久坂玄瑞 くさかげんずい 天保十一〜元治元(1840-1864) 号:江月斎

長門国の人。父は萩藩医を勤めた久坂良廸、母は富子。名は秀三郎・通武。父と兄を早くに亡くしたが、学問に志し、松下村塾の吉田松陰に学んで高杉晋作らと並び称された。やがて尊皇攘夷の急先鋒となり、文久二年(1862)、高杉らと共に横浜の外国商館襲撃を企て、また品川の英国公使館を焼討ちするなどした。翌年、尊攘派公家の中山忠光を擁して光明寺党を結成、外国艦船砲撃事件に加わる。その後、しばしば京都と藩の間を往復し、藩の勢力回復に尽力した。当初は入京強行に反対していたが、元治元年(1864)、藩の方針が京都進発に決すると、ついに諸隊を率いて上洛、七月十九日の禁門の変において流れ弾を受けて負傷し、鷹司邸内で自刃した。二十五歳。墓は京都市東山区の霊山護国神社、山口県萩市椿東の東光寺などにある。
漢詩文を好み、和歌も嗜んだ。明治十年(1877)に出版された遺文集『江月斎遺集』に附録として五十余首の歌を残す(『近世万葉調短歌集成 第二巻』に収録)。また福本義亮編『松下村塾之偉人 久坂玄瑞』(昭和九年、誠文堂刊。のち『久坂玄瑞全集』としてマツノ書店より復刊)には「江月斎歌稿」として遺作の和歌が蒐集されている。以下には『江月斎遺集』より六首を抄出した。

花をみて

さきにほふ花をみてだにしのぶかな雲ゐの風の今日はいかにと

【通釈】咲きにおう桜の花を見てさえ、遠く偲ぶのだ。雲の上を吹く風は、今日はいかがかと。

【語釈】◇しのぶ 離れている人やものを思慕する。◇雲ゐ 雲のあるところ。雲上界。宮廷を暗示する。

【補記】風を思い花の身を案ずる歌に、勤皇の志を籠めている。『江月斎遺集』和歌部の冒頭、文久元年(1861)、江戸での詠二十首より。まだ万葉調は見られず、王朝風の詠いぶりである。続く一首は「惜花」と題し「けふのみと思はば春のをしからん我が心をもいつかなしてむ」(大意:今日限りと思えば、春が惜しくなるだろう。命の限りを前にして、我が心をも、いつかそのように惜しむことになろう)。

郭公

ほととぎす血になくこゑはあり(あけ)の月より(ほか)にきく人ぞなき

【通釈】時鳥よ、血を吐いて啼くおまえの声は、有明の月よりほかに聞く者もないぞ。

【語釈】◇血になくこゑ 時鳥が啼いて血を吐くとは、中国の故事に由来する。

【補記】月の残る明け方、ただ独り啼く時鳥を幻想した。「きく人ぞなき」と言って、自身も聞いていないのであるから、この時鳥は実はおのれの化身なのである。前歌と同じく文久元年、二十二歳の詠。

【参考歌】よみ人しらず「古今集」
思ひ出づるときはの山のほととぎす唐紅のふり出でてぞなく
  後徳大寺実定「千載集」
ほととぎす鳴きつるかたをながむればただあり明の月ぞのこれる

観月

けふもまたしられぬ露のいのちもて()とせも照らす月をみるかな

【通釈】今日もまた、いつ消えるとも知れぬ露の命でもって、永遠に夜空を照らす月を見るのであるよ。

【語釈】◇露のいのち 露のようにはかない命。

【補記】露の命たる自身を不変の月と対比した、まことに端的な無常詠であり頌月詠である。作者の劇的な夭折がこうした歌の価値を高くすることはないが、重くすることはやはり否定できない。前二首と同じく文久元年の詠。

【参考歌】紀貫之「後撰集」
玉の緒のたえて短き命もて年月ながき恋もするかな

ことにふれてよめる歌ども(二首)

あなたなる峯の白雲夕ぐれに見ればかなしも世の事思ふに

【通釈】彼方の峰にかかっている白雲――夕暮に見ると切ないことよ。世のことを憂えるにつけて。

【補記】制作年・作歌事情など不明。『江月斎遺集』和歌部の後半を占める即興詠二十七首のうち第十九首。この歌群は万葉調の歌を含み、玄瑞が国事に奔走するさなか万葉集に親しんでいたことが知れる。掲出歌の「見ればかなしも」も万葉集に頻出する語句である。

【参考歌】河辺宮人「万葉集」巻三
風早の美保の浦廻の白つつじ見れば悲しも亡き人思ふに

 

時なればせんすべもなしもののふのあはれ吾が君もおもちちもおきて

【通釈】発つべき時であるので、致し方ない。武士たる我は、ああ、主君も両親も後に残して――。

【語釈】◇おもちち 母父。万葉集に見える語。

【補記】同じく「ことにふれてよめる歌ども」の歌群の末尾に置かれた一首。少し前に置かれた歌に「今ははや都の春も時ならむ我家(わぎへ)の桜花さきにけり」とある。掲出歌は京都進発に際しての作か。下句八・八の字余りに心情溢れる。

【参考歌】丈部造人麻呂「万葉集」巻二十
大君の命かしこみ磯にふりうの原わたる父母をおきて

古きふみ読みて後よめる

あづさ弓春も来にけりもののふの引き返さじと出づる旅路に

【通釈】梓弓を「張る」という春になったのだ。武士たる我が、引き返すまいと出立する旅路に。

【語釈】◇あづさ弓 「春」の枕詞。また「もののふ」の縁語でもある。◇引き返さじ 「引き」は「弓」の縁語。

【補記】同じ詞書のもとの三首の末尾。「いにしへのことと思ひて書(ふみ)読みしその憂きことも今は我が身に」「桜花手折りかざさんもののふの鎧の上に色香を見せて」に次いで置かれている。遺文集『江月斎遺集』の末尾を飾り、その意味では玄瑞の辞世とも呼べる歌である。


公開日:平成21年12月26日
最終更新日:平成23年06月13日