浅井長政 あざいながまさ 天文十四〜天正一(1545-1573)

近江国小谷城主。下野守久政の子。茶々(淀君)・小督(徳川秀忠の正室)らの父。
永禄三年(1560)、家督を継ぐ。同十一年(1568)、織田信長の妹お市の方を娶り、信長と同盟して六角義賢を追いやり、近江の大半を領した。元亀元年(1570)、信長が誓約を破って越前朝倉氏を攻めたため、信長打倒の烽火をあげる。朝倉義景からの援軍を得て、近江姉川に信長軍と合戦。その後も石山本願寺・比叡山と結んで争うが、翌年比叡山は焼き打ちされ、天正元年(1573)、再び信長軍の羽柴秀吉に小谷城を攻められ、お市の方とその女子らを逃がし、父と共に割腹して果てた。長男万福丸(十歳)ら男子も夜陰に乗じて城を脱出したが、織田軍兵士により殺されたという。

 

けふもまた尋ね入りなむ山里の花に一夜の宿はなくとも(続武家百人一首)

【通釈】今日もまた山里に花を求めて入ってしまうのだろう。一夜を過ごす宿は無いとしても。

【補記】「入りなむ」の「なむ」は、完了の助動詞ヌの未然形ナに、推量の助動詞ムの付いた連語で、未来推量や決意をあらわす。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日