大江為基 おおえのためもと 生没年未詳

参議斉光(934〜987)の子。定基(962〜1034)の兄。蔵人・三河守・摂津守を勤め、また文章博士として活躍。永祚元年(989)、摂津守を免官、図書権頭に遷任(小右記)。その後式部少輔に任ぜられ、晩年は出家したらしい。赤染衛門の若き日の恋人。僧都清胤安法法師中務などと親交があった。下の歌は、藤原公任撰『後十五番歌合』に「為基入道」作として採られている。拾遺集初出、勅撰入集六首。

妻におくれて侍りける頃、月を見侍りて

ながむるに物思ふことのなぐさむは月はうき世の(ほか)よりやゆく(拾遺434)

【通釈】眺めれば悩みごとがまぎれるということは、月は辛い現世の外を巡っているのだろうか。

【補記】妻に先立たれた頃、月を見て詠んだ歌。

【他出】後十五番歌合、玄々集、新撰朗詠集、定家八代抄、別本和漢兼作集

【主な派生歌】
ながむればいとど物こそ悲しけれ月は憂き世の外と聞きしに(俊恵)
わが物といかなる人の惜しむらん春は憂き身の外よりぞ行く(慈円[続後撰])
よそながら外よりゆかぬ我が宿の月も憂き世の道芝の露(藤原家隆)
秋のみぞ更けゆく月にながめして同じうき世は思ひ知れども(藤原定家)
いかにせむ月はうき世の外とだになぐさめかぬる姨捨の山(藤原為家)


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成22年07月26日