神社老麻呂 かみこそのおゆまろ 生没年未詳

伝未詳。天平五年(733)に詠んだ歌二首が万葉集に載る。

五年癸酉、草香山を超ゆる時、神社忌寸老麿が作る歌二首

難波潟潮干の名残よく見てむ家なる妹が待ち問はむため(万6-976)

【通釈】難波潟の潮が引いたあとに残るもの――藻や貝のたぐい――をよく目に留めておこう。家で待っている妻が、みやげ話を楽しみに待っているだろうから。

【語釈】◇草香山 生駒山西部の山々。「くさか」の地名は今(平成二十年現在)東大阪市日下町に残る。◇難波潟 難波地方の遠浅の海。今の大阪市中心部あたりには、水深の浅い海や、葦におおわれた低湿地が広がっていた。その辺りを難波潟と呼んだ。

【補記】天平五年(733)。大和国から難波へ向かって草香山を越える時、眼下の難波潟を眺めての作。山に囲まれた平城京の人々にとって海の景色は珍しいもので、旅行者は土産話をせがまれたのであろう。

 

直越(ただこえ)のこの道にして押し照るや難波の海と名付けけらしも(万6-977)

【通釈】難波へまっすぐに越えるこの大路から眺めて、『押し照るや(いちめん光を照り返す)難波の海』と名づけたのであったか。

【補記】「難波の海」は一首目と同じく難波潟のこと。難波にかかる枕詞「おしてるや」を、難波の海の実景を表したものと見ている。


更新日:平成15年11月08日
最終更新日:平成20年10月22日