藤原親盛 ふじわらのちかもり 生没年未詳(?-1200以後)

長良流周防守親康の息子。従五位下左衛門尉に至る。後白河院の北面で、今様の弟子でもあり、建久三年(1192)三月、院の崩御に際して出家。法名見仏。
歌人としては、主に後白河院・歌林苑関係の歌会で活動した。永万元年(1165)八月二十三日以前の四条宰相親隆入道会を初めとして、承安三年(1173)頃の三井寺歌合、治承二年(1178)三月の別雷社歌合、同年十二月の二十二番歌合、正治二年(1200)の石清水社歌合などに出詠。また福原遷都の折に新都で歌を詠んでいる。俊恵・道因・小侍従・西行等との交流がみられる。私撰集『百題抄』を撰した(散佚)。家集『親盛集』がある。千載集初出。勅撰入集九首。

月照草露といへる心をよめる

あさぢ原葉ずゑにむすぶ露ごとに光をわけて宿る月かげ(千載296)

【通釈】浅茅の生い茂った原――葉末に置いた露のひとつひとつに、光を分けて映っている月。

【語釈】◇月照草露 月、草の露を照らす。◇あさぢ原 浅茅の生える原。浅茅は丈の低いチガヤ。

【参考歌】西行「山家集」
あさぢ原葉ずゑのつゆの玉ごとに光つらぬく秋の夜の月

恋の歌とてよめる

思ひ()く心のうちのしがらみも()へずなりゆく涙川かな(千載769)

【通釈】恋しい思いを堰き止めている、心の中の柵(しがらみ)も、涙川の水が増して、堪えきれなくなってゆくよ。

【語釈】◇しがらみ 川などの流れを塞き止めるための柵。杙を打ち並べ、竹や木の枝を渡した。◇涙川 流れてやまない涙を川に喩える。

【本歌】三条町「古今集」
思ひせく心の内の滝なれや落つとは見れど音のきこえぬ

恋のこころを

思はじと思ひさだめて()()しもはかなくみゆる夢ぞかなしき(親盛集)

【通釈】思うまいと心に決めて寝た夜に限って、果敢なくもあの人を夢に見た――なんと悲しい夢だ。

【補記】『親盛集』は百首程の小家集。寿永元年(1182)、賀茂重保が賀茂社に奉納させた寿永百首の一つ。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成22年10月02日