし」は「(夕日が)射し」の意が掛かる。

【補記】枯れ朽ちて短くなり、辛うじて残っている柳の枝。「みじかき影」には冬の日の短さも思い遣られる。

恋の歌とて(二首)

夜といへばねられぬ恋も故やあると夢殿にこそきかまほしけれ(晩花集)

【通釈】夜というと、寝ように寝られない――そんな恋にも理由があるのかと、夢殿に訊ねてみたいものだ。

【語釈】◇夢殿 聖徳太子の斑鳩宮跡に建立されたと伝わる八角円堂。聖徳太子の夢の中に金人(実は仏)が現れ教示したという伝説により夢殿と呼ばれる。本尊は救世観音。

【補記】夢で恋人に逢いたいのに、眠れない。人知れぬ神妙な理由でもあるのかと不審がり、夢殿で夢のお告げが聞きたいと言うのであろう。

 

わが為はつむもひろふもしるしなき恋わすれ草恋わすれ貝(晩花集)

【通釈】私にとっては、摘もうが拾おうが効き目がない、恋忘れ草・恋忘れ貝よ。それほど私の思いはつよいのだ。

【補記】この「しるし」は効験・報いといった意。「わすれ草」は萱草、「わすれ貝」は海岸に打ち上げられた二枚貝の片割れであろうと言う。いずれも万葉集由来の語。

【本歌】紀長谷雄「後撰集」
わがためは見るかひもなし忘れ草わするばかりの恋にしあらねば

述懐の歌の中に

みだるべき世は誰々(たれたれ)(のが)るらん治まる時をひとりすてばや(晩花集)

【通釈】いずれ乱れてしまう世――そうした世にあっては誰も誰も隠遁するだろう。私は治まっているこの時世を、独り捨てようか。

【補記】遅かれ早かれ世は乱れるものだとの思いから「みだるべき世」と言っている。「ひとりすてばや」は、世情に流されることを潔しとしない志である。

月前懐旧

月かげに夜わたる雁のつらみても我が数たらぬ友ぞかなしき(晩花集)

【通釈】月明かりのもと、夜空を渡ってゆく雁の隊列を見るにつけても、いるべきはずの友の数が足りない――亡き友が悲しくてならぬ。

【補記】雁は心が深く通い合っているかのように見事な編隊を成して飛ぶ。

【参考歌】宗良親王「新葉集」
かずたらぬ歎きになきてわれはただかへりわびたる雁の一つら

述懐の歌中に

いつかその雲をしのぎしあととめて我も高まのやまと言の葉(晩花集)

【通釈】あの雲を踏み越え山頂に至った人の跡を尋ね求めて、私もいつか高く険しい和歌の道を極めたい。

【補記】「高まのやまと言の葉」とは、歌枕高間山(奈良県と大阪府の境をなす金剛山の古名)に言寄せて和歌の道を極めることの困難さを言った。

やまとの国故郷なりければよめる

つひにわがきてもかへらぬ唐錦たつ田や何のふるさとの空(晩花集)

【通釈】ついぞ唐錦を来て帰ることのない立田が、私にとっていかなる故里の空だというのか。

【語釈】◇つひに 下に否定語を伴って「いまだに…ない」の意。◇唐錦 舶来の錦。比喩的に、美麗な着物。「たつ(裁つ)」にかかり、地名「立田」の枕詞になる。◇たつ田 竜田とも。奈良県生駒郡斑鳩町あたり。紅葉の名所。◇何の 「どれほどの意味がある」といった意。反語的に用いられている。

【補記】縁語掛詞を織り込んだ極めて技巧的な作であるが、故郷に対するアンビヴァレンスが切実に籠められている。

富士の山の歌あまたよめりし中に

富士の()にのぼりてみれば天地(あめつち)はまだいくほどもわかれざりけり(晩花集)

【通釈】富士山に登って眺めて見れば、天と地はまだ幾程も分かれていないのであったよ。

【語釈】◇天地はまだいくほども… 日本書紀神代上巻に「古(いにしへ)に天地いまだ剖(わか)れず」云々とあるように、元始、天と地は未分であったとの考えを踏まえる。


公開日:平成18年03月18日
最終更新日:平成20年01月28日