平親清四女 たいらのちかきよのしじょ 生没年未詳

桓武平氏。正五位下加賀守平親清の娘。母は西園寺実材母。白拍子出身の母が、西園寺公経の寵を得る以前に儲けた子である。家集『平親清四女集』がある(桂宮本叢書十、私家集大成四、新編国歌大観七、女人和歌大系二などに収録)。『平親清五女集』という名で伝わる家集の作者の姉。
なお、「平親清女」の名で続古今集以下の勅撰集に歌を載せる歌人がいる。平親清四女の姉妹か本人か、どちらかであろうが、はっきりしたことは判らない。

以下には『平親清四女集』より五首を抄出した。

 

梅の花あはれなる香にいつとしもわかぬ昔の春ぞ恋しき

【通釈】梅の花の情趣深い香に、いつともはっきりしない昔の春がしきりと思い出され、恋しくてならない。

【補記】老年、東山に隠棲しての作。無題。

 

露むすぶ門田の稲葉風すぎて見し東路(あづまぢ)に似たる秋かな

【通釈】露が結ぶ門田の稲葉、そこを風が過ぎて――昔東国で見たのと似ている秋の景色であるよ。

【補記】家集の終り近くに載り、これも晩年の作か。無題。「東路」は東国へ下る路、特に東海道を指すが、東国をこう呼ぶことも多い。作者は父の赴任先に同行するなどして東下りしたことがあったものと思われる。

いはけなくより住みなれ侍りし山里を、年へてのちまかりて見侍りしかば、ここかしこいみじう荒れまどひて、ありし所とも見えず。みどりをつむ軒ば、昔をしたふ色ふかく、岩にそそく泉は、涙をもよほす音のみあり。いづれを見聞くも、みな思ひをいたましむるたよりとなれば

石のはし松のはしらも苔むしてふりにしかたを恋ひわたるかな

【通釈】石の階段も松の柱も苔むし、古びてしまって――過去となった日々を恋しく思い続けることだ。

【補記】幼少期から住み馴れた山里を、久しぶりに訪れての感慨。「はし」は階(きざはし)で、建物への昇降に使う階段のこと。「ふりにし」は、建物が古びた意と、時間が過ぎ去った意の両方を掛ける。家集末尾近くは歌日記風で、詞書にもあわれ深い記述が見られる。

冬になりゆくままに、夜はのあらしも夢をみだりてすさまじければ

かへりこぬ昔をまたも見るべきに夢路ゆるさぬ山おろしかな

【通釈】現実には帰って来ない昔を、夢でなら再び見られるだろうに、夢路を辿ることを許してくれない山颪だなあ。

【先蹤歌】藤原定家「拾遺愚草員外」
秋の色にみねの嵐のかはるより夢路ゆるさぬ松のこゑかな

 

さびしさはなれぬ程ぞと忍べどもあまりはげしき椎柴(しひしば)の音

【通釈】寂しさは慣れないうちだけだと我慢するけれども、雑木の枝が風に揺さぶられる音はあまりに激しくて…。

【補記】晩年、山里で独居していた頃の作。


最終更新日:平成14年10月22日