源信 げんしん 天慶五〜寛仁元(942-1017) 通称:恵心僧都

天台宗の僧侶。大和当麻出身。卜部正親の息子。母は清原氏。比叡山横川の恵心院に住んだため、恵心僧都とも呼ばれる。
九歳で比叡山に入り、良源(慈恵大師)に師事する。天元元年(978)、法華会の広学堅義となる。横川に隠棲し、寛和元年(985)、『往生要集』を著す。翌年、慶滋保胤らと念仏結社「二十五三昧会」を創設して、自著の理念を実践した。寛弘元年(1004)、権少僧都に任ぜられたが、翌年辞退。著書はほかにも『観心略要集』『阿弥陀経略記』など数多く、浄土教の基礎を築いたと評価される。
千載集初出。勅撰入集二十首。和讃の創作でも名高い。

―藤原清輔『袋草紙』より―
恵心僧都は、和歌は狂言綺語なりとて読み給はざりけるを、恵心院にて曙に水うみを眺望し給ふに、沖より舟の行くを見て、ある人の、「こぎゆく舟のあとの白浪」注1と云ふ歌を詠じけるを聞きて、めで給ひて、和歌は観念の助縁と成りぬべかりけりとて、それより読み給ふと云々。さて廿八品注2ならびに十楽の歌注3なども、その後読み給ふと云々。
 
注1 拾遺集の沙彌満誓の歌「世の中を何にたとへむ朝ぼらけこぎゆく舟のあとの白浪」。これは万葉集巻三所載歌の異伝。
注2 法華経二十八品をそれぞれ和歌に詠んだもの。千載集以下の勅撰集に釈教歌として見える。
注3 極楽浄土で受ける十の楽しみを詠んだ歌。源信作は伝わらない。

法華経薬草喩品の心をよみ侍りける

大空の雨はわきてもそそがねどうるふ草木はおのがしなじな(千載1250)

【通釈】大空から降る雨は、地上にあるものを差別して注ぐことはないけれども、それによって潤う草木は、各自さまざまだ。そのように、仏の恵みは無差別でも、衆生が善果を得るかどうかは、生まれついての因縁や精進の仕方などによって千差万別である。

【語釈】◇薬草喩品 「一地の生ずる所にして、一雨の潤す所なりと雖も、然も諸の草木に各差別有るが如し」などある。

【補記】結句を「おのがさまざま」とする本もある。

題しらず

我だにもまづ極楽に生まれなば知るも知らぬも皆むかへてむ(新古1925)

【通釈】私だけでも先に極楽往生できたなら、知る人も知らない人も、皆極楽に迎え取ろう。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日