刑部千国 おさかべのちくに 生没年未詳

上総国市原郡の人。上丁(かみつよほろ)。天平勝宝七歳(755)二月、防人として筑紫に派遣される。刑部直(おさかべのあたい)の出身。刑部(允恭天皇の皇后忍坂大中姫の御名代部)を統括する家柄の人かと言う。

 

葦垣(あしかき)隈所(くまと)に立ちて我妹子(わぎもこ)が袖もしほほに泣きしそ()はゆ(万20-4357)

【通釈】葦垣の陰に立って、私の妻が袖もしっぽり濡らして泣いていた――その姿が思い出されるよ。

【語釈】◇葦垣の隅所 葦垣の陰。人目を避けるために「隈所」に立ったのであろう。葦垣は葦を刈って編んだ、粗末な垣根。

【補記】旅の途上にあって、妻との別れを回想した作。「葦垣の隅所」という場所の具体性が情趣を深めている。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日