駿河国の人。天平勝宝七歳(755)二月、防人として筑紫に派遣される。玉作部は名の通り玉造りに従事した部民。
【通釈】おいらは、いくら苦しくとも旅は旅と思って諦めるけど、家にいるのに子を抱えて窶れる妻が悲しくてならねえ。
【補記】農事などで妻を助けてやれないことを歎く。「おめほど」は「おもへど」、「めち」は「もち」の訛り。「こめち」(原文は「古米知」)を「子を孕んで」と解する説や、「顔持(こめち)」と解し面持ちの意とする説などもある。
更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日