播磨娘子 はりまのおとめ 生没年未詳 

伝未詳。養老四年(720)十月頃、播磨国守の任を解かれて帰京する石川君子に贈った惜別の歌二首が万葉集巻九に残る。播磨国の遊行女婦(うかれめ)かという。

石川大夫、遷任して京に上る時に、播磨娘子が贈る歌二首

たゆらきの山の()()の桜花咲かむ春へは君を偲はむ(9-1776)

【通釈】たゆらきの山の頂きの桜の花が咲く春になったら、あなた様をお偲び致しましょう。

【語釈】◇石川大夫 霊亀二年(716)播磨守になった石川君子と見て間違いないと思われる。養老四年(720)十月、兵部大輔に遷任されて帰京。◇たゆらきの山 原文は「絶等寸笶山」。所在不詳。播磨国府付近の山、今の姫路市東方の山かという。

君なくはなぞ身装はむ櫛笥なる黄楊の小櫛も取らむとも思はず(9-1777)

【通釈】あなた様がいらっしゃらなければ、どうして私は身を飾りたてましょうか。化粧箱の黄楊(つげ)の櫛を取ろうとさえ思いません。

【語釈】◇櫛笥(くしげ) 櫛などを入れた女の化粧箱。◇黄楊(つげ)の小櫛(をくし) 黄楊はツゲ科の常緑小高木。材が緻密なため、印材や櫛の材料として珍重された。


最終更新日:平成15年10月12日