北条時春 ほうじょうときはる 生没年未詳 通称:塩田越後守・越後入道

北条氏塩田流。鎌倉幕府連署義政(1242-1281)の子。名は時治とも。兄弟の国時も玉葉集に歌を載せる歌人。左近大夫将監・備前守などを歴任し、従五位下越後守に至る。幕府では評定衆・引付頭に就いた。勅撰入集は新後撰集に一首、玉葉集に二首。

秋雨を

風にゆく峰のうき雲跡はれて夕日に残る秋のむら雨(玉葉727)

【通釈】峰に留まっていた雲は風に流されて行き、その跡はきれいに晴れて夕日が現れたけれども、その光の中、秋らしく蕭条たる叢雨がなお降り残る。

【参考歌】二条為世「新後拾遺集」
風に行くただ一むらのうき雲にあたりは晴れてふるしぐれかな

題しらず

西になる月はこずゑの空にすみて松の色こきあけがたの山(玉葉2128)

【通釈】西へ移った月は梢の上空に澄んだ光を放ち、松の色が濃く見える、明け方の山よ。

【補記】第三句の字余り、色への着目など、京極派の歌風に近い。

【参考歌】二条為世「新後拾遺集」
西になる影は木のまにあらはれて松の葉みゆる有明の月


最終更新日:平成15年03月01日