伝不詳。和銅四年(711)、姫島の松原で娘子の屍を見て作ったという歌が万葉集に六首載る。「河辺宮人」は人名でなく、飛鳥の河辺宮の宮人の意とする説がある(萬葉集全注釋)。また物語上の作者で、架空の人物の匂いが強いとも言う(萬葉集釋注)。
和銅四年歳次辛亥、河辺宮人、姫島の松原にして娘子の屍を見て悲嘆しびて作る歌二首
妹が名は千代に流れむ姫島の小松が末に蘿生すまでに(万2-228)
【通釈】娘子よ、あなたの名は千年のちまでも流れ伝わるであろう。姫島の小松の梢に苔が生すまでずっと。
【語釈】◇姫島 難波潟(かつて大阪平野に広がっていた浅海)にあった島。
【他出】「歌経標式」
妹が名は千代にながれむ姫島に小松が枝の苔むすまでに
「家持集」「夫木和歌抄」
妹が名は千代にながさん姫島の小松がうれに苔おふるまで
【主な派生歌】
我が君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで(*よみ人しらず[古今])
難波潟潮干なありそね沈みにし妹が姿を見まく苦しも(万2-229)
【通釈】難波潟よ、引き潮があってくれるな。水底に沈んだ娘子の姿を見るのは苦しいから。
和銅四年辛亥、河辺宮人、姫島の松原の美人の屍を見て、哀慟しびて作る歌四首
風早の美保の浦廻の白つつじ見れどもさぶし亡き人思へば(万3-434)
【通釈】美保の浦の海岸に咲く白躑躅――いくら見ても心寂しい。亡き娘子のことを思うと。
【語釈】◇風早の 「美保」の枕詞。◇美保の浦廻 和歌山県日高郡美浜町三尾の海岸。万葉集巻三の博通法師の歌によれば久米若子が住んでいた窟があった所。
【補記】「美保」は紀伊国の地名と見られ、題詞「姫島の松原の美人の屍を見て」と矛盾する。同じ娘子にまつわる異伝に基づく歌か。下句、異文として「見者悲霜無人思丹(見れば悲しもなき人思ふに)」が注記されている。
みつみつし久米の若子がい触れけむ磯の草根の枯れまく惜しも(万3-435)
【通釈】久米の若者が手を触れたという、磯辺の草が枯れてしまったのは惜しまれてならない。
【語釈】◇みつみつし 「久米」の枕詞。「いかめしく強い」程の意。◇久米の若子 伝説上の人物。◇磯の草根 娘子を喩える。
人言の繁きこのころ玉ならば手に巻き持ちて恋ひざらましを(万3-436)
【通】人の噂がうるさいこの頃、あなたが宝玉であったなら、いつも手に巻き持っておいて、こんなに恋しく思わないだろうに。
【補記】生前久米若子と娘子の間で交わされた相聞として創作したか。挽歌としてはふさわしくなく、次の一首と共に無関係の歌が混入したものかとも言う。
【参考歌】天皇崩時婦人作歌「万葉集」巻二
うつせみし 神に堪へねば 離れ居て 朝嘆く君 放り居て 我が恋ふる君 玉ならば 手に巻き持ちて 衣ならば 脱く時もなく 我が恋ふる 君ぞ昨夜の夜 夢に見えつる
大伴坂上大嬢「万葉集」巻四
玉ならば手にも巻かむをうつせみの世の人なれば手に巻きかたし
妹も我も清の川の川岸の妹が悔ゆべき心は持たじ(万3-437)
【通釈】あなたも私も清の川の名のように身に恥じるところはない。その川の河岸が崩(く)えるように、後になってあなたが悔いるような、そんな浮ついた心は私は決して持つまいよ。
【補記】上三句は序詞。川岸が「崩(く)ゆ」から「悔ゆ」を起こす。
最終更新日:平成15年08月23日