武蔵国豊島郡の人。上丁椋椅部(くらはしべの)荒虫(あらむし)の妻。 天平勝宝七歳(755)二月、夫は防人として筑紫に派遣された。
赤駒を山野に放(はが)し捕りかにて多摩の横山徒歩(かし)ゆか遣らむ(万20-4417)
【通釈】赤毛の馬を山野に放し飼いにして、捕えかね、多摩の横山を歩いて行かせることになるのだろうか。
【語釈】◇多摩の横山 今「多摩丘陵」と呼ばれる、東京都多摩市・府中市の丘陵地帯。武蔵国から相模国へ向かう途中にある。
【補記】「はがし」は「はなち」の、「捕りかにて」は「とりかねて」の、「かし」は「かち」の東国訛り。馬が捕えられず、夫を徒歩で防人に発たせねばならないことを悔やむ。
最終更新日:平成15年01月05日
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