尾張浜主 おわりのはまぬし 天平五〜没年未詳(733-)

奈良末期から平安初期にかけての楽人。舞の名手として名高い。承和六年(839)正月、正六位下より外従五位下に昇叙される。同十二年正月八日の大極殿の最勝会に自ら作舞した「和風長寿楽」を舞い、翌々日仁明天皇より召されて清涼殿前で再び同曲を舞った。この時百十三歳であったという。翌十三年正月にも清涼殿前で舞い、この時従五位下に叙された。なお、孝謙天皇の勅により「陵王」を改修したとの伝や、承和年間に遣唐使に従って渡唐したとの伝などもある。
勅撰集への入集は無いが、続日本後紀に二首の歌が記録されている。

 

(おきな)とてわびやは()らむ草も木も(さか)ゆる時に()でて舞ひてむ(続日本後紀)

【通釈】年寄だからと言って逼塞(ひっそく)してなどおりましょうか。草も木も栄えるこのめでたい時節に、出て行って舞いましょう。

【補記】承和十二年(845)正月十日、仁明天皇より清涼殿に召され、「和風長寿楽」を舞った後に献じた歌。天皇は賞讃し、御衣一襲を賜った。なお、これより前、舞を舞うことを願い出た上表文に載せた歌「七代(ななつぎ)の御代に遭(まわ)へる百余十(ももちまりとを)の翁の舞たてまつる」も続日本後紀に記録されている。


最終更新日:平成15年01月27日