石川広成 いしかわのひろなり 生没年未詳

父母等は未詳。天平十五年(743)頃、内舎人の地位にあった(万葉集巻八)。天平宝字二年(758)八月、従六位上より従五位下。この頃但馬介。同四年二月、高円朝臣を賜姓される(万葉巻四所載歌の左注にも「後賜姓高円朝臣氏也」とある)。同月、文部少輔。万葉集には三首、巻四の696番、巻八の1600・1601番。

石川朝臣広成の歌一首

家人(いへびと)に恋ひ過ぎめやもかはづ鳴く泉の里に年の経ぬれば(万4-696)

【通釈】家族に対して、恋い慕う心が消えることなどあろうか。河鹿の鳴く泉の里に何年も過ごしているので。

【語釈】◇泉の里 山城国相楽郡、泉川(今の木津川)流域の地。恭仁京(くにきょう)の所在地。

【補記】作者が官人として恭仁京に単身赴任していた時、平城旧京に残して来た家族を思いやっての作であろう。恭仁遷都は天平十二年(740)。

内舎人石川朝臣広成の歌二首

妻恋ひに鹿()鳴く山辺の秋萩は露霜寒み盛り過ぎゆく(万8-1600)

【通釈】妻を恋うて鹿が鳴く山辺の秋萩は、露が寒々と置くので、花の盛りが過ぎてゆく。

【補記】この二首は万葉集巻八の排列から天平十五年(743)秋の作と見られ、やはり恭仁京にあっての作らしい。内舎人(うどねり)は天皇に近侍して警備などに従事した役職。

 

めづらしき君が家なる花すすき穂に出づる秋の過ぐらく惜しも(万8-1601)

【通釈】心ひかれるあなたの家の花薄が美しい穂を出している秋――この季節が過ぎてゆくのが惜しまれてならない。

【語釈】◇めづらしき 「なかなか逢いに行けなくて残念な」ほどの意を帯びよう。◇花薄 穂を出した薄。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日