伏見院新宰相 ふしみのいんのしんさいしょう 生没年未詳

右大将藤原道綱の裔。右中将親忠の娘。楊梅兼行の姉妹。
伏見院の東宮時代より近侍。『中務内侍日記』には「宰相殿」として登場している。文保元年(1317)、伏見院の崩御に際し、出家。
前期京極派の代表的歌人の一人で、正安元年(1299)〜嘉元二年(1304)頃の伏見院仙洞歌合、正安二年〜嘉元元年(1303)頃の三十番歌合(群書類従には『正応二年卅番歌合』)、延慶二年(1309)〜応長元年(1311)の十五番歌合などに出詠している。玉葉集初出。勅撰入集は計二十九首。

  1首  2首  1首  8首  3首 計15首

夕春雨

なべて世は暮れこそゆくに春雨のはるるか雲のひまのしらめる(玉葉100)

【通釈】全体としてまわりは暗くなってゆくのに、春雨は晴れるのか、雲の隙間が白っぽく明るんでいる。

【補記】微光に対する偏愛は京極派の一特色。

時鳥(ほととぎす)十首歌よみ侍りけるに

幾声もなほ聞かましを郭公ねざめのさきも鳴きやしつらむ(玉葉334)

【通釈】何度ももっと声が聞きたいのに。ほととぎすよ、おまえは私が寝覚めする前にも鳴いたのだろうか。

【主な派生歌】
いく声も聞かまほしきをあやにくに鳴きすててゆく時鳥かな(正親町実明女)
いく声も聞かまほしきに時鳥今一こゑとなど思ふらむ(桜井基佐)

夏の歌の中に

秋よりも月にぞなるる涼むとてうたた寝ながら明かす夜な夜な(風雅385)

【通釈】秋よりむしろ夏にこそ月に馴れ親しむよ。涼もうと転た寝をしたまま明かす夜な夜な。

【補記】「月に親しむのは秋」という当時の常識の盲点を突く。

題しらず

秋ふかき寝ざめの時雨ききわびて起き出でてみればむら雲の月(玉葉771)

【通釈】秋も深まった夜更け、時雨に目を覚まされた――その雨音に耳を傾けていると、淋しさに耐えられなくなって、外に出てみれば、叢雲の間に月の光……。

【参考歌】宗尊親王「竹風抄」
山里の寝覚の時雨嶺はれて木の葉にかかる有明の月

【補記】時雨(しぐれ)は晩秋から初冬にかけ、パラパラと降っては止む雨。京都のほか、日本海沿岸地方や長野あたりでよく見られるという。正安元年(1299)〜嘉元二年(1304)頃、伏見院仙洞で催されたらしい歌合への出詠作。十五番右勝。

待恋の心を

今宵ぞと待つ夕暮の玉章(たまづさ)はまたさはるかとあけまくもうし(玉葉1383)

【通釈】今夜は必ず逢えると待つ夕暮に、恋人から届く手紙――また障害が出来て来れないと書いてあるのではと、開けてみるのも辛い。

恋歌に

たのまねどたのめし暮は待つと言はむあはれと思ふかたもありやと(風雅1044)

【通釈】本当はあてにしていなくても、あの人が逢おうと約束した夕暮は、やはり待っていると言ってやろう。哀れに思ってくれることもあるかも知れないからと。

寄涙待恋

今宵さへ来ずなりぬよと思ひつづけ涙ににほふ灯火の色(三十番歌合)

【通釈】今夜こそはと期待したけれど、結局来てくれなかったよ――そんなことを思い続けているうち、灯火の色は涙に滲んでいる。

【補記】三十番歌合、十九番右勝。判詞(京極為兼の評かと言う)は「さりともと頼むこころの『今宵さへ』といふ『さへ』の字に顕れ侍るは殊勝の事なり。匂ふといふこと葉、古き歌にも枕言葉にも多くみえ侍るめる。万葉集には『朝日影にほへる山にてる月の』などもよめる、しかるを『涙に匂ふ灯の色』と。古詞を用ひて心をあたらしくする事、尤和歌の名誉たるべきよし、京極の黄門申しおかれ侍る」と、定家の言を引き合いに絶賛している。

恋歌の中に

憂しと思ひ恋しと思ふそのあたり聞かじやいまは身をなきにして(玉葉1738)

【通釈】辛いと思い、また恋しいとも思う恋人にまつわる噂には耳を藉すまい。今はもうあの人は死んだのだと思うことにして。

題しらず

かぎりなく憂きものからにあはれなるはいづれ我が身の心なるらむ(風雅1174)

【通釈】この上なく恨めしく思いながらも、いとしくもあるのは、いったいどちらが私自身の心なのだろうか。

恋歌の中に

寝られねばただつくづくと物を思ふ心にかはる灯火の色(風雅1239)

【通釈】寝つけないので、ただじっと物思いに耽っていると、思い詰める心のせいなのか、閨の灯火の色も普段とは違って見える。

【参考歌】遊義門院「増鏡」
物をのみ思ひ寝覚めにつくづくと見るも悲しき灯し火の色

恋歌の中に

さらざりしそのよは月をいかが見し向かへば人の憂さになりゆく(風雅1291)

【通釈】こんな風に苦しい恋をしていなかった頃は、月をどんな思いで眺めたのだったか。今では、月に向かえば恋人のつれなさばかりを思ってしまう。

【補記】「さらざりし」は「さあらざりし」。「そのよ」の「よ」は、世であり夜。

寄夢絶恋

恋しさも憂さも初めにかへりけりよしなき夢の覚むる(あした)(三十番歌合)

【通釈】恋しい思いも、辛い思いも、初めの状態に戻ってしまった。つまらない夢を見て、目覚めた朝は。

【補記】すでに関係が絶え、諦めかけていた相手を夢に見て、最初の頃の思いに戻ってしまった、ということ。三十番歌合、三十番右勝。判詞は有心体とし称賛している。

題しらず

夜をこめてまた漕ぎ出づる人もあれやあまた声するよその友舟(玉葉1242)

【通釈】夜深いうちに出航しようとすると、私たちのほかにも漕ぎ出してゆく人がいるものか、一緒に停泊していた別の舟から、たくさんの人の声が聞こえてくる。

夜灯を

消ゆるかと見えつる夜はの灯火のまた寝ざめてもおなじかげなる(玉葉2166)

【通釈】さっき消えるかと見えた夜の灯火は、再び眠りから覚めた時にも同じように頼りない光だ。

述懐

飛鳥川あすとも知らぬはかなさによし流れての世をもたのまじ(玉葉2583)

【通釈】「昨日の淵は今日の瀬になる」と言われる飛鳥川ではないが、明日とも知れぬ生のはかなさを思えば、ええいままよ、流れ流れて生き延びた将来のことなどあてにはするまい。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
世の中は何か常なるあすか川昨日の淵は今日の瀬になる
  大江千里「後撰集」
流れての世をもたのまず水のうへの泡にきえぬるうき身とおもへば


公開日:平成14年11月02日
最終更新日:平成21年01月23日