源具顕 みなもとのともあき 生年未詳〜弘安十(?-1287)

生年は文応元年(1260)頃かという(岩佐美代子説)。村上源氏。内大臣通親の裔。従二位参議具氏の子。母は法印任快女。左中将具忠はじめ三子がある。
伏見院春宮時代の近臣。『中務内侍日記』には土御門少将・播磨中将の名で登場する。侍従・左近少将などを経て、左中将に至る。弘安十年(1287)六月、正四位下に叙せられる。同年十一月七日(九日とも)、卒去。二十代半ばであったと見られる。
初期京極派歌人。弘安八年(1285)四月の京極派歌合に出詠。同九年閏十二月、百十首の歌を詠み、これが「看聞日記紙背文書」として伝わる。勅撰入集は玉葉集の二首のみ。弘安三年(1280)の「弘安源氏論議」に参加し、筆録の役をつとめた。

 

その下のきりぎりすだに音もせで冬がれ蓬たてるすごしも(詠百首和歌)

【通釈】その下にいる蟋蟀さえ音も立てず、冬枯れした蓬(よもぎ)の立っている姿の荒涼として物寂しいことよ。

【補記】「看聞日記紙背文書」として残された、弘安九年閏十二月の百首歌。冬の叙景を中心に詠んでいる。京極歌風形成期の重要な歌群として高く評価された(岩佐美代子『京極派歌人の研究』)。

【参考歌】曾禰好忠「後拾遺集」
なけやなけ蓬が杣のきりぎりすすぎゆく秋はげにぞかなしき

 

こぼれちる雪の村雲たえだえにあはれさびしき年のはてかな(詠百首和歌)

【通釈】こぼれるように空から舞い散る雪。見上げれば叢雲が途切れ途切れに浮かんでいて、ああ何と寂しい一年の終りだろうか。

【補記】「こぼれちる」は涙を暗示し、「たえだえ」は切迫した心情を伝える。景情融け合った一首。

寄枕恋

かたみとてなれし枕を手ならせばそのうつり香のうすくなりゆく(弘安八年四月歌合)

【通釈】忘れ形見と思って、恋人の使い馴れた枕にいつも手を触れて過ごしていたら、あの人の移り香がだんだん薄くなってゆく。

【補記】「かたみ」は、逢えない期間、恋人を思い出すよすがとしたもの。恋人が死んでしまったわけではない。弘安八年(1285)四月、二十番二十題の歌合、十六番右勝。判詞(伏見院筆か)は「恋の心も殊にかなしく、尤勝とすべし」。

【本歌】清原元輔「後拾遺集」
うつりがのうすくなりゆくたきもののくゆる思ひにきえぬべきかな

題しらず

秋にそふうれへもかなしいつまでと思ふわが身の夕ぐれの空(玉葉1954)

【通釈】ただでさえ悲しい秋に、さらに加わる我が身の憂い。いつまでの命かと思いつつ眺める、夕暮の空よ。

【補記】作者は親しく仕えた春宮熙仁(ひろひと)親王(伏見天皇)の即位を目前に、二十代半ばで夭折した。いつの作とも知れないが、近い死を予感していたかのような一首。

【参考歌】藤原忠兼「続拾遺集」
いつまでと思ふにもののかなしきは命まつまの秋の夕暮


最終更新日:平成15年02月11日