大伴宿禰弟麻呂
おおとものすくねおとまろ
- 生没年 727(神亀4)〜809(大同4)
『公卿補任』大同四年(809年)条に五月癸酉に薨じ、年七十九とある。しかし『日本後紀』大同元年(806年)二月二十日条の弟麻呂上表文に「今年逮八十」とあり、727(神亀4)年生まれが正しいか(角田文衞)。
- 系譜など 古慈斐の子。名は乙麻呂にも作る。
- 略伝 779(宝亀10)年、従五位下。翌年、衛門佐。783(延暦2)年、常陸介に征討副将軍を兼ね、のち右中弁・左中弁・皇后宮亮・河内守を歴任。791(延暦10)年、従四位下。794(延暦13)年、征夷大将軍として、副将軍坂上田村麻呂を用い、蝦夷を征討させる。翌年節刀を返上し、従三位勲二等を叙せられる。『公卿補任』によれば809(大同4)年5月癸酉(28日)に薨じた。
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