平棟仲 たいらのむねなか 生没年未詳

桓武平氏。安藝守重義の子。母は藤原道隆女。周防内侍仲子・律師朝範(後拾遺集入集歌人)・比叡山僧忠快(金葉集入集歌人)の父。
蔵人・検非違使・因幡守・周防守などを歴任し、従五位上に至る。長暦三年(1039)、内侍所御神楽に歌人として召され、長久元年(1040)九月の神楽にも召されている。
藤原範永源頼実源兼長・藤原経衡・源頼家と共に和歌六人党の一人。長暦二年(1038)・長久二年(1041)の「源大納言(師房)家歌合」に出詠。同家の歌合で講師を勤めたこともあったという(『袋草紙』)。勅撰入集は後拾遺集の二首のみ。

父の服(ぶく)ぬぎはべりける日、よめる

思ひかね形見にそめし墨染の衣にさへも別れぬるかな(後拾遺589)

【通釈】亡き父を偲ぶよすがとして染めた墨染の衣――いくら恋しくてもこれ以上慕い続けることは叶わず、その衣にさえ今日別れてしまうことだ。

【補記】後拾遺集巻十、哀傷。父重義の服喪期間が終わり、喪服を脱ぐ日に詠んだ歌。「思ひかね」は「これ以上は思い続けることができず」程の意。「別れぬるかな」に掛かる。

住吉にまゐりてよみはべりける

忘れ草つみてかへらむ住吉のきしかたの世は思ひ出もなし(後拾遺1066)

【通釈】住吉の海岸に生えるという忘れ草を摘んで帰ろう。その「岸」ではないが、来し方の我が人生には碌な思い出も無い。

【補記】住吉詣の際の歌。「わすれ草」は萱草(かんぞう)。憂いを忘れる花とされた。「きし」に「岸」「来し」を掛ける。

【本歌】紀貫之「古今集」
道しらば摘みにもゆかむ住の江の岸におふてふ恋忘れ草


最終更新日:平成16年04月19日