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海棠はバラ科の落葉小高木。桜に少し遅れて薄紅の花をつける。蕾から咲き初めたばかりの頃が濃やかで美しく、咲き切ってしまうと色は薄れて見劣りがする。桜にもまして見頃は短く、艶麗とは言えはかない花だ。
実の生る実海棠と実のない花海棠があり、公園や寺社で普通見かけるのは花海棠の方である。大陸から渡来したのは近世初期という。「からはねず」の和名があるが、江戸時代より前に和歌で詠まれた例は未見である。
中国では牡丹等と並んで最も愛された花の一つ。宋代の小説『楊太真外伝』には、酔った楊貴妃を見た玄宗皇帝が「これ妃子が酔ひ、直(ただ)に海棠の睡り未だ足らざるのみ」と、その眠たげな姿を海棠の花に喩える場面がある。咲き初めの海棠はうつむき気味で、いかにも柔弱たる美女の趣だ。
漢詩では「雨中海棠」の題が好まれたが、雨に濡れると嫋やかな風情がひとしおまさり、春雨にこれほど引き立つ花は他にあるまい。
『惺窩先生倭謌集』 海棠 藤原惺窩
あかぬ夜の春のともし火きゆる雨にねぶれる花よねぶらずを見む
いつまでも飽きることのない春の夜、燈火が雨に湿って消えてゆく――その雨に濡れて眠っている花よ、私は眠らずに見ていよう。
楊貴妃の化身の如き「ねぶれる花」を、雨中海棠の趣向と結びつけ、この花の本意を余すところなく詠みきった傑作である。
作者は江戸朱子学の祖として知られる大学者であるが、
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『悠然院様御詠草』(海棠瑠璃鳥) 田安宗武
からはねず咲くなる枝にあをに鳥きぬるを見ればいつくしきかも
『良寛歌集』 良寛
けふもまた海棠の実を
『志濃夫廼舎歌集』(海棠) 橘曙覧
くれなゐの唇いとどなまめきて雨にしめれる花のかほよさ
『みだれ髪』 与謝野晶子
ゆふぐれを籠へ鳥よぶいもうとの爪先ぬらす海棠の雨
『恋衣』 与謝野晶子
里ずみの春雨ふれば傘さして君とわが植う海棠の苗
『遊行』 上田三四二
海棠はまだ咲きそめの実のごとき小花ぞゆらぐかぜふきしかば
『渉りかゆかむ』 斎藤史
青墨をすりつつあれば夕くれて海棠残花奥ふかまりぬ
公開日:平成22年05月14日
最終更新日:平成22年05月14日