四条宮下野 しじょうのみやのしもつけ 生没年未詳

従五位下源政隆の娘。母は未詳。敦明親王(小一条院)の寵愛をうけた瑠璃女御は姉妹。
永承五年(1050)頃、後冷泉天皇皇后四条宮寛子に出仕。女房仲間には康資王母らがいた。永承六年の「六条斎院歌合」、天喜四年(1056)の「皇后宮寛子春秋歌合」、治暦二年(1066)の「皇后宮歌合」などに出詠。寛子は治暦四年に落飾し、その後まもなく下野も出家して隠棲したらしい。
「下野」の名で後拾遺集以下に四首、「四条太皇太后宮下野」の名で玉葉集以下に四首入集し、勅撰入集は計八首。家集『四条宮下野集』は出仕時代の贈答歌を中心に、晩年回想をまじえて自作の歌を編集したもの。詞書には日記風の記述が多く、後冷泉朝の宮廷生活をいきいきと伝えるものである。源経信橘為仲藤原範永ら多くの歌人と交流したことも窺える。

後冷泉院御時、月のあかかりける夜、女房たち具して南殿にわたらせ給ひたりけるに、庭の花かつ散りておもしろかりけるを御覧じて、「これを見知りたらん人に見せばや」と仰せ言ありて、「中宮の御かたに下野やあらん」とて召しにつかはしたりければ、参りたるを御覧じて、「あの花折りて参れ」と仰せ言ありければ、折りて参りたるを、「ただにてはいかが」と仰せ言ありければ、つかうまつれる

ながきよの月のひかりのなかりせば雲ゐの花をいかで折らまし(金葉69)

【通釈】長い夜を明るく照らす、今宵の月の光は、陛下の末永い御代のご威光のように畏く存じます。それなくしては、尊い宮中の桜の花を折り取ることなど、どうして出来たでしょうか。

【語釈】◇ながきよ 「長き夜」「永き代」の掛詞。

【補記】表の歌意は、「月の光の明るさのおかげで花を折ることができた」。裏の歌意は「天皇の仰せ言により、畏れ多くも宮中の花を折らせて頂きました」。

桜のさかりに、上の御局におはしまいしに、御前の泉に、散りたる花をいと多く入れさせたまへるを

行く末もはるかにや見むさくら花岩間をいづる水にやどして(四条宮下野集)

【通釈】岩の隙間から浸み出てくる清らかな泉の水に、散った桜の花を浮かべれば、やがて遠くまで流れてゆくでしょう。その行末をはるかに見送ろうではありませんか。そのように、皇后陛下のご将来も遥かに永く続くことでございましょう。

【語釈】◇上の御局 清涼殿における皇后の居室。

宇治入道前関白家に、殿上人ども、「残紅葉を尋ぬ」といふ題をよみ侍りける時

心して風の残せるもみぢ葉をたづぬる山のかひに見るかな(風雅750)

【通釈】風が気をつけて残してくれた紅葉を、探し歩いた甲斐があって、山の峡(かい)に見るのだなあ。

【語釈】◇宇治入道関白家 藤原頼通邸。現在の宇治平等院にあたる。

むつまじくもなき男に名たちける比、その男のもとより、「春もたちぬ、今はうちとけねかし」などいひて侍りければ

さらでだに岩間の水はもるものを氷とけなば名こそながれめ(後拾遺934)

【通釈】打ち解けましょうですって? そうでなくても恋の噂は岩間の水のように漏れやすいものなのに、氷が融けてしまったら、評判が世間に流れて広まってしまうじゃないの。

藤原隆方朝臣、月のあかかりける夜、下野が局(つぼね)に尋ねまかりたりけるに、御まへに暇(いとま)いるよし申して侍りけるつとめて、「よしさても待たれぬ身をばおきながら月見ぬ君が名こそ惜しけれ」と申つかはしければ、返し

ちぎらぬに人まつ名こそ惜しからめ月ばかりをば見ぬ夜はぞなき(風雅1055)

【通釈】私の評判の心配をしてくださって、ありがとう。でも、いきなり局にやって来て、約束もしてないのに人を待っていたなんて、あなたの噂のたつほうが残念だわ。何も人と待ち合わせをしなくたって、月だったら、私は毎晩眺めていますもの。月も見ない無粋な女だなんて、言われる筋合いはないわ。

【補記】明月の晩、藤原隆方(隆光の息子。当時中宮権大進)が下野の局を訪ねて来たが、下野は皇后の御前に参上する用がある旨伝え、会うことをしなかった。翌朝、隆方から「私を待ってくれなかったのはいいが、あんな明月を賞美しないとは、無風流なあなたの悪評のたつのが残念だ」と言って来た。それに対する応えの歌である。

京極前関白、大納言に侍りける時、八月十五夜、内より女房ともなひて、下野里に侍りけるもとへまかりて、見ありき侍りけるを、あるじ遅く見つけて侍りければ、つとめて申つかはしける   後冷泉院式部命婦

出づるより心そらにて見る月を入るまで知らぬ宿もありけり

【通釈】今夜は中秋の名月、山の端を出たらすぐ、うわの空で眺めるのが当然の月であるのに、沈んでしまうまで知らずにいた家があったことよ。あなたったら、私たちがお宅に入るまで、寝ていて気づかなかったじゃないの!

【語釈】◇京極前関白 藤原師実◇入るまで 「月が入る」「師実たち一行が下野の実家に入る」の両義を掛ける。

返し

露わけし(よもぎ)の宿のひかりにも入りくる月の影をこそみれ(玉葉1992)

【通釈】わざわざ露をわけて、粗末な我が家においでくださって、ありがとう。ちょうど屋根から漏れ入る月の光を見るように、晴れやかなあなた方のご訪問のおかげで、このあばら家もぱっと明るくなりました。

【補記】名月の晩に早寝していた無風流を言われて、「暗くして寝ていたのは、明るい月の光を見たかったから」と、諧謔を以て弁解したのである。なお、家集では初句「露しげき」、五句「影をこそ見め」となっている。

雪の、道も見えず降る日、草の庵も残らず降り積めば、おろし籠めたるに、馬に乗りたる侍(さぶらひ)、降りまどはされて来たり。好きがましうこそおぼえしか、取り入れて見れば

雪消えぬ深山(みやま)がくれの鶯の初音(はつね)は君ぞまづは聞くらむ

【通釈】詞書…雪が道も隠すほど降る日、私の住む草庵もすっかり雪に埋もれてしまったので、蔀(しとみ)など下ろして籠っていたところ、馬に乗ったどこかの家人(けにん)が、雪に迷ってやって来た。(出家の身で)好色がましいと憚られたけれども、文を受け取ってみると、こうあった。
…鶯は冬の間、雪の消えない山奥に隠れているそうですね。こういう処にお住まいのあなたなら、鶯の初音をまっさきに聞けるのでしょう。

返し

鶯をたづぬと思へば雪消えぬ深山がくれは春ぞうれしき(四条宮下野集)

【通釈】私は鶯をたずねて山奥に入ったわけではありませんけれど、仮にそう思えば、雪の消えない山奥暮らしも、春という季節は喜ばしいものなのですね。

【補記】下野が女房仕えを退き、出家して山に入っていた頃のことである。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日