伏見院の第一皇女。母は洞院実雄女、顕親門院季子。花園院の同母姉。
永仁元年(1293)正月二十四日、内親王となる。延慶二年(1309)六月二十七日、准三后・院号宣下。同三年十月八日、薨去。二十四歳。
勅撰入集は玉葉集八首、風雅集二首の計十首。
月御歌の中に
白みゆく空の光にかげきえて姿ばかりぞありあけの月(玉葉719)
【通釈】ほのぼのと白(しら)んでゆく空の光のうちに、輝きを失い、かろうじて形ばかりは残ってある、有明の月よ。
【補記】「姿ばかりぞ有り」に有明の月を言い掛けている。
冬御歌の中に
草はみな霜に朽ちにし冬がれにひとり秋なる庭のしら菊(玉葉897)
【通釈】草はどれも霜で朽ちてしまった冬枯れの庭で、それだけは秋の色を残している白菊よ。
【参考歌】道性法親王「千載集」
虫のねもまれになりゆくあだし野にひとり秋なる月のかげかな
恋御歌とて
うきをうしといはぬよりまづ先立ちて心のそこをしる涙かな(玉葉1789)
【通釈】恋人の冷たい態度に不満を言わないうちから、まず真っ先に、心の底を知ってこぼれ落ちる涙だことよ。
【参考歌】西行「西行法師集」「続古今集」
うきをうしと思はざるべき我が身かは何とて人の恋しかるらん
伊勢「後撰集」
見し夢の思ひいでらるるよひごとにいはぬをしるは涙なりけり
御ここちなやましくおぼしける比
うつるとき過ぐる月日をかぞへてもいつまでの身ぞさらにかなしき(玉葉2585)
【通釈】移り行く時刻、過ぎ行く月日を数えながらも、いつまで生きていられる我が身かと、そのことばかりが尚更悲しい。
【補記】作者は延慶三年(1310)十月八日、二十四歳で夭折。玉葉集が撰進される二年前のことであった。
最終更新日:平成14年12月18日