覚忠 かくちゅう 元永元〜治承元(1118-1177) 号:長谷前大僧正・宇治大僧正

関白藤原忠通の息子。基実・兼実慈円らの兄。
天台僧。園城寺(三井寺)に入り、各地の霊場で修行した。保元元年(1156)、権僧正。のち、天台座主・三井寺長吏・大僧正をつとめた。応保元年(1161)、熊野那智から御室戸まで観音霊場三十三所を巡礼(『寺門高僧記』)。これがいわゆる西国三十三所巡りの初例とされる。嘉応元年(1169)、三井寺で歌合を主催。俊恵の歌林苑の歌合に参加し、重家・成通らとも親交があった。千載集初出。『新時代不同歌合』に歌仙として選ばれている。

海路三月尽といへる心をよめる

惜しめどもかひもなぎさに春くれて波とともにぞ立ち別れぬる(千載133)

【通釈】船は渚を離れ、沖へと漕ぎ出て行く。ここで春の暮れてゆくのを惜しんでも、甲斐のないことだ。跡もなく消えてゆく波とともに、春と別れてしまったのだ。

【掛詞】◇かひ 甲斐・貝・櫂(仮名違い)。◇なぎさ 「無き」を掛ける。
【縁語】櫂・貝・渚・波・立ち−海や船に関する縁語。

秋の歌とてよみ侍りける

ときはなる青葉の山も秋くれば色こそかへねさびしかりけり(千載273)

【通釈】常緑の青葉山も、秋になったので、色は変えないけれども、寂しげになったなあ。

【語釈】◇青葉の山 固有名詞とすれば、若狭・丹後国境の山。今で言えば京都府・福井県の境になる。若狭富士・丹後富士とも呼ばれる。(但し『和歌初学抄』は陸奥国の歌枕とする)。

山寺秋暮といへる心をよみ侍りける

さらぬだに心ぼそきを山里の鐘さへ秋の暮をつくなり(千載382)

【通釈】ただでさえ冬を間近に心細い思いでいるというのに、山里の寺の鐘までもが秋の終りを告げて鳴っている。

【語釈】◇秋の暮 秋の終り。九月晦日の歌。なお「暮」には夕暮の意も響かせ、この鐘が入相の鐘であることを暗示している。◇つくなり 「告ぐ」「撞く」を掛ける。「なり」は伝聞推定の助動詞。

題しらず

神無月木々の木の葉は散りはてて庭にぞ風のおとは聞こゆる(新古571)

【通釈】初冬十月、木々の葉はすっかり散ってしまった。それで枝の繁みは風が吹いても鳴らず、庵の庭の落葉にばかり風の音が聞こえるようになった。

【本歌】曾禰好忠「新古今」
人はこず風に木の葉は散りはてて夜な夜な虫は声よわるなり

客衣露重といへる心をよみ侍りける

旅衣あさたつ小野の露しげみしぼりもあへずしのぶもぢずり(千載524)

【通釈】朝、旅立ってゆく野は露が多くて、信夫(しのぶ)の文字摺りの旅衣はいくら絞っても絞りきれないほど濡れてしまった。

【語釈】◇露しげみ 露がたくさん降りているので。露は故郷との別れを悲しむ涙を暗示する。◇しのぶもぢずり 陸奥国信夫郡特産の摺り衣。「もぢずり」はもともと「捩(も)ぢ摺り」。その模様から「乱れ」を導く序として用いられ(「みちのくのしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくに」伊勢物語)、この歌でも心の乱れを暗示している。

三十三所の観音拝み奉らむとて所々に参り侍りける時、美濃の谷汲(たにくみ)にて油の出づるを見てよみ侍りける

よをてらす仏のしるしありければまだ灯も消えぬなりけり(千載1211)

【通釈】このように世を照らす観音様の霊験があったので、今も絶えることなく法の灯(あか)りはともり続けているのだなあ。

【語釈】◇よをてらす 世・夜を照らす。◇三十三所の観音 西国三十三観音。覚忠の巡礼を確実な初例とする。◇谷汲 岐阜県揖斐郡谷汲村の谷汲山華厳寺。西国三十三所巡礼満願の寺。◇油の出づる 石油の湧出を言う。◇仏のしるし 谷汲の地に石油が湧いたことを言う。◇灯(ともしび)も消えぬ 法灯が承け伝えられ、守られていることを言う。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日