空海
くうかい
- 生没年 774(宝亀5)〜835(承和2)
- 系譜など 佐伯直田公の子。母は阿刀氏。幼名は真魚。系図纂要は大伴連談の子歌の9代孫として空海を挙げている。但し讃岐国造となったのは談の兄弟と伝える御物の子倭胡であるとの伝もある。
- 略伝 774(宝亀5)年、讃岐国多度郡に生れる。15歳で上京し、18歳で大学に入学。のち大学を辞して山岳修行に入り、797(延暦16)年、『三教指帰』を著す。804(延暦23)年、留学僧として入唐。恵果の教えを受け、真言の秘義を会得する。806(大同1)年帰国して密教を伝え、朝廷の信奉を得る。812(弘仁3)年から814(弘仁5)年にかけ、最澄とも交流。815(弘仁6)年頃から本格的な密教の布教活動を行い、翌年、道場建立のため高野山の下賜を請うて勅許され、同地に金剛峯寺を建立。822(弘仁13)年、東大寺に灌頂道場(真言院)を建立。平城上皇に灌頂を授けたのもこの道場においてである。823(弘仁14)年、嵯峨天皇より東寺を給預され、ここを密教の根本道場とする。824(天長1)年、少僧都。この頃から伴国道との交友が始まる。828(天長5)年、大僧都。同年平安左京に綜芸種智院を開設し、広く門戸を解放して内典・外典を教授した。やがて病を得て高野山に隠棲し、835(承和2)年3月、同地にて入定。921(延喜21)年、醍醐天皇より弘法大師の諡号を賜わった。
系図へ