姉小路基綱 あねのこうじもとつな 嘉吉二〜永正元(1442-1504)

左大臣藤原師尹の裔。飛騨に勢力を持った古河(古川)姉小路家の出身。参議昌家の子。子に参議済継がいる。
左近中将などを経て、土御門天皇の文明十年(1478)、従三位に叙せられる。同十二年、参議に就任し、後柏原天皇の永正元年(1504)、権中納言に任ぜられたが、同年四月二十三日に飛騨で薨じた。六十三歳。従二位。法名常心。
公家屈指の歌人として活躍し、ことに将軍足利義政に重用された。寛正六年(1465)に勅撰集が企画された際には、二十代の若さで和歌所寄人に召されたが、応仁の乱のため撰集は実現に至らなかった。文明十五年(1483)の足利義尚の和歌打聞にも公家方手伝衆を勤めるなどした。三条西実隆に先輩歌人として親しく接する。家集『卑懐集』『卑懐集之外』がある。

「卑懐集」 私家集大成6・新編国歌大観8
「卑懐集之外」 私家集大成6・新編国歌大観8

  4首  1首  3首  1首  2首 計11首

落梅

水のあわにきえぬ色香やうかぶらむ落ちても梅の花の下風(卑懐集之外)

【通釈】水の泡に、色香の消えぬまま浮んでいるのだろうか。散り落ちても薫る、梅の花の下風よ。

【補記】「花の下風」はふつう花咲く木の下を吹き通る風のことだが、この歌では水面に散り落ちた花びらの上を吹き渡る風をそのように呼んでいる。「落ちても梅」とは、「腐っても鯛」より遥かにゆかしい言技(ことわざ)

春雨

消えゆくも霞むもわかず峰の雪色うすくなる春雨の空(卑懐集)

【通釈】融けて消えてゆくのか、雨で霞むのか、見分けがつかない。春雨の降る空の下で、峰の雪の色が薄くなる。

【補記】同題の歌で「風よわくややくもりきてふる雨の音までかすむ春の明ぼの」も捨てがたい。

夕花

見るがうちに光を花の色ぞそふ遠山ざくら月いづるころ(卑懐集)

【通釈】月の出の頃、遠山の桜を眺めれば、見る見るうちに花の色が月明りを添えて、いっそう美しく映えるのだ。

【補記】月の出を待って山の桜を見る、その胸のときめきが躍動する詞となったかの如く、臨場感を生み出している。

【参考歌】上西門院兵衛「千載集」
花の色に光さしそふ春の夜ぞ木の間の月はみるべかりける

三月尽夜

大方もあだなる花の一時をこよひの夢につくす春かな(卑懐集之外)

【通釈】そもそも移ろいやすい桜の花であるが、その儚い盛りの一時を、晩春の短か夜の今宵見る夢で尽くすのだなあ。

【補記】「三月尽」すなわち晩春三月末日の夜を、盛りの花の夢を見て「あだに」過ごす風流。文明十三年(1481)の千首歌。『卑懐集』には題「暮春」で掲載。

五月雨

下枝(しづえ)まで志賀の浜松なみ越えて水海ひろき五月雨の頃(卑懐集之外)

【通釈】志賀の浜松の下枝(しづえ)まで波がかぶさる程で、湖が広くなった五月雨の頃よ。

【補記】志賀は琵琶湖の南西、松の名所。「文明十四五廿一栄雅点」と添え書きがある。栄雅(飛鳥井雅親)に品評を依頼し、点を得たということ。

秋夕

夕べよりながめわぶるや秋の夜のながき思ひのはじめなるらむ(卑懐集)

【通釈】夕方からぼんやり景色を眺めて淋しい思いをする――これが、これから続く秋の長夜の憂愁の始めなのだろうか。

【補記】文明十四年(1482)の月次歌会。

【参考歌】一宮紀伊「詞花集」
つねよりも露けかりつる今宵かなこれや秋立つはじめなるらむ

水無瀬御廟にたてまつりし百首がなかに

むらむらに花の(まがき)をかこふかな野べの千草にまよふ夕霧(卑懐集)

【通釈】野辺の千草の色に立ち迷う夕霧は、濃淡さまざまに、花々の垣根となってそのまわりを囲っているのだなあ。

【語釈】◇むらむらに まだらに、濃淡さまざまに。◇花の籬 野辺の花を囲うように立ちこめる夕霧の謂。霧を籬に喩えるのは下記好忠詠を初例とし和歌では常套的な修辞。

【補記】霧を主題とする秋歌。詞書の「水無瀬御廟」は後鳥羽院の水無瀬離宮跡に建てられた御影堂。明治時代になって水無瀬神宮が造営された。大阪府三島郡島本町。

【参考歌】曾禰好忠「好忠集」「新古今集」
山里に霧のまがきのへだてずはをちかた人の袖も見てまし

文明十四年、内裏詩歌合に、山中紅葉

夜をこめてたつ秋霧の朝じめり紅葉の奥もふかき山かな(卑懐集)

【通釈】一晩中立ち籠めていた秋霧が、翌朝、木の葉をしっとりと湿らせて――紅葉の奧にも深々と木々が続いている山であるなあ。

【補記】文明十四年(1482)九月二十八日の内裏詩歌合。後土御門天皇・邦高親王などが出詠している。

【参考歌】藤原清輔「新古今集」
うす霧の籬の花の朝じめり秋は夕べと誰かいひけむ

内裏着到百首中、浅雪

ひましらむ窓の扉の光よりまだ見ぬ庭の雪ぞ知らるる(卑懐集)

【通釈】隙間が白んでいる窓の扉の光から、まだ見ていない庭の積雪が知られるのだ。

【補記】同じ百首歌中の雪歌「おきつ浪緑にはるる雪のいろにけさはまぢかき淡路島山」も心に残る。

寄硯恋 独吟柏木合点

つつまじよ硯の墨のみづからと見せし涙の色もこそあれ(卑懐集)

【通釈】包み隠しはすまい。硯(すずり)の墨の水――そこに、みずからの思いとして見せた涙の色もあるのだけれども。

【補記】硯に涙が落ちたため墨が薄くなってしまったが、それも敢えて隠さず文を書き送ろう、ということ。「墨の水」「みづから」が掛詞になっている。小字「柏木合点」は、評価を依頼された飛鳥井雅親が佳作として印を付けたことを示す。

【参考歌】正徹「草根集」
つつまじよおもふ思ひはいかにとも色そめがたき袖にまかせて

迎不遂恋

袖の色も人はことなる吾亦紅(われもかう)かれゆく野べに猶やしをれむ(卑懐集之外)

【通釈】袖の色も私とあの人では違っている――吾亦紅は、枯れてゆく秋の野辺でいっそう萎れてしまうだろうか。

吾亦紅 鎌倉浄妙寺にて
吾亦紅 バラ科の多年草。晩夏から初秋、暗紅紫色の小花を球形の花序に密生する。鎌倉市浄妙寺にて。

【語釈】◇迎不遂恋 迎へて遂げざる恋。家に恋人を迎えたけれども思いを遂げずに帰してしまった、という恋の設定。女の立場で詠んでいる。◇人はことなる 異なる。人とは別である、私の袖の色の吾亦紅であるが…と次句へ続く。◇吾亦紅(われもかう) 血涙に染まった己の袖の色を暗示するだけでなく、野に打ち捨てられた花に己自身を象徴させている。また、花の名は「我も紅」なのに「人はことなる」という言葉の上での矛盾が意識される。◇かれゆく 「枯れゆく」に「離(か)れゆく」が掛かり、恋人の心が離れてゆくことを暗示。

【補記】吾亦紅を詠んだ稀有な歌であるが、きわめて婉曲な象徴的技法も珍しい。水無瀬御影堂御奉納五十首。


更新日:平成17年10月16日
最終更新日:平成20年10月09日