大伴宿禰道足
おおとものすくねみちたり
- 生没年 ?〜741(天平13)?
- 系譜など 馬来田の子。伯麻呂の父。娘は北家藤原鳥養(房前の長子)に嫁ぎ、小黒麻呂を生んだ。
- 略伝 704(大宝4)年、従五位下。以後、讃岐守・弾正尹・民部大輔・右大弁などを歴任、731(天平3)年、参議となる。735(天平7)年、これ以前に美作守阿倍帯麻呂ら4名の殺人事件につき訴えを審理せず放置した廉で断罪されたが、詔により赦された。旅人没後、大伴氏の頭領的立場にあったはずであるが、政界での活躍は特に見られない。万葉集には、730(天平2)年、擢駿馬使として大宰府に下向した道足を旅人邸でもてなした宴で、葛井広成が吟じたという歌がある(06/0962)。また巻九の「高橋連虫麻呂歌集中出」とされる歌には「検税使大伴卿登筑波山時歌一首 并短歌」(09/1753・1754)・「鹿嶋郡苅野橋別大伴卿歌一首 并短歌」(09/1780・1781)があり、この「大伴卿」を道足とみる説もある。
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