和田厳足 わだいずたり 天明七〜安政六(1787-1859) 号:釣龍翁

熊本藩士弓削平八の二男。同藩の和田団四郎の養子となる。初名は千尋。通称、震七郎。のち厳足を名のり、別に真震(まゆり)とも称した。厳足は伊豆足とも書く。武芸を能くし、特に剣と槍に長じたという。文化十三年(1816)、三十歳で養父の跡目を継ぎ、御番方となる。公務に励むも、六年後の文政五年(1822)、或る訴訟事件に関与してお叱りを受け、八代(今の熊本県八代市)の御城附を命ぜられた。その後二十八年の長きにわたり八代で謹慎生活を送ったが、六十三歳の時、再び冤罪を受け、佐敷(今の熊本県葦北郡佐敷町)に転ぜられた。同地の関守などを勤めたのち、安政四年(1857)に隠居。熊本への帰郷の願いは叶わぬまま、同六年四月二十七日、佐敷にて没。七十三歳。遺言により、葦北郡田浦の海辺の丘に葬られた。
国学・和歌を長瀬真幸(本居宣長門)に学ぶ。同門の中島広足と親交があった。家集『和田厳足集』(校注国歌大系十九などに所収)、歌文集『廿日草』などがある。

以下には『和田厳足集』より七首を抜萃した。

春雪

あら駒のくゑはららかす足掻きよりむら消えかかる春の野の雪

【通釈】新馬(あらうま)が蹴散らして走る足掻き――その跡から、まばらに消え始める春の野の雪よ。

【語釈】◇あら駒 新駒。牧場から引き出したばかりの馬。◇くゑはららかす 「くゑ」は「蹴(け)」の古形。日本書紀に「沫雪の若(ごと)くにくゑはららかし」とある。

【補記】春の野に放った若々しい馬が、残雪を蹴散らして駆ける。「春の雪」という伝統的な題に清新の気を吹き込んだ。

浦辺春月

朧夜の空ゆく月のかげ見えてゆたかに寄する春の浦波

【通釈】薄曇りの夜空をわたる月の光がおぼろに映って見えて、春の浦波は満々と溢れるように寄せている。

【補記】駘蕩たる春夜の情趣たっぷりに歌い上げている。万葉集を最も好んだ作者であるが、この歌は堂上風の温雅な詠みぶりである。厳足自筆の「日詠三十首」に見える歌で、「閏三月朔日より同月の五日にかけて作る」とある。文政十三年(1830)の作であろうという(弥富破摩雄『勤皇歌人 和田厳足』)。

桜百首より

長き日を花の木の間ゆ太白(ゆふづつ)のかがやくばかり遊びくらしつ

【通釈】春の長い一日を、桜の花の木の間越しに金星の輝くのが見える頃まで、遊び暮らした。

【語釈】◇太白(ゆふづつ) 夕星とも書く。金星の古称。宵の明星。古くは「ゆふつづ」。

【補記】制作年未詳の「桜百首」。「見るからにまうら楽しも花ぐはし桜は花の神にかあるらん」など、桜をひたすら讃美する真率な歌をつらねている。

躑躅

かぎろひもにほふばかりに岩間照り尾照り峯照りつつじ花咲く

【通釈】あけぼのの空の光も美しく映えるほどに、岩間に照り、尾根に照り、峰に照って、躑躅の花が咲いている。

【語釈】◇かぎろひ 曙光。日の出前、東の空に見える光。

【補記】文政十三年(1830)閏三月の望日(満月の日)の歌会での詠。兼題「春日詠躑躅謌」。作者四十四歳。

月前虫

月夜よしこほろぎと鳴く虫のねにさそはれ出でて露に濡れぬ我

【通釈】月夜が美しい、来なさいとでも言うように鳴く虫の声に誘われ、野に出て露に濡れてしまったよ、私は。

【語釈】◇こほろぎ 「こ」に「来(こ)よ」の意を掛ける。

【補記】結句の「露に濡れぬ我」は「我露に濡れぬ」の倒置。万葉集に「いづれの野辺に庵せむ我」などとあるのに倣ったものであろう。

【参考歌】よみ人しらず「古今集」
月夜よし夜よしと人につげやらばこてふに似たり待たずしもあらず

冬夜

酒飲まむ友どちもがもしくしくに雨のふる夜はさびしきものを

【通釈】酒を一緒に飲む友達がいたなら。しきりと雨が降る夜は、しくしくと心が痛むように寂しいものであるよ。

【語釈】◇しくしくに 「しきりと」を意味する「頻く頻くに」に、泣き声の擬音語、あるいは痛みの擬態語である「しくしく」を掛けているのであろう。

【補記】万葉調のうちにおのずと真情が流露している。作者の真骨頂と言えよう。因みに作者が酒をことのほか好んだことは、「花すすき心静かに酒くめと言はぬばかりの今日の春雨」「大伴の旅人の君しましまさばなど鹿子(かこ)じものひとり飲むべき」などの作にも窺える。

万葉集

寧樂(なら)の世のふりにし(ふみ)を我はもよ友とのみこそ朝夕に見れ

【通釈】奈良時代の古びた書を、私はまあ、友とばかりに朝夕見るのである。

【補記】作者は賀茂真淵に私淑し、「ますらをぶり」を好んで万葉集を愛読した。

【参考歌】文室有季「古今集」
神な月時雨ふりおけるならの葉の名におふ宮のふるごとぞこれ


公開日:平成20年07月23日
最終更新日:平成20年09月23日