藤原仲文 ふじわらのなかふみ(-なかふん) 延長一〜正暦三(923-992)

信濃守公葛の子。東宮蔵人・内匠助・加賀権介・加賀守などを経て、貞元二年(977)正月、上野介。同年八月、正五位下。藤原頼忠のもとに出入りし、清原元輔大中臣能宣藤原公任ら歌人との交流があった。家集に『仲文集』がある。誹諧歌ふうの作が多い。三十六歌仙の一人。拾遺集初出。勅撰入集計八首。

冷泉院の東宮におはしましける時、月を待つ心の歌、(をのこ)どものよみ侍りけるに

有明の月のひかりを待つほどに我が世のいたくふけにけるかな(拾遺436)

【通釈】有明の月の光を待つうちに夜が更けてしまうように、皇太子が皇位に就かれ我が身に恩寵が及ぶことを待っているうちに私はすっかり年老いてしまったことです。

【補記】冷泉天皇は天暦四年(950)に生後二カ月で東宮(皇太子)となったが、即位したのは康保四年(967)十八歳の時であった。「我が世の…」は、年老いたことと、夜が更けたことを掛ける。

【他出】仲文集、三十人選、拾遺抄、金玉集、深窓秘抄、前十五番歌合、三十六人撰、俊成三十六人歌合、古来風躰抄、定家十体(有心様)、定家八代抄

【主な派生歌】
天の原ふりさけみれば月きよみ秋の夜いたくふけにけるかな(*源実朝)

三条の大臣殿にて、越後に物言ひて明くるまであるに、撫子の露など置きたる扇を、これ見給へとて差し出でたれば

おもひしる人に見せばや夜もすがら我がとこ夏におきゐたる露(仲文集)

【通釈】情趣を解する人に見せたいものだ。一晩中この撫子に置いている露――私の床にこぼれ続ける涙の露を。

【語釈】◇三条の大臣殿 藤原頼忠邸。◇越後 女房の名。公任集などに見える、藤原遵子(頼忠の女)に仕えた越後と同一人物であろう。◇とこ夏 撫子の別名。「床」を掛ける。◇おき 「(露が)置き」「起き」の掛詞。◇露 涙を喩える。

【補記】拾遺集では作者を清原元輔とする。また詞書によれば頼忠家の障子絵に添えた歌。

【主な派生歌】
思ひ知る人に見せばや山里の秋の夜ふかき有明の月([更級日記])

頼めたる女の身まかりにければ、はらからの許によみてつかはしける

ながれてと契りしことは行末の涙の川を言ふにぞありける(新後拾遺1451)

【通釈】「月日が流れてのちいつまでも」との思いであの人と「流れて…」と約束を交わしたのは、将来、涙の川が流れることを言っていたのですねえ。

【補記】将来を誓い合っていた女が死んだ際、その兄弟に贈った歌。「ながれて」は「泣かれて」と掛詞。「涙の川」は溢れでてやまない涙を川に譬えて言う。


公開日:平成12年09月24日
最終更新日:平成16年03月28日