酒人内親王
さかひとのひめみこ
- 生没年 754(天平勝宝6)〜829(天長6)
- 系譜など 白壁王と井上内親王の子(『東大寺要録』に父は広仁(光仁)天皇、母は「贈吉野皇后」とある)。他戸親王の同母妹。異母兄桓武天皇に娶られ、朝原内親王を産む。
- 略伝 770(宝亀1)年、父の白壁王が即位し(光仁天皇)、11.6、三品に叙せられる。772(宝亀3)年、19歳の時伊勢斎宮に卜定され、野宮(伊勢下向に先立ち潔斎するための宮)として春日斎宮に居住する。宝亀5年9.3、伊勢下向。翌宝亀6年4.27、母の井上内親王と弟の他戸王(25歳)が幽閉先で変死し、喪のため伊勢を退下、帰京後異母兄山部親王に娶られ朝原内親王を生む。818(弘仁9)年3月、朝原内親王の薨去に伴い、東大寺に大般若経・美濃国厚見庄・越前国横江庄・越後国土井庄などを施入(東南院文書・平安遺文)。823(弘仁14)年1.20、空海に依頼して遺言状を代作させる(『性霊集』に遺る)。829(天長6)年8.20、薨ず(76歳)。この時二品。『東大寺要録』に『日本後紀』の逸文と思われる酒人内親王の薨伝があり、「容貌殊麗、柔質窈窕(なよやかな体つきで艶めかしい)。幼くして斎宮に配せられ、長じて京に還る。俄に三品に叙せられて桓武の室となり、寵幸を受け、朝原内親王を産む。性倨傲にして情操修まらず、天皇は思うがままにさせたが、淫行はいよいよ増して自制すること能わず。弘仁年中二品を授けられ、常に東大寺に万燈会を行う」旨ある。
関連サイト:東大寺領横江荘荘家跡(石川県の文化財)
酒人内親王(斎宮物語)
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