依羅娘子 よさみのおとめ 生没年未詳

柿本人麻呂の妻。「娘子」はイラツメと訓む本もある。依羅氏は、摂津国住吉郡大羅郷から河内国丹比郡依羅郷にかけての土地を本拠とした氏族。石見の国から京へ上る時の人麻呂の長短歌に唱和したかと見える歌(2-140)、また人麻呂が石見の国で死に臨み作ったという歌に唱和したかと見える歌二首(2-224,225)を万葉集に残す。

柿本朝臣人麻呂の妻依羅娘子の、人麻呂と相別るる歌一首

な思ひと君は言へども逢はむ時いつと知りてか()が恋ひざらむ(万2-140)

【通釈】思うなとあなたはおっしゃいますが、お逢いできる時はいつと知って、恋しがらずにいたらよいのでしょう。

【補記】夫である柿本人麻呂と別れる時の歌。万葉集巻二相聞の掉尾。この歌の直前には人麻呂が「石見の国より妻に別れて上り来る時」に作ったという長短歌が載っており、万葉集の排列からすると、掲出歌はそれらの歌に対する唱和と見える。とすれば、依羅娘子は石見の国に住んでいた現地妻ということになる。

柿本朝臣人麻呂の死にし時、妻の依羅娘子の作る歌二首

今日今日と()が待つ君は石川の(かひ)に交りてありといはずやも(万2-224)

【通釈】お帰りは今日か今日かと私が待つ貴方は、石川の峡谷に入っておられると言うではありませんか。

【補記】「かひに」の原文は「貝尓」。「一云、谷尓」の分注が入る。文字通り貝の意とし、「水中に沈んで貝に交じっている」意とみる説もある。

 

(ただ)の逢ひは逢ひかつましじ石川に雲立ち渡れ見つつ偲はむ(万2-225)

【通釈】直接お逢いすることはかなわないでしょう。せめて石川のあたりに雲が立ち渡っておくれ。それを見ながらあの人を偲びましょう。

【補記】以上二首は、柿本人麻呂が死に臨み作ったという歌「鴨山の岩根しまける我をかも知らにと妹が待ちつつあるらむ」に続けて万葉集に載っている。


最終更新日:平成15年01月19日