『拾遺愚草全釈』参考資料集 拾遺和歌集

拾遺和歌抄

長徳三年(九九七)に成立したと見られ、これに増補して寛弘二、三年(一〇〇五、六)頃に拾遺和歌集二十巻が完成したと見られる。撰者は藤原公任と古くから言われてきた。

巻第七 恋上

●拾遺抄二三四 題不知 読人不知

人しれぬ心の程を見せたらば今までつらき人はあらじな

【通釈】人知れずあの人を恋する私の心の程を見せたなら、あの人も今ほど冷たく当たることはあるまいよ。

【付記】拾遺集では第二句「心の内を」。

【関連歌】上0373

 

拾遺和歌集

巻一・春 巻二・夏 巻三・秋 巻四・冬 巻五・賀 巻六・別 巻八・雑上 巻九・雑下 巻十・神楽歌 巻十一・恋一 巻十二・恋二 巻十三・恋三 巻十四・恋四 巻十五・恋五 巻十六・雑春 巻十七・雑秋 巻十八・雑賀 巻十九・雑恋 巻二十・哀傷

巻第一 春

●拾遺集・春・一 平貞文が家の歌合に詠み侍りける 壬生忠岑

春たつといふばかりにやみ吉野の山もかすみて今朝は見ゆらむ

【通釈】春になったと、そう思うだけで、山深い吉野山もぼんやりと霞んでいかにも春めいて今朝は見えるのだろうか。

【語釈】◇春たつ (暦の上で)春になる。◇吉野の山 奈良県の吉野地方の山々。京都からは南になるが、山深い土地であり、春の訪れは遅い場所と考えられた。その吉野でさえも霞んで見える、ということは、暦通りに、すっかり春になったのだろうか、と言うのである。

【付記】拾遺集巻頭歌。公任『九品和歌』に最高位の「上品上」の例歌とされるなど、古来秀歌中の秀歌として名高く、定家も『近代秀歌(自筆本)』『秀歌大体』『詠歌大概』『定家八代抄』『八代集秀逸』など主だった秀歌撰に採っている。

【関連歌】上0101、上0901、中1679、員外3039、員外3592

 

●拾遺集・春・三 霞をよみ侍りける 山辺赤人

昨日こそ年は暮れしか春霞かすがの山にはやたちにけり

【通釈】昨日年は暮れたばかりなのに、春霞が春日の山に早くも現れたのだった。

【参考】「昨日こそ年は果てしか春霞春日の山にはや立ちにけり」(万葉集一八四三)

【付記】正月一日、暦どおりに春めいた気候となったことを詠む。もとは万葉集の作者未詳歌であるが、『古今和歌六帖』には作者名「山辺赤人」として載り、『赤人集』にも載ることから、赤人作と考えられたものらしい。但し具平親王撰『三十人撰』、藤原公任撰『三十六人撰』『深窓秘抄』等は作者を柿本人麿としている。

【関連歌】員外3583

 

●拾遺集・春・一四 同じ御時御屏風に 躬恒

ふる雪に色はまがひぬ梅の花香にこそ似たる物なかりけれ

【通釈】降り積もった雪に梅の花の色は見紛ってしまう。香りこそ似るものがなかったけれども。

【付記】詞書の「同じ御時」は前歌の詞書を承け「延喜御時」を指す。

【関連歌】上0507

 

●拾遺集・春・一五 冷泉院御屏風の絵に、梅の花ある家にまらうど来たる所 平兼盛

わが宿の梅の立ち枝や見えつらむ思ひのほかに君が来ませる

【通釈】我が家の高く伸びた梅の枝が見えたのだろうか。思いもかけず、あなたが来てくれた。

【語釈】◇梅の立枝 空に向かって伸びた梅の枝。「たち」には「花の香りがたつ」意が掛かる。

【付記】冷泉院(天皇在位967~969年)の御所の屏風絵。

【関連歌】下2034

 

●拾遺集・春・二一 題不知 大伴家持

春の野にあさる雉子(きぎす)の妻恋ひにおのがありかを人に知れつつ

【通釈】春の野に餌をあさる雉は、妻を慕って鳴き、自分の居場所を狩人に知らせてしまっている。

【付記】のどかな春の野に鳴く雉の声に、恋に身を滅ぼす悲愴の情を聴く。藤原公任撰『金玉集』『深窓秘抄』『三十六人撰』などの秀歌撰に採られ、平安時代においては家持の代表作と目されていた歌。万葉集巻八の原歌は「春野尓 安佐留鴙乃 妻恋尓 己我当乎 人尓令知管」で、第四句は「おのがあたりを」と訓まれる。

【関連歌】上1363、中1897、員外3337

 

●拾遺集・春・二九 題不知 兵部卿元良親王

朝まだきおきてぞ見つる梅の花夜のまの風のうしろめたさに

【通釈】朝早く起きて梅の花を見たことだ。夜の間の風に散ったのではないかと心配で。

【付記】「うしろめたさに」とは「成行きが気がかりで」程の意。

【関連歌】上1305、員外3199

 

●拾遺集・春・五〇 題不知 読人不知

桜がり雨はふりきぬおなじくは濡るとも花の陰にかくれむ

【通釈】桜狩しているうち、雨は降ってきた。同じことなら、濡れるにしても、花の陰に隠れよう。

【付記】「桜がり」は桜の花を求めて野山を逍遥すること。この歌は『撰集抄』には藤原実方の歌として載り(第五句「かげにやどらむ」)、実方の風流士ぶりを伝える歌として名高い。

【関連歌】上0610

 

●拾遺集・春・五七 天暦御時御屏風に 藤原清正

ちりぬべき花見る時は菅の根のながき春日もみじかかりけり

【通釈】散ってしまいそうな花を見る時は、菅の根のように長い春の日も短いのだった。

【関連歌】上1426

 

●拾遺集・春・六四 亭子院歌合に 貫之

桜ちる()の下風はさむからで空にしられぬ雪ぞふりける

【通釈】桜が散る木の下を吹いてゆく風は寒くはなくて、天の与かり知らぬ雪が降っているのだ。

【語釈】◇木の下風 木の下を吹く風。◇空にしられぬ雪 天空が承知して降らせているのではない雪。落花を雪に喩えている。

【付記】花を雪に擬え、雪でないことを「空にしられぬ雪」と婉曲に言いなして興じている。延喜十三年(九一三)三月十三日、宇多法皇が御所の亭子院で催した大規模な歌合に出詠された作。掲出歌は十三番左勝。

【関連歌】中1961

 

●拾遺集・春・七四 題不知 読人不知

春霞たちわかれゆく山道は花こそ幣とちりまがひけれ

【通釈】春霞が去ってゆく山道は、桜の花こそが旅立ちの幣であるとばかりに散り乱れている。

【語釈】◇たちわかれゆく 別れてゆく。「たち」はさして意味のない接頭語であるが、霞が立つと言うことから霞の縁語。

【関連歌】上1412

 

●拾遺集・春・七六 延喜御時、春宮御屏風に 貫之

風吹けば方もさだめず散る花をいづかたへゆく春とかは見む

【通釈】風が吹くと、方向も定めず散る花――春はどこへ去ってゆくのか、花の行方によって確かめようとしても、知ることなどできようか。

【付記】延喜十九年(九一九)、東宮(醍醐天皇の皇子、保明親王)の御屏風に添えた歌。

【関連歌】上0151、上1207、中1748

 

●拾遺集・春・七七 おなじ御時月次御屏風に 貫之

花もみな散りぬる宿はゆく春のふる里とこそなりぬべらなれ

【通釈】花も皆散ってしまった家は、去りゆく春があとにして行った故郷ということになってしまいそうだ。

【語釈】◇ゆく春のふる里 去り行く春にとっての古郷。春があとにして行った故郷。

【付記】延喜六年(九〇六)、後醍醐天皇の命により月次屏風のために奉った歌。題は「三月晦」。『貫之集』によればこの時貫之は四十五首を献上している。古今集には洩れたが、藤原公任が高く評価し、『金玉集』『和漢朗詠集』などに収めている。

【関連歌】上0815

 

巻第二 夏

●拾遺集・夏・八〇 屏風に 順

我が宿の垣根や春をへだつらむ夏来にけりと見ゆる卯の花

【通釈】我が家の垣根が春との境目になっているのだろうか。夏がやって来たと見える卯の花が咲いているよ。

【付記】隣家との境を「へだつ」垣根に言寄せて、卯の花が春と夏の境目をなしているとした。卯の花を描いた屏風歌に添えた歌。『順集』では詞書「四月、卯花さけるところ」。『和漢朗詠集』の「首夏」の部にも引く。

【関連歌】上0121、上0217

 

●拾遺集・夏・八一 冷泉院の東宮におはしましける時、百首歌奉れと仰せられければ 源重之

花の色にそめし袂の惜しければ衣かへうき今日にもあるかな

【通釈】花の色に染めた着物が名残惜しいので、衣替えをするのは気が進まない今日であるよ。

【付記】康保四年(九六七)以前、皇太子憲平親王(のちの冷泉天皇)に奉った百首歌。

【関連歌】上1056

 

●拾遺集・夏・八二 夏のはじめによみ侍りける 盛明親王

花散るといとひしものを夏衣たつやおそきと風を待つかな

【通釈】(春には風を)桜の花が散るからと嫌がったのに、夏衣を裁って着るや否や、早く吹かないかと風を待つことであるよ。

【関連歌】上0126

 

●拾遺集・夏・九一 延喜御時月次御屏風に 躬恒

神まつる卯月にさける卯の花はしろくもきねがしらげたるかな

【通釈】神祭をする卯月に咲いている卯の花は、巫女が杵で搗いて白くした饌米のようだ。

【語釈】◇きね 巫女。杵の意を掛ける。◇しらげたる 米を精白してある。

【付記】醍醐天皇代の月次屏風に添えた歌。卯の花を巫女(きね)が杵で搗いて精白した饌米になぞらえた。

【関連歌】中1691

 

●拾遺集・夏・九二 延喜御時月次御屏風に 貫之

神まつる宿の卯の花白妙の御幣(みてぐら)かとぞあやまたれける

【通釈】神祭をする家の卯の花は、真っ白な御幣かと見間違えてしまった。

【付記】醍醐天皇代の月次屏風に添えた歌。

【関連歌】中1691

 

●拾遺集・夏・一〇〇 天暦御時歌合に 坂上望城

ほのかにぞ鳴き渡るなる時鳥み山をいづる今朝の初声

【通釈】ほのかに鳴いて渡ってゆく時鳥。ようやく深山を出て、今朝聞くことが出来た初声よ。

【付記】天徳四年(九六〇)三月の内裏歌合。

【関連歌】中1693

 

●拾遺集・夏・一一七 題不知 読人不知

鳴けや鳴け高田の山の時鳥このさみだれに声なをしみそ

【通釈】啼けよ、声高く啼け。高田の山のほととぎすよ。この五月雨の中、声を惜しまないでおくれ。

【語釈】◇高田の山 『五代集歌枕』などは石見国とする。声の「高」い意を掛ける。「高間の山」「高田の森」とする本もある。

【付記】「高田の山」は『五代集歌枕』などによれば石見国。声の「高」い意を掛ける。

【関連歌】上1027

 

●拾遺集・夏・一二二 題不知 中務

夏の夜は浦島の子が箱なれやはかなくあけて悔しかるらん

【通釈】夏の夜は浦島の子があさはかに開けた玉手箱なのだろうか。はかなく明けて悔しいことよ。

【語釈】◇浦島の子が箱 浦島伝説による。◇はかなくあけて 浦島の子があさはかにも(箱を)開けた意に、あっさりと(夜が)明ける意を掛ける。

【付記】夏の夜の短さを浦島伝説に言寄せて詠む。「はかなくあけて」は浦島の子があさはかにも(箱を)開けた意に、あっさりと(夜が)明ける意を掛ける。

【関連歌】中1622

 

●拾遺集・夏・一二四 東宮に候ひける絵に、倉橋山に郭公とびわたりたる所 藤原実方朝臣

五月闇(さつきやみ)くらはし山の時鳥おぼつかなくも鳴き渡るかな

【通釈】五月闇に覆われた倉橋山の時鳥の声が、ぼんやりと聞えてくる。暗闇に惑い、たどたどしく啼き渡っているのだなあ。

【語釈】◇五月闇 五月の夜の闇。陰暦五月頃は空が雨雲に覆われることが多く、木々も盛んに繁っているので、夜の闇がことに深く感じられる。◇くらはし山 奈良県桜井市倉橋あたりの山。「(くら)」意を掛ける。◇おぼつかなくも たどたどしく・不安そうに。「おぼつかなし」は《ぼんやりとした状態》をいう語。鳴き声がほのかに聞えるというだけでなく、暗闇にまどうホトトギスの心になって言っている。◇鳴き渡るかな 「渡る」は「くらはし」の「はし(橋)」の縁語。

【付記】平安末~鎌倉初頃、大変評判の高い歌だったらしい。「此の歌、まことに有り難くよめり。よりて、今の世の人、歌の本體とするなり。されど、あまりに秀句にまつはれり。これはいみじけれど、ひとへに学ばんには如何」(藤原俊成『古来風躰抄』)。「秀句にまつはれり」とは、縁語・掛詞などの技巧的表現に拘泥しすぎている、ということ。

【関連歌】上0025

 

●拾遺集・夏・一二九 女四のみこの家の屏風に 躬恒

行く末はまだとほけれど夏山の木の下陰ぞ立ち憂かりける

【通釈】行く先はまだ遠いけれども、夏山の木陰は立ち去り難いのだった。

【付記】醍醐天皇の第四皇女、勤子内親王の家の屏風絵に添えた歌。

【関連歌】上0826、下2047

 

●拾遺集・夏・一三一 河原院の泉のもとにすずみ侍りて 恵慶法師

松陰の岩井の水をむすびあげて夏なき年と思ひけるかな

【通釈】松の木陰の岩井の清水を掬び上げて、その涼しさに、今年は夏のない年だと思うのだった。

【付記】源融の旧邸河原院の庭の泉のもとで涼んで詠んだという歌。『和漢朗詠集』「納涼」部に引かれている。

【関連歌】中1524、下2104、下2125、員外3008、員外3307

 

●拾遺集・夏・一三六 右大将定国四十の賀に内より屏風調(てう)じてたまひけるに 忠岑

おほあらきの森の下草しげりあひて深くも夏のなりにけるかな

【通釈】「老いぬれば」と歌われた大荒木の森の下草だが、今は盛んに茂り合って、草深くなっている。そのように、夏も深まったことであるよ。

【本歌】「おほあらきの森の下草おいぬれば駒もすさめずかる人もなし」(古今集、読人不知)

【付記】藤原定国の四十歳を祝う屏風歌。「おほあらきの森」は不詳。大和国または山城国の歌枕。奈良県五条市の荒木神社の杜とする説や、京都桂川河川敷の森とする説などがある。

【関連歌】中1795

 

巻第三 秋

●拾遺集・秋・一三七 秋のはじめによみ侍りける 安法法師

夏衣まだひとへなるうたたねに心して吹け秋の初風

【通釈】夏衣――まだ単衣(ひとえぎぬ)を着たままの転た寝には、気をつけて吹いてくれ、秋の初風よ。

【付記】拾遺集巻三、秋の巻頭。「ひとへ」とは裏のない衣。

【関連歌】上1233、上1332、中1749

 

●拾遺集・秋・一三八 題不知 読人不知

秋はきぬ竜田の山も見てしがなしぐれぬさきに色やかはると

【通釈】秋がやって来た。竜田の山も見てみたい。時雨が降らない前に、木の葉は色が変わるのかと。

【関連歌】上1351

 

●拾遺集・秋・一四〇 河原院にて、荒れたる宿に秋来たるといふ心を人々よみ侍りけるに 恵慶法師

八重(やへ)(むぐら)しげれる宿のさびしきに人こそ見えね秋は来にけり

【通釈】幾重にも葎が生い茂った寂しい宿に、人の姿こそ見えないが、秋だけはやって来たのだった。

【付記】左大臣源融の邸として栄華を誇った河原院はその後荒廃し、歌人たちの集まりの場となっていた。そこで「荒れたる宿に秋来たる」の題を詠んだという歌。定家は小倉百首のみならず『秀歌大躰』『近代秀歌(自筆本)』『詠歌大概』『八代集秀逸』といった秀歌撰のほとんど全てにこの歌を選び入れており、非常に高く評価していた。

【関連歌】上0036、上0662、上1427、中1533

 

●拾遺集・秋・一四一 題不知 安貴王

秋立ちて幾日(いくか)もあらねどこの寝ぬる朝明(あさけ)の風は(たもと)すずしも

【通釈】秋になってまだ何日も経っていないのに、今日寝て起きた朝明けの風は、袂に涼しいことよ。

【付記】原歌は万葉集の「安貴王歌」、「秋立而 幾日毛不有者 此宿流 朝開之風者 手本寒母」。『和漢朗詠集』にも採られて王朝人に愛誦された。定家は『八代抄』『秀歌大躰』『詠歌大概』などに採っている。

【関連歌】中1690、中1896、中2006、下2057、員外3592

 

●拾遺集・秋・一六九 少将に侍りける時、駒迎へにまかりて 大弐高遠

逢坂(あふさか)の関の岩かどふみならし山たちいづるきり原の駒

【通釈】逢坂の関あたりの道は岩がごつごつしてるが、その角を踏みしめ、蹄の音をたてながら、山を越えてやって来るよ、わきあがる霧の中を、桐原産の馬たちが。

【付記】「ふみならし」は「踏み均し」「踏み鳴らし」いずれともとれる。定家の本歌取り「たちつづくきり原の駒こゆれども音はかくれぬ関の岩角」からすると、新古今集の頃は「踏み鳴らし」と解釈されたか、または少なくとも掛詞と取っていたはずである。「きり原」は信濃国の歌枕。「きり」に霧を掛け、「たちいづるきり」でたちのぼる霧の意を含ませる。

【関連歌】上0449

 

●拾遺集・秋・一七〇 延喜の御時、御屏風に 貫之

逢坂の関の清水にかげ見えて今やひくらむ望月の駒

【通釈】逢坂の関の清らかな泉に影を映して、今頃牽いているのであろうか、望月の駒を。

【付記】延喜六年(九〇六)、後醍醐天皇の命により月次屏風のために奉った歌。諸国から献上される馬を八月望月の頃、逢坂の関で迎える行事「八月駒迎え」を描いた屏風絵に添えた一首である。「望月」は信濃の馬の産地の名であるが、同時に満月をも言い、清水に映る「影」とは馬の影であると共に月の光でもある。また馬の毛色である「鹿毛かげ」の意を掛けるともいう。

【関連歌】上0549、中1801

 

●拾遺集・秋・一七一 屏風に、八月十五夜、池ある家に人あそびしたる所 源順

水のおもに照る月なみをかぞふれば今宵ぞ秋のも中なりける

【通釈】水面に輝く月光の波――月次(つきなみ)をかぞえれば、今宵こそが仲秋の真ん中の夜であったよ。

【語釈】◇月なみ 「波に映る月光」「月次(月の数。月齢)」の両義。◇秋のも中 八月十五日は陰暦では秋の真ん中にあたる。「も中」のモはマの母音交替形。

【付記】十五夜に池のある家で人々が遊宴しているさまを描いた屏風絵に添えた歌。

【関連歌】上0549

 

●拾遺集・秋・一七八 廉義公家にて、草むらの夜の虫といふ題をよみ侍りける 藤原為頼

おぼつかないづこなるらむ虫の音をたづねば草の露やみだれむ

【通釈】どこで鳴いているのか、はっきりしない。虫の音のありかを求めて草叢に入れば、せっかく葉に置いた風情のある露が乱れ散ってしまうだろうか。

【付記】廉義公すなわち藤原頼忠邸で「草むらの夜の虫」の題で詠んだ歌。虫の音を聞きたいが、夜露を乱すことは躊躇う心。

【関連歌】上0230、上0657、上1128、中1930

 

●拾遺集・秋・一九〇 題不知 大中臣能宣

紅葉せぬときはの山にすむ鹿はおのれ鳴きてや秋をしるらむ

【通釈】その名の通り(萩も)黄葉しない常盤の山に棲む鹿であれば、秋であることを自分の鳴き声によって知るのだろうか。

【本歌】「紅葉せぬときはの山は吹く風のおとにや秋を聞きわたるらむ」(古今集、紀淑望)

【付記】「ときはの山」は山城国の歌枕であり、また常緑樹に覆われた山をも意味する。鹿と萩は夫婦のように見なされ、萩の黄葉する季節が彼らの恋の季節であった。それゆえ、「もみぢせぬ」は単なる語呂合せに終わらず、鹿の孤独を際立たせる。「鳴き」はそのまま「泣き」であり、秋の情趣と恋の悲哀が響き合い深まり合うのである。

【関連歌】上1102、中1837、員外3365

 

●拾遺集・秋・一九一 題不知 読人不知

秋風のうち吹くごとに高砂の尾上の鹿のなかぬ日ぞなき

【通釈】秋風が吹くたびに、決まって高砂の尾上の鹿が啼く。そうでない日などないこの頃だ。

【語釈】◇高砂の尾上 播磨国の歌枕。松の名所とされたが、古来鹿とも取り合わせて詠まれた。例「さを鹿の妻なき恋を高砂の尾上の小松ききもいれなん」(後撰集、源庶明)。

【付記】秋風に鳴く鹿の声を詠む。それを聞く話手の心は余情とする。定家は『定家八代抄』『秀歌大躰』に採っている。

【関連歌】上1046、員外2955

 

●拾遺集・秋・二一〇 嵐の山のもとをまかりけるに、紅葉のいたく散り侍りければ 右衛門督公任

朝まだき嵐の山のさむければ紅葉の錦きぬ人ぞなき

【通釈】早朝、嵐の吹く嵐山が寒々としているので、木々は色様々の紅葉を盛んに散らせ、その美しい錦衣(きんい)を着ない人とてない。

【付記】家集によれば、嵐山中腹の法輪寺に参詣した後の作。「紅葉の錦」は衣に付いた色様々の紅葉を錦織物に喩えた語で、漢語「錦衣」を意識したか。

【関連歌】中1932、下2292

 

●拾遺集・秋・二一四 暮の秋、重之が消息(せうそこ)して侍りける返り事に 平兼盛

暮れてゆく秋の形見におくものは我が元結の霜にぞありける

【通釈】暮れて去る秋が形見に残して行ったものは、私の元結についた霜――いや白髪であったよ。

【語釈】◇元結 (もとどり)を結い束ねる緒。

【付記】拾遺集秋巻末。友人であった源重之の便りに答えた歌。公任撰の『三十六人撰』『和漢朗詠集』などに採られ、俊成も『古来風躰抄』に引いて「これこそあはれによめる歌に侍るめれ」と賞賛している。

【関連歌】上0142、員外3519

 

巻第四 冬

●拾遺集・冬・二一七 時雨し侍りける日 貫之

かきくらし時雨(しぐ)るる空をながめつつ思ひこそやれ神なびの森

【通釈】空を暗くして時雨の降る空を眺めながら、(今頃散ってはいないかと)思い遣るのだ、神奈備の森を。

【付記】時雨は木々の葉を色づかせるものとされたが、また古今集284「竜田川もみぢば流る神なびのみむろの山に時雨ふるらし」(読人不知)のように、紅葉を散らすものともされた。掲出歌は拾遺集では冬歌とするので、後者としての時雨を詠んだものと取れる。季節の風物から名所歌枕を思い遣り、当時の人の歌枕に寄せる心がよく窺われる一首である。

【関連歌】上0149、上1438

 

●拾遺集・冬・二二〇 ちりのこりたる紅葉を見て 僧正遍昭

唐錦枝にひとむらのこれるは秋の形見をたたぬなりけり

【通釈】美しい紅葉の錦が枝に一むら残っているのは、秋の形見を絶やさぬのであった。

【付記】「むら」は布二反分を一巻にしたものを数える語。「群」の意を掛ける。また「絶たぬ」に「裁たぬ」の意を掛け、「錦」の縁語とする。

【関連歌】下2315、下2723

 

●拾遺集・冬・二二三 百首歌の中に 源重之

蘆の葉にかくれてすみし津の国のこやもあらはに冬は来にけり

【通釈】葦の葉に隠れて住んだ、津の国の昆陽(こや)の小屋――葦が霜枯れした今、その小屋もあらわに見えて、すっかり冬景色となった。

【付記】「こや」は摂津の歌枕「昆陽」に「小屋」の意が掛かる。

【関連歌】中1914、員外3418

 

●拾遺集・冬・二二四 題不知 貫之

思ひかね妹がりゆけば冬の夜の川風さむみ千鳥なくなり

【通釈】恋しい思いに耐えかねて愛しい人の家へ向かって行くと、冬の夜の川風があまり寒いので、千鳥が鳴いている。

【付記】『貫之集』によれば承平六年(九三六)春、左衛門督藤原実頼の屏風歌として作った歌。題は「冬」。切なる恋情と寒夜の千鳥の鳴き声とが響き合う。貫之六十代の作。定家は『定家十体』の「麗様」に引き、『八代抄』にも採っている。

【関連歌】中1859、員外3349

 

●拾遺集・冬・二三七 恒徳公家の屛風に 元輔

高砂の松にすむ鶴冬くればをのへの霜やおきまさるらん

【通釈】高砂の松に住む鶴は、冬が来れば尾羽に霜が置いて、色がいっそう美しく見えるのだろうか。

【語釈】◇尾のへ 「尾羽の上に」の意に、高砂の縁語「尾上」を掛けている。◇置きまさるらむ 霜が置いて色がまさる。鶴の羽毛がいっそう白く見える、ということ。

【付記】恒徳公すなわち後一条太政大臣藤原為光の家の屏風のための歌。定家は『八代抄』『秀歌大躰』に採る。

【関連歌】上0152

 

●拾遺集・冬・二四二 月をみてよめる 恵慶法師

天の原空さへ冴えやわたるらむ氷と見ゆる冬の夜の月

【通釈】天の原と呼ばれる広大な空さえ一面冷えきっているのだろうか。氷と見える冬の夜の月よ。

【語釈】◇天の原 天空を平原に見立てた表現。◇冴えやわたるらむ 冴えわたるのだろうか。「冴え」は冷たく氷る意。

【関連歌】上0056、上0137

 

●拾遺集・冬・二五一 題不知 兼盛

山里は雪ふりつみて道もなしけふ来む人をあはれとは見む

【通釈】山里は雪が降り積もって道もない。今日訪ねて来る人がいたら、その人をいとしいと思おう。

【関連歌】員外3616

 

●拾遺集・冬・二五二 題不知 人麿

あしびきの山路もしらず白樫の枝にも葉にも雪のふれれば

【通釈】山路も分からない。白樫の枝にも葉にも雪が降り積もって、一面真っ白なので。

【付記】原歌は万葉集巻十の二三一五番歌。

【関連歌】下2171

 

巻第五 賀

●拾遺集・賀・二八四 五条内侍のかみの賀、民部卿清貫し侍りける時、屏風に 伊勢

大空に群れたる(たづ)のさしながら思ふ心のありげなるかな

【通釈】大空に群らがっている無心の鶴も、一つの方向を指しながら飛んでゆく。さながら彼らにも長寿を祝う心があるかのようだ。

【語釈】◇さしながら ()しながら。さながら。すっかり。「指しながら」の掛詞か。◇思ふ心のありげなるかな 無心であるはずの鶴に祝賀の心があるかのように見ている。

【付記】延喜十三年(九一三)、五条尚侍(ないしのかみ)すなわち藤原満子(北家高藤の娘)の四十賀を、民部卿清貫(きよつら)(藤原南家)が催した時、屏風絵のために作った歌。『伊勢集』によれば画題は「たづむれて雲にあそぶところ」。

【関連歌】中1905

 

●拾遺集・賀・二七七 清慎公五十の賀し侍りける時の屏風に 元輔

君が代を何にたとへんさざれ石のいはほとならん程もあかねば

【通釈】我が君の寿命を何に喩えよう。さざれ石が巌となる長い時間も、満足できないので。

【付記】巻五賀歌。清慎公すなわち藤原実頼の五十賀の屏風歌として作られた歌。

【関連歌】上1499

 

●拾遺集・賀・二九二 題不知 読人不知

みな月の夏越のはらへする人は千とせの命のぶといふなり

【通釈】六月の夏越の祓をする人は、千年命が伸びるというそうだ。

【付記】巻五賀歌。『古今和歌六帖』にも見える。

【関連歌】員外3375

 

●拾遺集・賀・二九五 廉義公家にて人々に歌よませ侍りけるに、草むらのなかの夜の虫といふ題を 平兼盛

千とせとぞ草むらごとにきこゆなるこや松虫の声にはあるらん

【通釈】どの草叢にも千歳と鳴くのが聞こえる。これは長寿の松に因む松虫の声なのだろうか。

【付記】巻五賀歌。藤原頼忠邸で「草叢の中の夜の虫」という題で詠んだという歌。

【関連歌】中2008

 

●拾遺集・賀・二九八 鏡いさせ侍りける裏に、鶴の(かた)をいつけさせ侍りて 伊勢

千とせとも何か祈らんうらにすむ(たづ)のうへをぞ見るべかりける

【通釈】千歳の長寿をと、どうやって祈ろうか。浦に住む鶴――鏡の裏に鋳付けた鶴――について見ればよかったのだ。

【語釈】◇鶴のうへ 鶴に関する事柄。鶴の身の上、運命。「うへ」は表面の意で「うら(裏)」の対語、また詞書の「鏡」の縁語。

【付記】巻五賀歌。鏡の裏に鶴の形を鋳付けさせて、その鶴に因み長寿を祈った歌。

【関連歌】中2018

 

巻第六 別

●拾遺集・別・三四五 物へまかりける道にて、雁の鳴くをききて 能宣

草枕我のみならず雁がねも旅の空にぞ鳴き渡るなる

【通釈】旅をするのは私ばかりではない。雁もまた旅の空にあって鳴きながら渡ってゆく。

【関連歌】上0094

 

●拾遺集・別・三五一 流され侍りて後、いひおこせて侍りける 贈太政大臣

君がすむ宿の梢のゆくゆくと隠るるまでにかへりみしやは

【通釈】あなたの住む宿の木々の梢が、私の遠ざかって行くにつれ、次第に隠れて見えなくなるまで、何度も振り返って見たことよ。

【付記】拾遺集巻六別の部。『大鏡』によれば、大宰府に向かう菅原道真が山崎から船に乗り、都が遠ざかって行くのを心細く思って正妻に贈った歌。

【関連歌】中1576

 

巻第八 雑上

●拾遺集・雑上・四三二 月を見侍りて 中務卿具平親王

世にふるに物思ふとしもなけれども月に幾たびながめしつらむ

【通釈】この世に時を過ごすからと言って物思いに耽るわけでは必ずしもないが、月に幾度、空の月を眺めたことであろう。

【付記】「月に幾たび」は「ひと月のうちに何度」の意であるが、この「月」はまた天体としての月を指し、「ながめ」る対象ともなる。拾遺集巻八雑上巻頭歌。『和漢朗詠集』などに採られ、愛誦された歌。

【関連歌】上0685

 

●拾遺集・雑上・四三四 妻におくれて侍りける頃、月を見侍りて 大江為基

ながむるに物思ふことのなぐさむは月はうき世の(ほか)よりやゆく

【通釈】眺めれば悩みごとがまぎれるということは、月は辛い現世の外を巡っているのだろうか。

【付記】妻に先立たれた頃、月を見て詠んだ歌。

【関連歌】上0140、上0234

 

●拾遺集・雑上・四四五 権中納言敦忠が西坂本の山庄の滝の岩にかきつけ侍りける 伊勢

音羽河せきいれておとす滝つ瀬に人の心の見えもするかな

【通釈】音羽川の水を堰き止め、引き入れて落とす滝の流れに、この庭の主の風流な心が見えることよ。

【付記】藤原敦忠の山荘の滝の岩に書き付けたという歌。

【関連歌】中1606、下2403

 

●拾遺集・雑上・四五一 野宮に、斎宮の庚申し侍りけるに、松風入夜琴といふ題をよみ侍りける 斎宮女御

琴のねに峰の松風かよふらしいづれのをよりしらべそめけむ

【通釈】琴の音に、峰の松風の音が通いあっているらしい。一体この妙なる音色はどの琴の緒から奏で出し、どこの山の尾から響き始めて、ここに相逢ったのだろう。

【付記】「松風入夜琴」は唐の詩人李嶠の詩から採ったもので、正しくは「松声入夜琴」。規子内親王は天延三年(九七五)二月に伊勢斎宮に卜定され、翌年の貞元元年九月、嵯峨の野宮に入ったが、翌月の二十七日が庚申に当たり、源順等が招かれて歌会が催された。その時の題詠。

【関連歌】下2773

 

●拾遺集・雑上・四五五 同じ御時、大井に行幸ありて、人々に歌よませさせ給ひけるに

大井河かはべの松にこととはむかかるみゆきやありし昔も

【通釈】大井川のほとりの松に尋ねよう。このような盛大な行幸が昔もあったかと。

【語釈】◇ありし昔も 「昔もありし」の倒置。

【付記】作者は紀貫之。詞書の「同じ御時」は前歌の詞書を承け「延喜御時」。延喜七年(九〇七)九月十日、宇多上皇の大井川行幸の折の作。

【関連歌】員外3404

 

●拾遺集・雑上・四八三 大津の宮の荒れて侍りけるを見て 人麿

さざなみや近江(あふみ)の宮は名のみして霞たなびき宮木守(みやぎもり)なし

【通釈】近江の宮は名ばかりで、霞がたなびき、宮殿の用材を管理するする人もいない。

【付記】天智天皇の大津宮が荒廃しているのを見て詠んだという歌。『人麿集』に見え、人麿の歌とされた。

【関連歌】下2078

 

●拾遺集・雑上・四九一 詠葉 人麿

いにしへにありけむ人も我がごとや三輪の檜原にかざし折りけん

【通釈】昔ここを訪れた人も、私のする通りに、三輪の林で檜の枝を挿頭に折ったのだろうか。

【付記】「挿頭」は枝や花を折り取って髪に挿すこと。植物の霊威あるいは生命力をおのれに付着させるための呪的行為。原歌は万葉集巻七作者不詳「古尓 有險人母 如吾等架(わがごとか) 弥和乃桧原尓 挿頭折兼」。

【関連歌】上1093

 

●拾遺集・雑上・四九九 大弐国章ごくの帯を借り侍りけるを、筑紫よりのぼりて返しつかはしたりければ 元輔

ゆくすゑの忍草にも有りやとて露のかたみもおかんとぞ思ふ

【通釈】将来、あなたを偲ぶ種にもなるかと思って、ほんの僅かな記念の品として私のもとに置いておきたいと思うのです。

【付記】作者の元輔が、大宰大弐の藤原国章に借りていた玉の帯(束帯の時に用いる玉つきの帯)を、筑紫から上京した国章に返した時に詠んだという歌。国章に対する友情の深さを伝えたかったのであろう。

【関連歌】上1060

 

巻第九 雑下

●拾遺集・雑下・五五九 みちのくに名取のこほり黒塚といふ所に、重之が妹あまたありとききて、いひつかはしける 兼盛

みちのくの安達の原の黒塚に鬼こもれりときくはまことか

【通釈】陸奥の安達の原の黒塚に鬼が籠もっていると聞いたのは本当か。

【付記】黒塚の鬼女伝説を踏まえ、重之の妹を鬼に喩えて戯れた歌。

【関連歌】中1860

 

●拾遺集・雑下・五六三 御岳に、年老いてまうで侍りて 元輔

いにしへものぼりやしけん吉野山やまよりたかき齢なる人

【通釈】昔も登っただろうか。吉野山に、この私のように山より高い年齢の人が。

【付記】年老いて御岳(吉野の金峰山)詣でをした時の作。

【関連歌】上1401

 

巻第十 神楽歌

●拾遺集・神楽歌・五七七 神楽歌

榊葉の香をかぐはしみとめくれば八十(やそ)氏人(うぢびと)円居(まとゐ)せりける

【通釈】榊の葉の香がかぐわしいので、尋ねてやって来ると、多くの氏人が団欒して神楽を奏しているのだった。

【付記】採物歌(とりものうた)。手に榊の葉を持って舞う神楽歌の歌詞である。

【関連歌】上0566

 

巻第十一 恋一

●拾遺集・恋一・六三九 題不知 読人不知

大井川くだす筏のみなれ(ざを)みなれぬ人も恋しかりけり

【通釈】大井川に流し下す筏の水馴れ棹ではないが、見慣れていない人も恋しいのであった。

【語釈】◇みなれ棹 水馴棹。使い込まれて水によく馴れた舟棹。ここまでが「見馴れぬ」を導く序詞。

【付記】稀にしか見たことのない人を恋しく思い始めた自身を怪しむ心。「みなれ棹」までは同音の「見慣れ」を導く序であるが、急流に筏を操る棹のイメージを出して、恋心の危さを暗示するかのようである。

【関連歌】中1529、下2123

 

●拾遺集・恋一・六四六 題不知 読人不知

いかにしてしばし忘れむ命だにあらば逢ふよのありもこそすれ

【通釈】どうすれば暫く忘れられるだろう。せめて命さえあれば、いつか思いを遂げる夜があることもあろうに。

【付記】恋人を忘れられない苦しさゆえ、今にも死にそうな精神状態にあることが暗示される。定家は『八代抄』『八代集秀逸』に採り、非常に高く評価した。

【関連歌】上1173、下2436、下2440、員外3637

 

●拾遺集・恋一・六七八 天暦御時歌合に 中納言朝忠

逢ふことのたえてしなくは中々に人をも身をも恨みざらまし

【通釈】そもそも逢うということが全くないのならば、なまじっか、相手の無情も自分の境遇も、恨んだりしなかっただろうに。

【付記】拾遺集の排列からすると恋の初期段階の歌で、上句は「そもそも逢うことが期待できないものであるなら」といった意味合いを帯びる。すなわち「未逢恋」の風情である。ところが『定家八代抄』では恋三の巻にあり、例えば藤原道雅の「今はただ思ひたえなんとばかりを…」などの後に置かれている。このことからすると、定家は「逢不逢恋」(一度逢ったのち何かの事情で逢えなくなった恋)の歌として読んでいたに違いない。『宗祇抄』をはじめ後世の主たる百人一首注釈書も同様の解釈を取る。

【関連歌】上0073、上0375、中1724

 

巻第十二 恋二

●拾遺集・恋二・七〇〇 題不知 人麿

無き名のみたつの市とはさわげどもいさまだ人をうるよしもなし

【通釈】根も葉もない噂ばかり立って、辰の市のように騷がしいけれども、はてさて未だに恋しい人を得る手立てはないことよ。

【語釈】◇たつの市 古代、奈良の地に立った市。「辰」は開催日とも方角とも言う。「(名のみ)立つ」意が掛かる。◇うる 「売る」の意が掛かり、「市」の縁語となる。

【付記】『人丸集』に見えることから人麿の作とされた。定家は『定家十体』の「面白様」の例歌に引き、『八代抄』『詠歌大概』『近代秀歌』などにも採って非常に高く買っていた。

【関連歌】上1288

 

●拾遺集・恋二・七一〇 題不知 権中納言敦忠

逢ひ見てののちの心にくらぶれば昔は物も思はざりけり

【通釈】逢瀬を遂げた後の、この切ない気持に比べれば、まだ逢うことのなかった昔は、物思いなど無きに等しかったのだ。

【語釈】◇逢ひみてののちの心 逢って情交を遂げた後の心。◇昔 逢う以前。

【付記】百人一首の古写本・古注・カルタは普通第四句を「昔は物」とする。ここでは拾遺集の古写本に従い、「昔は物」とした。

【関連歌】上0376、上0573、上0859、上1163

 

●拾遺集・恋二・七〇六 題不知 読人不知

木幡(こはた)河こはたが言ひし言の葉ぞなき名すすがむ滝つ瀬もなし

【通釈】これは誰が言った言葉なのか。根も葉もない悪名をそそごうにも、木幡川にはそんな急流もありはしない。

【関連歌】下2300

 

●拾遺集・恋二・七二二 題不知 読人不知

いつしかと暮を待つまの大空は曇るさへこそ嬉しかりけれ

【通釈】はやく夕暮にならないかと待つ間の空は、曇って暗くなるのさえ嬉しいのだった。

【付記】逢引の時である夕暮を待ち望む心。

【関連歌】上0676、下2450

 

●拾遺集・恋二・七二四 題不知 貫之

百羽(ももは)がき羽かく(しぎ)も我がごとく(あした)わびしき数はまさらじ

【通釈】百度も羽を掻く鴫も、私ほど朝の辛いことの数は多くあるまい。

【語釈】◇百羽がき 数多い羽掻き。下記本歌に基づく。◇あしたわびしき数 朝の悲しい別れの数。いわゆる後朝の別れを言う。

【本歌】「暁の鴫の羽がき百羽がき君が来ぬ夜はわれぞ数かく」(古今集七六一、読人不知 (移動

【関連歌】下2074

 

●拾遺集・恋二・七三三 女につかはしける 読人不知

夢よりもはかなきものはかげろふのほのかに見えしかげにぞありける

【通釈】夢よりもはかないものは、かげろうのようにほのかに見えたあなたの姿なのであった。

【語釈】◇かげろふ 蜉蝣。夏、水辺に見られる虫。交尾・産卵を終えると数時間で死ぬので、「ゆふぐれに命かけたるかげろふの」(新古今集)、「かげろふの夕を待ち」(徒然草)などはかないものの喩えとされた。但し掲出歌の「かげろふ」については陽炎と見る説もある。

【関連歌】上0776、上1468、員外3386

 

●拾遺集・恋二・七六五 題不知 大伴方見

いそのかみふるとも雨にさはらめや逢はむと妹に言ひてしものを

【通釈】雨が降るとしても、障碍となろうか。逢おうとあの子に言ってしまったものを。

【語釈】◇いそのかみ 「ふる」の枕詞。

【付記】万葉集巻四の大伴像見の歌「石上 零十方雨二 将關哉 妹似相武登 言義之鬼尾」の異伝。

【関連歌】上0879

 

巻第十三 恋三

●拾遺集・恋三・七七八 題不知 人麿

あしひきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む

【通釈】林の奧深く、木の枝にとまり、独り夜を明かすという山鳥の尾、その垂れた尾――そのように長い長いこの夜を、私は恋しい人と離れ、一人ぽっちで寝るのだろうよ。

【付記】「しだり尾の」までは「ながながし」を起こす序。万葉集巻十一の「思へども思ひもかねつ足引の山鳥の尾の長き今宵を」の異伝として載る。作者不明歌であり、人麻呂の作である証拠はないが、『人丸集』に見え、拾遺集に人麿の作として採られ、新古今時代までには人麿の代表歌の一つとして定着していた。定家も小倉百首はもとより『定家八代抄』『秀歌大躰』『近代秀歌』『詠歌大概』『八代集秀逸』など、ほとんどの秀歌撰に採っている。

【関連歌】上1051、下2116、下2225

 

●拾遺集・恋三・七七九 題不知 読人不知

あしひきの葛木(かづらき)山にゐる雲のたちてもゐても君をこそ思へ

【通釈】葛木山にかかっている雲のように、立っていても、座っていても、常にあなたのことを思っています。

【語釈】◇あしひきの 葛木山の枕詞。◇葛木山 葛城山とも。大和・河内国境の連山。主峰は葛木神社のある葛木岳(通称金剛山)。今は「かつらぎ」と訓むが、昔は「かづらき」。金剛山を主峰とする。

【付記】「ゐる雲の」までは「たちてもゐても」を言い起こす序。

【関連歌】中1946

 

●拾遺集・恋三・七八一 旅の思ひをのぶといふことを 石上乙麿

あしひきの山越え暮れて宿からば妹たちまちてい寝ざらむかも

【通釈】山を越えるうちに日が暮れて、今夜宿を借りたなら、妻は家の前で立ち尽し、寝ずに待っているだろうか。

【付記】万葉集巻七の作者未詳歌(一二四二)の異伝。

【関連歌】下2052

 

●拾遺集・恋三・七八二 題不知 人麿

あしひきの山よりいづる月待つと人には言ひて君をこそ待て

【通釈】山から差し出る月を待っていると人には言って、実は愛しいあなた待っているのだ。

【付記】原歌は万葉集巻十二作者未詳の「足日木乃 従山出流 月待登 人尓波言而 妹待吾乎」。定家は『定家十体』に「有一節様」として採り、『八代抄』『秀歌大躰』にも採っている。

【関連歌】上1090、員外2820

 

●拾遺集・恋三・七八八 返し 中務

さやかにも見るべき月を我はただ涙にくもる折ぞおほかる

【通釈】くっきりと見えるはずの月を、私はもっぱら涙のために曇って見る折が多いのです。

【付記】明月の夜、源信明から贈られた歌「恋しさはおなじ心にあらずとも今宵の月を君見ざらめや」への返し。同じ月を見ていることをせめてもの慰めにしたいと言って来た相手に対し、恋しさゆえに明月も涙で曇ると言い返し、恋の思いは自分の方が強いことを切々と訴えた。

【関連歌】上0039、上0654、上0946、上1457、下2274、下2602、下2779

 

●拾遺集・恋三・八一一 延喜十五年御屏風歌 貫之

わすらるる時しなければ春の田を返す返すぞ人は恋しき

【通釈】忘れられる時がないので、春の田を何度も鋤き返すように、返す返すもあの人のことは恋しいことよ。

【語釈】◇春の田を 「返す返す」を起こす序。◇返す返すぞ 何度考えても。本当にまあ。

【関連歌】上0515

 

●拾遺集・恋三・八二二 題不知 読人不知

たたくとて宿の妻戸をあけたれば人もこずゑの水鶏なりけり

【通釈】誰かが叩くので家の妻戸を開けたところ、人も来ず、梢の水鶏が鳴いているのだった。

【関連歌】中1900

 

●拾遺集・恋三・八三〇 天暦御時、広幡の御息所ひさしく参らざりければ、御文つかはしける 御製

山がつの垣ほにおふる撫子に思ひよそへぬ時のまぞなき

【通釈】山人の家の垣根に生える撫子――その花になぞらえてあなたを偲ばない時とてないのです。

【語釈】◇思ひよそへぬ時のまぞなき なぞらえて偲ばない時とてない。「思ひよそへ」は、何かにかこつけて人を偲ぶ意。

【本歌】「あな恋し今もみてしか山がつの垣ほにさける大和撫子」(古今集、読人不知)

【付記】村上天皇が女御の広幡御息所(源庶明女、計子)に贈った歌。

【関連歌】下2774

 

●拾遺集・恋三・八三三 三百六十首の中に 曾禰好忠

わがせこが来まさぬ宵の秋風は来ぬ人よりも恨めしきかな

【通釈】愛しいあなたが来られない宵に吹く秋風は、訪れない人よりも恨めしく思えますよ。

【付記】「わがせこ」は親愛な男性に対する呼称。万葉集に頻用された語。「来ぬ人」は婉曲に「わが背子」を指している。女の立場で詠んだ歌で、「愛しいあなたが来られない宵に吹く秋風は、訪れない人よりも恨めしく思えますよ」程の意。『毎月集』に「八月中」の歌として載るが、拾遺集は恋歌として採っている。

【関連歌】員外3124

 

巻第十四 恋四

●拾遺集・恋四・八五三 題不知 人麿

湊入りの葦分けを舟さはりおほみわが思ふ人に逢はぬ頃かな

【通釈】湊に入る、葦を分けてゆく舟のように障害が多くて、恋しく思う人に逢わないこの頃であるよ。

【付記】原歌は万葉集二七四五番歌(移動)。

【関連歌】員外2855

 

●拾遺集・恋四・八五四 題不知 人麿

岩代の野中に立てる結び松心も解けず昔思へば

【通釈】岩代の野中に立っている結び松よ、お前のように私の心にも結び目ができたように気がふさいでほどけない。昔のことを思うと。

【付記】原歌は万葉集巻二「長忌寸意吉麻呂見結松哀咽歌」、「磐代之 野中尓立有 結松 情毛不解 古所念」。拾遺集では恋歌とするので「昔」は恋の思い出につながる昔であるが、元来は有間皇子の結び松を指す。

【関連歌】上1054

 

●拾遺集・恋四・八五六 題不知 読人不知

浪間より見ゆる小島の浜久木(はまひさぎ)久しくなりぬ君に逢はずて

【通釈】波の間から見える小島の浜の久木、その名のように久しくなってしまった。あなたに逢わなくなって。

【語釈】◇浜久木 浜に生えている久木。久木はキササゲまたはアカメガシワのことという。

【付記】万葉集巻十一の「浪間従 所見小嶋之 浜久木 久成奴 君尓不相四手(なみのまゆ みゆるこしまの はまひさぎ ひさしくなりぬ きみにあはずして)」の異伝。伊勢物語百十六段にも見える。

【関連歌】上0522、員外3653

 

●拾遺集・恋四・八七〇 題不知 右近

忘らるる身をば思はずちかひてし人の命の惜しくもあるかな

【通釈】忘れられる我が身は何とも思わない。忘れないと誓った人の命が、神の怒りにふれて失われるのが惜しいことよ。

【語釈】◇忘らるる身 あなたに忘却される我が身。◇身をば思はず 我が身はどうなろうと、心にかけない。ここで句切れ。◇ちかひてし人 私との仲を神仏に誓った人。「人」は婉曲に相手の男を指している。◇惜しくもあるかな 「をし」は失われることを悲しむ感情をあらわす詞。自分を捨てた男を心底同情する心か、皮肉か、解釈が分かれる。

【付記】『大和物語』八十四段には「おなじ女、をとこの忘れじとよろづのことをかけて誓ひけれど忘れにけるのちにいひやりける」として同じ歌が出ている。「かへしはえきかず」とあり、男からの返歌はなかったという。同八十一段では右近の恋の相手が「故権中納言」すなわち藤原敦忠とされており、その話の続きと見れば、この歌の相手も敦忠ということになる。定家は小倉百首に採ったほか『八代抄』『八代集秀逸』にも採っている。

【関連歌】中1978

 

●拾遺集・恋四・八七六 題不知 貫之

涙川おつる水上はやければせきぞかねつる袖のしがらみ

【通釈】水上から落ちる涙の川は流れが速いので、袖のしがらみも堰き止めることができなかった。

【付記】「袖のしがらみ」とは、涙を押さえようとする袖を、しがらみ(杭を打ち並べ、木や竹を渡して川の流れを堰き止めるもの)に喩えての謂。

【関連歌】上0061、員外3032

 

●拾遺集・恋四・八七九 天暦御時、承香殿のまへをわたらせ給ひて、こと御かたにわたらせたまひければ 斎宮女御

かつ見つつ影はなれゆく水のおもにかく数ならぬ身をいかにせむ

【通釈】私が見ているそばで、帝のお姿が、遠ざかってゆく。流れゆく水の面に数を書くように果敢ない、人の数にも入らない我が身をどうすればよいのだろう。

【語釈】◇かつ見つつ 私が見ている一方で。◇影はなれゆく 天皇の御姿が、(私の局には寄らずに)遠ざかってゆく。「離れゆく」「ゆく水の」と掛けて言う。◇かく 「(水面に数を)書く」「斯く(数ならぬ)」の掛詞。「かく数」とは、物の数をかぞえる時に記す線のことで、「水のおもに数かく」は虚しい所作の喩え。

【本歌】「ゆく水に数かくよりもはかなきは思はぬ人を思ふなりけり」(古今集、読人不知)

【付記】村上天皇の時代、承香殿(斎宮女御すなわち徽子女王の居所)の前を天皇がお渡りになり、そのまま別の所へお渡りになってしまったので詠んだという歌。「かく」は「(水面に数を)書く」「斯く(数ならぬ)」の掛詞。

【関連歌】員外2871

 

●拾遺集・恋四・八九〇 屏風にみ熊野の(かた)かきたる所 兼盛

さしながら人の心をみ熊野の浦の(はま)木綿(ゆふ)いくへなるらむ

【通釈】熊野の浦の浜木綿に、そっくりそのまま都の恋人の心を見透したことだよ。その葉が幾重にも重なっているように、あの人がどれほど繰り返し私のことを思ってくれているかと。

【語釈】◇み熊野 紀伊国熊野。「見」を掛ける。◇浜木綿 ヒガンバナ科ハマオモト属の多年草。ハマオモトとも。夏に芳香ある白い花をつける。葉の付け根あたりの白い葉鞘が幾重にも重なっているので、和歌では「いくへ」と縁語の関係を結ぶ。

【本歌】「み熊野の浦の浜木綿百重なす心は思へどただに逢はぬかも」(万葉集、柿本人麻呂)

【付記】熊野を描いた屏風絵に添えた歌。同地を旅する人が浜木綿に都の恋人を思い遣る趣向と解した。

【関連歌】上0737

 

●拾遺集・恋四・八九四 題不知 読人不知

ねぬなはのくるしかるらん人よりも我ぞます田のいけるかひなき

【通釈】苦しいというあなたよりも、私の方が苦しさは増して、生きている甲斐もないほどだ。

【語釈】◇ねぬなは 蓴菜(じゆんさい)の古名。「ねぬなはの」で「繰る」から「苦し」を言い起こす。◇ます田の 益田の。「(我ぞ)増す」の意を掛け、かつ「池」から「生ける」を言い起こす。

【付記】益田の池と、その名物である「ねぬなは(蓴菜)」に寄せて恋の苦しみを訴える。

【関連歌】上1266

 

●拾遺集・恋四・八九七 題不知 読人不知

たらちねの親のいさめしうたた寝は物思ふ時のわざにぞありける

【通釈】親がやめるようにと言った転た寝は、今にして思えば恋に思い悩んでいる時の所業なのであった。

【語釈】◇たらちねの 「親」の枕詞。

【付記】夜間、恋に悩んで寝られないので、日中に転た寝をしてしまうのである。それゆえ転た寝を「物思ふ時のわざ」と言う。

【関連歌】下2439、員外3572

 

●拾遺集・恋四・九一二 入道摂政まかりたりけるに、(かど)をおそくあけければ、「立ちわづらひぬ」と言ひて、入れて侍りければ 右大将道綱母

歎きつつ独りぬる夜のあくるまはいかに久しきものとかは知る

【通釈】嘆きながら独り寝て過ごす夜――そんな夜が明けるまでの時間は、どれほど長いものか、あなたは御存知でしょうか。

【語釈】◇あくるま 夜が明けるまでの間。家の門を「開ける」意が掛かる。

【付記】『蜻蛉日記』によれば、結婚した翌年の天暦九年(九五五)秋の作。拾遺集の詞書では夜遅く夫を家に入れてやった時に詠んだ歌としているが、日記では夫の浮気を知って怒った作者が、ある夜夫を家に入れずに帰したあと贈った歌としている。

【関連歌】上0948

 

巻第十五 恋五

●拾遺集・恋五・九三七 題不知 人麿

恋ひ死なば恋ひも死ねとや玉桙(たまぼこ)の道ゆき人にことづてもなき

【通釈】恋い死にするものなら、いっそしてしまえと言うのか、わが家の前を通りかかる人に、あの人からの伝言もありはしない。

【付記】原歌は万葉集巻十一、人麻呂歌集歌「恋死 恋死耶 玉桙 路行人 事告無(恋ひ死なば恋ひも死ねとや玉桙の道行く人に言も告げなく)」で、本来この「(こと)も告げなく」とは、夕方、辻に立って道行く人の言葉から吉凶を占う「夕占(ゆふけ)」のことを言っている。なお下句、西本願寺本の旧訓は「たまほこの みちゆきびとに こともつげけむ」。

【関連歌】上0428

 

●拾遺集・恋五・九六九 題不知 坂上郎女

岩根ふみ重なる山はなけれども逢はぬ日数を恋ひやわたらむ

【通釈】あの人との間に、岩根を踏み越えて行くような、重畳する山々はないのだけれども、逢えない多くの日々を私は恋し続けるのだろうか。

【関連歌】上0867

 

●拾遺集・恋五・九七〇 題不知 藤原有時

なげ木こる山路は人もしらなくにわが心のみ常にゆくらん

【通釈】投げ木を樵る山路は、人は誰も知らないのに、私のみが知っていて、私の心だけが常にその路を行き、嘆き続けるのだろうか。

【付記】「なげ木」に「嘆き」を掛け、自分ばかりが恋に嘆き続けることを悲しむ。『貫之集』に見え、元来は貫之の作か。

【関連歌】上0899

 

●拾遺集・恋五・九五〇 物いひ侍りける女の、後につれなく侍りて、さらに逢はず侍りければ 一条摂政

あはれとも言ふべき人は思ほえで身のいたづらになりぬべきかな

【通釈】ただ一人と思っていたあなたに捨てられてしまった上は、情けをかけてくれそうな人は誰も思い当たらないので、我が身はこのまま独り空しく死んでしまうのでしょうねえ。

【付記】「あはれとも言ふべき人」は「可哀相と言ってくれそうな人」程度の意。作者は藤原伊尹。定家は小倉百首のみならず『定家八代抄』『八代集秀逸』にも採っている。

【関連歌】上0973、員外3533

 

●拾遺集・恋五・九六七 題不知 坂上郎女

潮みてば入りぬる磯の草なれや見らく少なく恋ふらくの多き

【通釈】あの人は、潮が満ちるとすぐ海中に隠れ入ってしまう磯の草だとでもいうのか。姿を見る日は少なく、恋しがる夜ばかりが多いよ。

【付記】原歌は万葉集巻七・一三九四番の作者不明記の歌。また小異歌が『歌経標式』に塩焼王の作として載る。

【関連歌】上1407、上1422、下2046、下2122、員外3638

 

●拾遺集・恋五・九七一 円融院御時、少将更衣のもとにつかはしける

限りなき思ひの空にみちぬればいくその煙雲となるらん

  御返し

空にみつ思ひの煙雲ならばながむる人の目にぞ見えまし

【通釈】(円融院)私の限りない「思ひ」の火が空に満ちてしまったので、どれほど多くの煙が雲となっていることだろう。

(少将更衣)空に満ちる「思ひ」の煙が雲であるのなら、物思いをしながら眺める人の目には(あなたの思いが)見えるであろうに。

【付記】円融天皇の治世に、天皇が少将更衣(伝未詳)に贈り、同女が返した歌。

【関連歌】上0880

 

●拾遺集・恋五・九八〇 題不知 読人不知

つらけれど人には言はず石見潟(いはみがた)うらみぞふかき心ひとつに

【通釈】辛いけれども、人には言わない。その「言わず」という石見潟の浦ではないが、私の一心に思う恨みは深い。

【語釈】◇石見潟 前句の「言はず」を承け、「うらみ」に繋げるはたらきをする。

【関連歌】中1977

 

●拾遺集・恋五・九九〇 題不知 人麿

とにかくに物はおもはず飛騨匠うつ墨縄のただひとすぢに

【通釈】あれこれと悩みはしない。飛騨の匠が引く墨縄の筋のように、一途に恋い慕おう。

【語釈】◇墨縄 直線を引くのに使った道具。「ひとすぢ」の喩え。

【付記】万葉集巻十一の「云々 物者不念 斐太人乃 打墨繩之 直一道二」の異伝。現在の定訓は「かにかくに ものはおもはじ ひだひとの うつすみなはの ただひとみちに」。

【関連歌】下2458

 

巻第十六 雑春

●拾遺集・雑春・一〇〇三 北宮屏風に 右近

年月のゆくへもしらぬ山がつは滝の音にや春をしるらん

【通釈】歳月の移り変わりも知らない山人は、(氷が解けて水量の増した)滝の音によって春が来たことを知るのだろうか。

【付記】承平三年(九三三)、康子内親王裳着屏風歌。滝を描いた屏風絵に添えた歌であろう。拾遺集巻十六、雑春。

【関連歌】員外3350

 

●拾遺集・雑春・一〇〇六 流され侍りける時、家の梅の花を見侍りて 贈太政大臣

こちふかば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春をわするな

【通釈】東風が吹いたら、匂いを配所の私のもとまで寄越してくれ、梅の花よ。主人がいないからといって、春であることを忘れるなよ。

【付記】昌泰四年(九〇一)、菅原道真が大宰権帥に左遷され、家を発つ時の歌として伝承される。拾遺集巻十六、雑春。『大鏡』藤原時平伝を始め多くの史書・説話集等に引かれて名高い。

【関連歌】上1110

 

●拾遺集・雑春・一〇一五 北白川の山庄に、花のおもしろくさきて侍りけるを見に、人々まうできたりければ 右衛門督公任

春きてぞ人もとひける山里は花こそ宿のあるじなりけれ

【通釈】春になって客がたくさん訪れた、この山里にある私の宿の主人は、この私ではなくて、桜の花だったのだな。

【付記】雑春。「北白川」の山荘へ花見に人々がやって来たので詠んだという歌。北白川は今の京都左京区、比叡山に発し鴨川に注ぐ白川流域の地を言う。

【関連歌】上1013、中1612

 

●拾遺集・雑春・一〇五五 延喜御時、南殿にちりつみて侍りける花を見て 源公忠朝臣

殿守(とのもり)(とも)のみやつこ心あらばこの春ばかり朝ぎよめすな

【通釈】主殿寮の御奴(みやつこ)よ、情趣を解する心があるならば、残ったこの春の日々ばかりは、朝の庭掃除をしないでくれ。

【語釈】◇殿守 主殿寮。宮中の清掃などを管理する役所。◇伴のみやつこ 伴の御奴。下級官人。

【付記】雑春。醍醐天皇代、南殿(紫宸殿)に散り積もった花を見て詠んだという歌。

【関連歌】員外3318

 

●拾遺集・雑春・一〇六四 右衛門督公任こもり侍りけるころ、四月一日にいひつかはしける 左大臣

谷の戸をとぢやはてつる鶯の待つに音せで春もすぎぬる

【通釈】鶯は谷の戸をすっかり閉じてしまったのだろうか。声を聞くのを楽しみに待っていたのに、音沙汰もなく春は暮れてしまったよ。

【付記】藤原公任が岩倉の長谷に隠棲していた時、道長が贈ったという歌。官位の昇進に不満を持って自宅に籠ってしまった公任を、谷の戸を閉ざしてしまった「鶯」になぞらえ、音信を請うたのである。千載集・金葉集三奏本に重出。

【関連歌】中1864、員外3041

 

●拾遺集・雑春・一〇六八 延喜御時、藤壺の藤の花宴せさせ給ひけるに、殿上のをのこどもうたつかうまつりけるに 皇太后宮権大夫国章

藤の花宮の内には紫の雲かとのみぞあやまたれける

【通釈】藤の花は、宮中にあって、紫の雲かとばかり見誤られるのだった。

【付記】雑春。詞書の「延喜御時」は誤りで、村上天皇の天暦三年(九四九)四月十二日の藤花宴に詠まれた歌かという(岩波新古典大系注)。

【関連歌】員外3479

 

●拾遺集・雑春・一〇六九 左大臣むすめの中宮の料に調(てう)じ侍りける屏風に 右衛門督公任

紫の雲とぞ見ゆる藤の花いかなる宿のしるしなるらん

【通釈】めでたい紫の雲と見える。この美しい藤の花は、どのような家の瑞祥なのだろうか。

【付記】雑春。長保元年(九九九)十一月一日に入内した藤原彰子の屏風歌。

【関連歌】中1996

 

巻第十七 雑秋

●拾遺集・雑秋・一一二〇 題不知 読人不知

かの見ゆる池辺にたてるそが菊のしげみさえだの色のてこらさ

【通釈】あそこに見える池辺に立っているそが菊の繁みの枝に咲く花の色の濃く照るさまよ。

【付記】「そが菊」は黄菊の意とする歌学書が多いが、定家は「そが」を「追ひ(すが)ひ」の意と見る(僻案抄)。「てこらさ」は「色のてりこくみゆる」さま(僻案抄)。

【関連歌】員外3131

 

●拾遺集・雑秋・一一二二 物ねたみし侍りける男、はなれ侍りてのちに、菊のうつろひて侍りけるをつかはすとて 読人不知

老が世に憂きこときかぬ菊だにもうつろふ色はありけりと見よ

【通釈】年老いて辛い目に遭わないと聞く長寿の霊験ある菊でさえ、色が移ることはあるのだと知りなさい。

【付記】嫉妬深い男が離れて後、菊の衰えた花と共に女が贈ったという歌。不老の効験があるとされた菊さえ「うつろふ」と言って、自身の心変わりを正当化したのである。

【関連歌】下2246

 

●拾遺集・雑秋・一一二八 亭子院、大井河に御幸ありて、行幸もありぬべき所なりとおほせ給ふに、事の由奏せむと申して 小一条太政大臣

小倉山峰のもみぢ葉こころあらば今ひとたびのみゆき待たなむ

【通釈】小倉山の紅葉よ、もしおまえに心があるなら、もう一度行幸があるまで散るのは待っていてほしいよ。

【付記】延喜七年(九〇七)九月、亭子院(宇多上皇)が大井川に行幸し、「ここは、天皇(醍醐)の行幸もあってしかるべき所だ」と仰せになったので、「では天皇に上皇のご意向を奏上致しましょう」と申し上げて、藤原忠平が詠んだ歌。定家は小倉百首のほか『八代抄』『八代集秀逸』にも採っている。

【関連歌】下2727

 

●拾遺集・雑秋・一一三四 蔵人所にさぶらひける人の、氷魚のつかひにまかりにけるとて、京に侍りながら音もし侍らざりければ 修理

いかでなほ網代の氷魚に言問はむ何によりてか我をとはぬと

【通釈】どうにかしてやはり網代の氷魚に問いただしたいものだ。何を理由に私のもとを訪ねないのかと。

【付記】蔵人所に仕えていた恋人が氷魚の使(宇治川から献上される氷魚すなわち鮎の稚魚を受け取るために派遣される使者)に参るというので、まだ京にいるのに便りもしなかったので「修理(すり)」と呼ばれた女官が訪問しない理由を詰問した歌。

【関連歌】中1807

 

●拾遺集・雑秋・一一四四 三百六十首の中に 曾禰好忠

深山木を朝な夕なにこりつめて寒さをこふる小野の炭焼

【通釈】深山の木を毎朝毎晩樵り貯えて、寒さをこいねがう小野の炭焼よ。

【語釈】◇こりつめて 薪を樵り、貯える。◇さむさをこふる 寒さをこいねがう。寒気で炭が売れることを願う。◇小野 山城国愛宕郡小野郷。比叡山麓。炭焼の名所とされた。

【付記】白詩の「売炭翁」(移動)を踏まえ、寒さで炭が売れることを願う炭焼の心を詠む。冬の歌であるが、拾遺集では巻十七雑秋に収められている。金葉集初度本・三奏本では冬部に入集。『好忠集』では三百六十首歌(毎月集)の「十二月をはり」にあり、第三・四句「こりつみてさむさをねがふ」。

【関連歌】員外2987、員外3529

 

●拾遺集・雑秋・一一四五 三百六十首の中に 曾禰好忠

鳰鳥の氷の関にとぢられて玉藻の宿をかれやしぬらむ

【通釈】一面氷が張って通り路を邪魔されたために、鳰鳥は藻で作った巣を捨ててどこかへ行ってしまったのだろうか。

【語釈】◇氷の関にとぢられて 湖や沼の水面にいちめん氷が張り、浮き巣からの出入りの自由を奪われてしまって。◇玉藻の宿 藻で作った巣を言う。

【付記】冬の歌であるが、巻十七雑秋に収められている。『好忠集』の三百六十首歌(毎月集)の「十二月をはり」。

【関連歌】上1360

 

巻第十八 雑賀

●拾遺集・雑賀・一一七〇 人のかうぶりし侍りけるに 元輔

()(むらさき)たなびく雲をしるべにて(くらゐ)の山の峯をたづねん

【通釈】濃紫に棚引く雲を道しるべにして、位の山の頂を尋ね求めましょう。

【語釈】◇濃紫 元服の髪上げに用いる元結の色であり、また三位以上の袍の色。

【付記】ある人が元服して初めて冠を付けた時に詠んだ祝賀の歌。

【関連歌】上0047

 

●拾遺集・雑賀・一一八四 内にさぶらふ人を契りて侍りける夜、遅くまうできけるほどに、うしみつと時申しけるを聞きて、女の言ひつかはしける

人心うしみつ今はたのまじよ

  良岑宗貞

夢に見ゆやとねぞすぎにける

【通釈】人の心の憂いことを見た。今はもう期待すまいよ(女)。夢であなたと逢えるかと、寝過ごしてしまったのです(宗貞)。

【語釈】◇うしみつ 「憂し見つ」「丑三つ」の掛詞。◇ねぞすぎにける 寝過ごしてしまった。「ね」には「()」すなわち子の刻の意を掛ける。

【付記】良岑宗貞(遍昭の出家前の俗名)が内裏に伺候していた女と逢う約束をしていて、遅くやって来たが、丑三つと時を告げるのを聞いて相手の女が上句を贈り、これに宗貞が答えた。

【関連歌】上0286

 

巻第十九 雑恋

●拾遺集・雑恋・一二一〇 題不知 柿本人麿

をとめごが袖ふる山のみづかきの久しき世より思ひそめてき

【通釈】少女たちが袖を振る――その「ふる」ではないが、布留山に古くからある瑞垣――そのように久しい昔から、あの人を思い始めていたのだ。

【語釈】◇袖ふる山 「袖」までが「振る」の縁で地名「布留」を導く序。布留山は今の天理市布留、石上神宮のある山。◇みづかきの ここまでが「久しき時」を起こす序。

【付記】「みづかきの」までが「久しき時」を起こす序。拾遺集巻十九「雑恋」の巻頭歌。もと歌は万葉集巻四に見え、現在の定訓は「をとめらが袖ふる山のみづかきの久しき時ゆ思ひき我は」。また巻十一には「柿本朝臣人麻呂之歌集出」として、よく似た歌「をとめらを袖ふる山のみづかきの久しき時ゆ思ひけり我は」を載せる。

【関連歌】上0785、上0915、下2182

 

●拾遺集・雑恋・一二一二 題不知 柿本人麿

三島江の玉江の蘆をしめしよりおのがとぞ思ふいまだ刈らねど

【通釈】三島江の玉江の蘆に(しめ)を張ってから、もう自分のものだと思っている。まだ刈り取ってはいないけれど。

【語釈】◇三島江 摂津の歌枕。河内平野を満たしていた巨大湖の名残という。玉江はその一部か、または異称。

【付記】万葉集巻七の「寄草」譬喩歌、「三嶋江之 玉江之薦乎 従標之 己我跡曾念 雖未苅」(みしまえの たまえのこもを しめしより おのがとぞおもふ いまだからねど)の異伝。自分の女に手を出すなという歌であろう。

【関連歌】上0930

 

巻第二十 哀傷

●拾遺集・哀傷・一二七九 中納言敦忠まかりかくれてのち、比叡の西、坂本に侍りける山里に、人々まかりて花見侍りけるに 一条摂政

いにしへは散るをや人の惜しみけむ花こそ今は昔恋ふらし

【通釈】昔はあの人が花の散るのを惜しんだだろうに、今では花の方が亡き人を恋しがっているようだ。

【付記】作者は藤原伊尹。藤原敦忠が亡くなった後、比叡山の西麓の坂本で人々と花見をした時に詠んだという歌。敦忠の死は天慶六年(九四三)三月七日。

【関連歌】下2671

 

●拾遺集・哀傷・一二八三 朝顔の花を人の許につかはすとて 藤原道信朝臣

朝顔を何はかなしと思ひけむ人をも花はさこそ見るらめ

【通釈】朝顔の花をどうして果敢ないなどと思ったのだろう。人のことだって、花は果敢ないと見ているだろうに。

【付記】朝顔の花は早朝咲いて陽が高くなると萎んでしまうので、はかないものの譬えとされた。夭折した作者の人生に重ね合わせて鑑賞されてきた歌である。『道信集』の詞書は「殿上にてこれかれ世のはかなきことを言ひて、朝顔の花みるといふところを」とあり、『公任集』には「女院にて、朝顔を見給ひて」との前書がある。この「女院」は円融天皇中宮、兼家女詮子(東三条院)。

【関連歌】上0548

 

●拾遺集・哀傷・一二九九 昔見侍りし人々おほく亡くなりたることを嘆くを見侍りて 藤原為頼

世の中にあらましかばと思ふ人なきが多くもなりにけるかな

【通釈】生きていてくれたら良かったのにと思う人で、既にこの世に亡い人が多くなってしまったものだ。

【付記】『栄花物語』によれば、長徳元年(九九五)の疫病流行で多くの人が亡くなったことをはかなく思って詠んだ歌。これに返した小大君の歌「あるはなきなきは数そふ世の中にあはれいつまであらむとすらむ」も名高い。(但し拾遺集では藤原公任の返歌「常ならぬ世は憂き身こそ悲しけれその数にだにいらじと思へば」を載せている。)

【関連歌】中1581、下2219、下2621、下2628、員外3443

 

●拾遺集・哀傷・一三〇〇 返し 右衛門督公任

常ならぬ世は憂き身こそかなしけれその数にだに入らじと思へば

【通釈】無常の世では、拙い我が身こそ悲しい。生きていてほしいとあなたがおっしゃるその数にさえ入るまいと思うので。

【付記】前歌為頼の歌への返し。

【関連歌】下2687

 

●拾遺集・哀傷・一三二七 題不知 沙弥満誓

世の中を何にたとへん朝ぼらけ漕ぎゆく舟の跡のしら浪

【通釈】世の中を何に譬えたらよいだろう。朝早く港を漕ぎ出て行った船の、航跡が残っていないようなものだ。

【付記】世の中のはかなさを、航跡がたちまち消えてゆく様で譬えた。『和漢朗詠集』などに引かれ、平安中期頃から広く愛誦された歌。原歌は万葉集巻三の「沙弥満誓歌」、現在は普通次のように訓まれている。「世の中を何に(たと)へむ朝開き漕ぎ()にし船の跡なきごとし」。

【関連歌】上0883、上1133

 

●拾遺集・哀傷・一三二九 題不知 読人不知

山寺の入相の鐘の声ごとに今日も暮れぬと聞くぞかなしき

【通釈】山寺の入相の鐘の声が響くたびに、今日も暮れてしまったと聞くのが悲しい。

【付記】定家は『定家十体』の「有心様」の例歌に引き、また『八代抄』にも採っている。

【関連歌】上1387

 

●拾遺集・哀傷・一三四二 性空上人のもとに、よみてつかはしける 雅致女式部

暗きより暗き道にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端の月

【通釈】暗闇から暗闇へと、煩悩の道に迷い込んでしまいそうです。遥か彼方まで照らし出して下さい、山の端の真如の月よ。

【語釈】◇暗きより… 法華経の「従冥入於冥」(冥きより冥きに入り)に拠るという。因みに無量寿経にも「従苦入苦、従冥入冥」(苦より苦に入り、冥より冥に入る)とある。◇暗き道 煩悩の道。◇山の端の月 真如の月。性空上人による救いを暗喩する。

【付記】作者は和泉式部。播磨国書写山の円教寺の創立者性空上人(?~1007)に贈ったという歌。

【関連歌】中1596、下2213

 


公開日:2013年01月30日

最終更新日:2013年01月30日

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