中臣祐臣 なかとみのすけおみ 生年未詳〜康永元年(1342)

春日大社の摂社、春日若宮社の神官を代々つとめた家に生まれる。父は祐世。伯父祐春の養子となる。子の祐任も同社神主で、風雅集に入撰した歌人。
弘安二年(1279)、叙爵。正和二年(1313)八月、春日若宮神主を嗣ぐ。木工頭。
家集『自葉集』がある。同書によれば永仁三年(1295)に千首歌を詠んだという。他にもたびたび百首歌を詠むなど、作歌には極めて熱心だった。新後撰集初出(よみ人しらず)。勅撰入集は十首。

嘉元三年名所百首よみ侍りしに、残雪を

うぢま山なほ春さむき朝風にかさねてこほる去年(こぞ)のしら雪(自葉集)

【通釈】宇治間山は春もなお寒い朝風が吹いて、去年の残雪が繰り返し凍ることだ。

【補記】自葉集巻一、春歌上。「うぢま山」は吉野行幸の際に長屋王が詠んだ歌に見える。この歌により寒い朝風と共に詠むのが常道となった歌枕である。

【本歌】長屋王「万葉集」
宇治間山朝風寒し旅にして衣かすべき妹もあらなくに

花歌中に

芳野山なほおくふかきほどみえて春につづかぬ峰のしら雲(自葉集)

【通釈】吉野山を埋める桜の木々の向うに、なお奥深いあたりが見えて――しかしそこはもう春の花が続いているのではない、峰に掛かった白雲よ。

【補記】自葉集巻一春歌上の巻末。

月歌中に

いでそむる月のあたりをたえ間にてひかりにはるる嶺の秋霧(自葉集)

【通釈】秋の峰々は濃霧に閉ざされていたが、ようやく昇り始めた月のあたりは霧の絶え間になって、月明かりにそこだけ晴れたように見える。

永仁五年に名所百首よみ侍りしに、月

おきつ風ふくかときけばささじまの月に磯こす秋の浦浪(自葉集)

【通釈】沖の風が吹くのかと聞こえたが、見れば月に照らされた笹島の磯を越えて秋の浦波が寄せて来るのだったよ。

【補記】「ささじま」は、万葉集巻七の歌(本歌参照)に由来する歌枕であるが、所在等は未詳(『歌枕名寄』は顕昭に従い豊後国に入れているが、伊勢国とする説もあると言う)。万葉集に「小竹嶋」とあるのは、実は「小」は誤字で「竹島」が正しいとし、現在では「たかしま」と訓む説が普通となっている。

【本歌】藤原宇合「万葉集」
夢にのみ継ぎて見えつつ小竹嶋の磯越す波のしくしく思ほゆ


最終更新日:平成15年05月20日