吹黄刀自 ふふきのとじ(ふきのとじ)

伝未詳。万葉集巻1-22によれば十市皇女の伊勢神宮参籠に随行しており、これは日本書紀によれば天武四年(675)二月のことである。

十市皇女の伊勢神宮に参り(おもむ)く時に、波多(はた)の横山の(いはほ)を見て、吹黄刀自の作る歌

河の()のゆつ磐群(いはむら)に草むさず常にもがもな常処女(とこをとめ)にて(万1-22)

【通釈】川のほとりの神々しい岩々に草が生えないように、変わらずにいてください、いつまでも若い乙女のままで。

【語釈】◇波多の横山 三重県一志郡一志町の山というが、現在のどの山にあたるかは不明。◇ゆつ磐群 神聖な岩群。「ゆ」は神聖であることを示す語。「つ」は連体助詞。

【補記】天武四年(675)二月、十市皇女が伊勢神宮に参詣した時、「波多の横山」の大岩を見て作ったという歌。十市皇女は天武天皇の皇女であり、壬申の乱で同天皇に敗れた大友皇子の妻でもある。

【他出】五代集歌枕、和歌初学抄、色葉和難集、歌枕名寄、夫木和歌抄

【主な派生歌】
世の中は常にもがもな渚こぐ海人の小舟の綱手かなしも(*源実朝[新勅撰])

吹黄刀自の歌二首

真野の浦の淀の継橋心ゆも思へか妹が(いめ)にしみゆる(万4-490)

【通釈】真野の浦の淀の継橋のように、絶えず心から私を思ってくれているからだろうか、あなたが夢に現れるのは。

【語釈】◇真野の浦 神戸市長田区東池尻町・真野町あたり、新湊川の河口付近かと言う。◇継橋 板を継いで作った橋。万葉集では「葛飾の真間の継橋」なども詠われている。

 

河の()のいつ藻の花のいつもいつも来ませ我が背子時じけめやも(万4-491)

【通釈】川のほとりのいつ藻の花のように、いつでも来てください、あなた。都合の悪い時などありましょうか。

【補記】巻十1931に重出。上二句は「いつも」を導く序詞。「いつ藻」の「いつ」は藻を讃美して言う。


更新日:平成15年01月19日
最終更新日:平成21年03月11日