花山院 かざんのいん 安和元年〜寛弘五(968-1008) 諱:師貞(もろさだ)

冷泉天皇の第一皇子。母は贈皇后宮藤原懐子(伊尹の息女)。子に清仁親王・昭登親王ほか。
安和二年、二歳の時円融天皇の皇太子となる。天元五年(982)、元服。永観二年(984)八月、円融天皇の譲位を受け、同年十月即位。この時十七歳。藤原義懐(よしちか)・同惟茂(これしげ)を側近として積極的な新政策の実現をはかったが、寛和二年(986)六月、退位して花山寺で出家した。『大鏡』によれば、藤原道兼に共に出家しようと誘われ、欺かれての退位であったというが、『栄花物語』は寵愛した弘徽殿女御を失った悲嘆から出家を決意したとする。
出家後は比叡山・熊野・播磨書写山などを遍歴して仏道修行に励み、すぐれた法力を身につけた。正暦四年(993)頃帰京して東院に住む。邸宅には数寄を凝らし、風雅の暮らしを送る一方、悪僧を周囲に侍らせて様々な奇行をなしたという。寛弘五年(1008)二月八日、病により崩御。四十一歳。
和歌を好み、在位中の寛和元年・二年、内裏で歌合を主催。退位後もたびたび歌合を催し、自らも詠出した。寛弘二、三年(1005〜06)頃、公任撰の『拾遺抄』を増補し、第三勅撰和歌集『拾遺和歌集』を親撰したとされている。後拾遺集初出、勅撰入集は六十八首(金葉集三奏本と詞花集の重複歌を除く)。御集が中世頃まで伝存した。

  2首  1首  2首  4首  4首 計13首

題しらず

あしひきの山に入り日の時しもぞあまたの花は照りまさりける(風雅202)

【通釈】山に日が入る時にこそ、たくさんの花はいっそう照り映えるのであった。

【語釈】◇あしひきの 「山」の枕詞。

【補記】「山に入り」には出家する意が掛かる。世を捨てようとする目にこそ、いっそう美しく見える桜。『万代集』には詞書「花のさかりに都のかたを御覧じて」とある。

いはばしる滝にまがひて那智の山高嶺を見れば花のしら雲(夫木抄)

【通釈】那智の山の頂を見上げれば、岩に迸る滝の飛沫と見分けがつない様子で、花が白雲のようにかかっている。

【語釈】◇那智(なち)の山 紀伊国の歌枕。和歌山県那智勝浦町の那智山。熊野那智大社がある。

【補記】那智の山の中腹から落ちる滝の水しぶきと、山にかかる白雲のような桜の一群が見分け難い、とした。因みに花山院は那智山で千日修行をしたと伝わり、二の滝の上流に行在所跡が残る。

題しらず

今年だにまづ初声をほととぎす世にはふるさで我に聞かせよ(詞花57)

【通釈】せめて今年だけでも真っ先に初声を私に聞かせてくれ、時鳥よ。世間の人に聞き古されないうちに。

【語釈】◇世にはふるさで 「世に古(ふる)す」とは、世間の人々にもてはやされ、その後飽きて捨てられること。

寛和二年内裏歌合によませ給ける

秋の夜の月にこころのあくがれて雲ゐにものを思ふころかな(詞花集106)

【通釈】秋の夜の月へと心が遊離して、雲の上にあって物思いに耽る今日この頃であるよ。

【補記】自ら主催した内裏歌合での出詠歌。第一番左勝。詞花集の詞書には寛和二年(986)とあるが、歌合本文によれば開催は前年の寛和元年八月十日。「月」に仏道を、「雲ゐ」に内裏を暗示。花山天皇の出家はこの歌合の翌年であった。

【他出】寛和元年内裏歌合、金葉集(初度本・三奏本)、公任集、後葉集、袋草紙、別本八代集秀逸(後鳥羽院撰)、時代不同歌合

清涼殿にて月を御覧じてよませ給へる

こころみにほかの月をも見てしがな我が宿からのあはれなるかと(金葉三奏本182)

【通釈】ためしに、よそでの月を見てみたいよ。月がこれほどあわれ深く美しいのは、眺める場所のせいかなのかどうかと。

【語釈】◇わが宿からの 今自分がいる場所ゆえの。詞書によれば「わが宿」とは内裏の清涼殿を指す。

【補記】詞花集にも載る。但し詞書は「題しらず」。

三条関白女御入内のあしたに遣はしける

朝ぼらけおきつる霜の消えかへり暮待つほどの袖を見せばや(新古1189)

【通釈】早朝に置いた霜がやがて消え果てるように、私の命は消え入りそうになりながら、あなたに再び逢える夕暮を待つ――その間に流した涙で濡れた袖を、あなたに見せたいものだ。

【語釈】◇おきつる霜の 「おき」には「置き」「起き」の両義が掛かる。◇消えかへり 「(露が)消えてなくなり」「(我が命が)消え入りそうになり」の両義。◇暮待つ程の袖 (貴女と逢える)夕暮を待つ間、逢いたさに流した涙で濡れた袖。

【補記】詞書の「三条関白女御」は藤原頼忠の娘、ィ子。永観二年(984)、女御として入内。初めて共に夜を過ごした翌朝、花山院が贈った、いわゆる後朝(きぬぎぬ)の歌である。「置き」「消え」は霜の縁語。

【他出】定家八代抄、時代不同歌合

【主な派生歌】
消えかへり霜夜の空の朝ぼらけなほざりにこそ春は来にけれ(藤原隆祐)

世をすてむとおぼしめしける頃、三条関白の女(むすめ)の女御のもとにつかはさせ給うける

世の中をはかなき物と思ふにもまづ思ひ出づる君にもあるかな(玉葉1551)

【通釈】世の中をむなしいものと思い、いっそ捨ててしまおうと思うにつけ、真っ先に名残惜しく思い出すのは、あなたのことですよ。

【補記】前歌と同じく「三条関白の女」、ィ子に贈った歌。花山院の出家は寛和二年(986)六月二十二日。

恨みおぼしめして久しう音せさせ給はぬ人に

つらければかくてやみなむと思へども物忘れせぬ恋にもあるかな(玉葉1732)

【通釈】あなたが無情なのでこのまま終りにしようと思うけれども、物忘れしない恋であることよ。

【補記】恨めしく思って、長いこと音信もしなかった相手に贈った歌。忘れたくても忘れることができないと告白する。

題しらず

暁の月見むとしも思はねど見し人ゆゑにながめられつつ(新古1527)

【通釈】暁の月を見ようとは必ずしも思わないのだけれども、かつて契りを結んだ人ゆえについ眺められてしまって。

【補記】昔の恋人の思い出が、暁の月の記憶と結びついているのである。

【参考歌】藤原為任「後拾遺集」
心には月見むとしも思はねど憂きには空ぞながめられける

熊野の道にて、御心地例ならずおぼされけるに、あまの塩焼きけるを御覧じて

旅の空夜半のけぶりとのぼりなば海人(あま)藻塩火(もしほび)たくかとや見む(後拾遺503)

【通釈】旅の途中にあって、夜の煙となって空へ昇って行ったなら、海人が藻塩火を焚いているのかと人は見るだろうか。

【語釈】◇藻塩火 塩をとるために海藻を焼く火。

【補記】熊野権現への道中、病に冒され、海人の塩焼く様を見ての作。「けぶりとのぼりなば」とは、その場で行き倒れ、火葬されたなら、の意。

【他出】栄花物語、大鏡、古来風躰抄、定家八代抄、時代不同歌合、別本八代集秀逸(定家撰)

修行し歩(あり)かせ給ひけるに、桜花の咲きたりける下に休ませ給ひて、よませ給ひける

()のもとをすみかとすればおのづから花見る人となりぬべきかな(詞花276)

【通釈】修行の身なのだが、このまま木の下を棲処としたなら、おのずと私も花見をする浮世の人になってしまいそうだよ。

【補記】出家後、各地を仏道修行していた頃、桜の花の下で一休みしての詠。『栄花物語』は円城寺(京都東山、椿ヶ峰西麓にあった寺。または園城寺の誤りか)での作としている。

【他出】金葉集(三奏本)、金玉集、和漢朗詠集、深窓秘抄、後十五番歌合、麗花集、玄々集、栄花物語、古来風躰抄、定家八代抄、別本八代集秀逸(後鳥羽院・定家・家隆撰)

【主な派生歌】
木のもとの住処も今は荒れぬべし春し暮れなば誰かとひこむ(行尊)
おのづから花の下にしやすらへば逢はばやと思ふ人も来にけり(*源頼政)
木のもとに住みけむ跡をみつるかな那智の高嶺の花を尋ねて(西行)
木のもとにやどりをすれば片しきの我が衣手に花は散りつつ(*源実朝)
尋ねきてうきをのがるる木のもとも棲とすればまつ風ぞ吹く(頓阿)

夢を

長き夜のはじめをはりもしらぬまに幾世のことを夢に見つらむ(続拾遺1266)

【通釈】この長い暗夜がいつ始まったのか、いつ終るのかも知らないうちに、私は幾たび生まれ変り、どれほど多くの一生を夢に見たことだろう。

【補記】己が生を、無明長夜の闇に迷い、輪廻転生を数限りなく繰り返してきたものと見る。「夢に見つ」とは、生そのものを夢と観じての謂。

【他出】続詞花集、万代集

修行せさせ給ひける時、みくにのわたりといふ所にとどまらせ給てよませ給うける

名にし負はば我が世はここにつくしてむ仏のみ国ちかきわたりに(玉葉2631)

【通釈】本当にその名にふさわしい場所であるのなら、私の一生はここで終わらせてしまおう。仏の御国が近いというこの渡し場の辺りに。

【補記】「みくにのわたり」は不詳。地名に仏の「御国」を掛けている。「わたり」は渡し場。歌では「あたり」の意を掛けて使っている。


更新日:平成17年02月20日
最終更新日:平成21年09月16日