吉田宜 よしだのよろし 生没年未詳

出自は百済という。出家して恵俊を号していたが、文武四年(700)八月、還俗して吉(きち)の姓と宜(ぎ)の名を賜わり、朝廷に医術を以て仕える。和銅七年(714)、従五位下。神亀元年(724)、改めて吉田連(よしだのむらじ)の姓を賜わる。図書頭・典薬頭などを歴任し、正五位下に至る。
大伴旅人と親交があったらしく、天平二年(730)七月、旅人に和歌四首を添えて書簡を贈った(万葉集巻五)。『懐風藻』にも漢詩二首を載せる。

君を思ふこと尽きずして、重ねて(しる)す二首

はろはろに思ほゆるかも白雲の千重に隔てる筑紫の国は(万5-866)

【通釈】遠く遥かに思いやられますことよ。雲が幾重にも隔てている筑紫の国は。

【補記】大伴旅人らの梅花宴の歌に和した一首「おくれゐて長恋せずは御園生の梅の花にもならましものを」、同じく松浦仙媛の歌に和した一首「君を待つ松浦の浦のをとめらは常世の国の海人をとめかも」に続け、「重ねて」記した歌。当時大宰府にいた大伴旅人から平城京の宜のもとへ、和歌を添えた書簡を贈って来た。それに対する返書に添えた歌である。

 

君が行き(け)長くなりぬ奈良道(ならぢ)なる山斎(しま)の木立も神さびにけり(万5-867)

天平二年七月十日

【通釈】あなたが旅に発たれてから多くの日々が経ちました。奈良路にあるお宅の庭園の木立も、神々しいまでに古びてしまいました。

【参考歌】磐之媛「万葉集」巻二
君が行き日長くなりぬ山たづね迎へか行かむ待ちにか待たむ


公開日:平成19年12月03日
最終更新日:平成19年12月03日