永福門院内侍 えいふくもんいんのないし 生没年未詳

父は坊門三位基輔(関白道隆流)、母は高階経仲女。
若くして永福門院に仕え、同院とは生涯の歌友でもあった。晩年は播磨に下り、姪にあたる伏見院皇女進子内親王を養育した。
乾元二年(1303)の伏見院仙洞五十番歌合、嘉元元年(1303)か同二年の持明院殿当座歌合、嘉元三年正月の永福門院歌合、康永二年(1343)の花園院六首歌合など、京極派の歌合に出詠。また風雅集撰進のため貞和二年(1346)光厳院が召した貞和百首に詠進している。玉葉集初出。勅撰入集は計四十九首。

  3首  2首  1首  6首  8首 計20首

題しらず

ねやまでも花の香ふかき春の夜の窓にかすめる(いり)がたの月(風雅125)

【通釈】寝室までも花の香が深く匂う春の深夜――その窓には今にも沈もうとする月が霞んでいる。

【補記】月を霞ませているのが濃密な花の香であるかのような、妖艷な春夜の趣。

帰雁を

入がたの月は霞のそこにふけてかへりおくるる雁の一つら(風雅137)

【通釈】入り方の月は霞の底に深く沈んで――あたかもその眺めの美しさに見惚れていたかのように、すっかり更けた夜空を、帰り遅れた雁の一列が飛んでゆく。

【補記】「ふけて」には、月が深く沈む意と、夜が更ける意が掛かる。

春の歌とて

ちり残る花おちすさぶ夕暮の山のはうすき春雨の空(風雅247)

【通釈】散り残っていた花びらが勢いにまかせて落ち乱れる夕暮――山の稜線をうっすらと消すように降る春雨の空のもとで……。

秋の歌とて

吹きしをる四方(よも)の草木のうら葉みえて風にしらめる秋の明ぼの(玉葉542)

【通釈】野分の嵐が吹きたわませる、あたり一面の草木――その裏葉が白じらと見えて、激しい風の中、次第に明るくなってくる、秋の曙よ。

【補記】文屋康秀「吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風を嵐といふらむ」(古今集)を意識したか。掲出歌によって作者は「裡葉内侍」の称を得たらしい(尊卑分脈)。

秋の歌とて

雁のなく夕べの空のうす雲にまだ影見えぬ月ぞほのめく(風雅544)

【通釈】雁が鳴く夕方の空の薄雲に、まだ姿を現さない月がほのかに光る。まるで雁の鳴き声に呼応したかのように…。

院よりめされける三十首歌中に

ふればかつこほる朝けのふる柳なびくともなき雪のしらいと(風雅841)

【通釈】明け方、雪が降っては凍りつく古柳――その枝は言わば靡くともない雪の白糸。

【補記】花園院より召された三十首。

別恋

わかれぢの名残の空に月はあれどいでつる人のかげはとまらず(玉葉1443)

【通釈】有明の月に、恋人との別れのなごりを惜しんだ空――そこに月はまだ残っているけれど、出て行った人の面影は止まってくれない。

【補記】「わかれぢ」は「別れ道」のことだが、ここでは単に「別れ」の意。いわゆる後朝(きぬぎぬ)の別れ。

題しらず

せきやらぬ涙よしばしおちとまれさまでは人に見えじと思ふに(玉葉1543)

【通釈】塞き止め切れぬ涙よ、しばらく落ちるのをやめてくれ。それほどまで恋しく思っていると、人には見られたくないのだから。

変恋の心を

かはるかと人に心をとめてみればはかなきふしも有りしにぞ似ぬ(風雅1261)

【通釈】変わってしまうのかと、あの人の心を注意して見ていると、何ということもない点も、以前とは似ていないと気づかされる。

【補記】「はかなきふし」は、恋人のちょっとした言葉遣いや仕草。そうしたものに、以前ほどの思いやりや愛情が感じられなくなった、という悲しみ。

題しらず

聞きみるもさすがに近きおなじ世にかよふ心のなどかはるけき(玉葉1685)

【通釈】あの人の声を聞いたり、姿を見たりするのは、なんと言っても近くにいるからなのだけれど、その同じ世にあって、通い合うはずの心はどうして遥かに離れているのだろう。

忘恋を

おなじ世のちぎりをなほも待ちがほにあらじやとてもあるぞつれなき(玉葉1763)

【通釈】あの人に忘れられ捨てられたというのに、同じ世にあるうちまた結ばれることをなおも待ち望んでいるような顔などしたくない。そんな未練たらしく生きるくらいならいっそ死んでしまおうかと思っても、死ねずに生きているとは、なんて情け知らずの我が命だ。

絶後逢恋を

あらましの今一度(ひとたび)を待ちえても思ひしことをえやははるくる(玉葉1796)

【通釈】待望していた、もう一度の逢瀬をついにし遂げたとしても、あれこれと思っていた心をきれいさっぱり晴らすことなどできようか。

【補記】「はるくる」は、「晴らす」意の下二段動詞の連体形。

【本歌】和泉式部「後拾遺集」
あらざらんこの世のほかの思ひ出に今ひとたびの逢ふこともがな

五首歌合に、雑遠近を

ながめつる草のうへよりふりそめて山の端きゆる夕ぐれの雨(風雅1691)

【通釈】夕暮、野の草を眺めていたら、その葉の上に雨が降り始め、やがて山の稜線も見えなくなってゆく。

【補記】「草のうへ」から「山の端」へ――小から大、近から遠への視点の移動のうちに、雨脚が急速に強まってゆく推移を捉えた。

山中雨といへることを

しづくまではまだ落ちそめぬ山かげの檜原がうへに雨ぞきこゆる(玉葉2173)

【通釈】山陰のヒノキ林を歩いていると、頭上遥かに雨の音が聞こえる。雫まではまだ落ちて来ないのだけれど。

【補記】山中で雨に遇ったという状況設定である。「檜原(ひばら)」はヒノキ林を意味する歌語。「しづくまではまだ落ちそめぬ」から、非常に丈高いヒノキが枝を交わして林立している様が髣髴される。

山ざとに住み侍りけるころよめる

みるままに軒ばの山ぞかすみゆく心にしらぬ春やきぬらむ(風雅1413)

【通釈】軒端に山を眺めていると、見る見る霞んでゆく――沈んだ私の心には無縁なまま、春が来たのだろうか。

【参考歌】建礼門院右京大夫「玉葉集」
物おもへば心の春もしらぬ身になにうぐひすのつげにきつらん

【補記】「心にしらぬ春」とは、山里で寂しく暮らしている作者の心にとっては、春が来ようが来るまいが、関係がないことを言っている。

百首歌たてまつりし時、冬歌

こぞもさぞ又はかけじの老の波こゆべきあすの春もつれなし(風雅1622)

【通釈】去年もそうだった、再び老いの齢を加えまいと思ったのに……今年も大晦日を越してしまうことになって、明日訪れる春もそらぞらしい気持がする。

【参考歌】寂蓮「新古今集」
老の波こえける身こそあはれなれことしも今は末の松山

【補記】貞和二年(1346)の「貞和百首」。本作は冬歌として詠進されたが、述懐色が強いため、風雅集では四季雑歌を集めた巻十五の巻軸に置かれている。

はらからなる人の身まかりて送りをさめける夜、雲のむらむらたなびけるをみて

とりべ山けぶりの末やこれならんむらむらすごき空のうき雲(玉葉2335)

【通釈】鳥部山で荼毘に付した人の煙の行く末がこれなのだろうか。濃淡さまざまに凄まじい色の浮雲が、空にたなびいている。

【補記】同腹のきょうだいを葬送した夜に詠んだという歌。「むらむら」は京極派歌人が愛用した語で、色や濃淡がヴァリエーションを有する状態を言う場合が多いように思える。

雑歌の中に

いまになりむかしにかへり思ふ間にねざめの鐘も声つきぬなり(風雅1914)

【通釈】今と昔を往きつ戻りつして思いに耽るあいだに、私を目覚めさせた鐘の声も尽きてしまった。

【補記】払暁の鐘の音が尽きるまでの間、床の中で現在と過去を往還していた。その時間は長く感じられもし、短く感じられもしただろう。

内侍都のほかに住み侍りけるに、御心ち例ならざりけるころつかはされける  永福門院

わすられぬ昔語りもおしこめてつひにさてやのそれぞかなしき

【通釈】忘れられない昔話も、聞いてくれるあなたがいないばかりに、心の中に押し込めて、このまま死んでしまうのかと思うと、それだけは本当に悲しい。

御返し

はるけずてさてやと思ふうらみのみふかき歎きにそへてかなしき(風雅1951)

【通釈】お心を晴らして差し上げることができずに、このまま……などと思う無念さばかりが、あなた様を失うという深い歎きに加えて、ただもう悲しいのでございます。

 

あはれそのうきはて聞かで時の間も君にさきだつ命ともがな(風雅1952)

【通釈】ああ、あなた様のそんな辛い結末を知らされずに、ほんの少しでも早く、私の方が先に死ねる運命であったなら。

【補記】暦応五年(1342)春、永福門院が最後の病床に臥した時の贈答かという(岩佐美代子)。当時、永福門院内侍は播磨に下っていた。


更新日:平成14年10月27日
最終更新日:平成22年03月31日